(再録・2021.7.7既出)
昨日、岸和田まで出かけ叔父の遺産相続で動いたことの疲れが残っていて、午後から1時間ほどの昼寝(書斎の床に、座布団を枕の)をする。ゆうちょ銀行からの遺産相続関係の書類や、同様に昨日届いたO銀行からの書類のチェックをする気にならず、とりあえず大相撲中継を見ながらパソコンに向かっている。このブログの作成が寝起き後の意識覚醒に繋がればと考えている。
アマゾンから届いたのは、新刊(5月)で佐久間文子「ツボちゃんの話」(新潮社・1700円+税)である。こちらは既読であるが、同じ著者による『「文藝」戦後文学史』(河出書房新社・2400円+税)のことも。佐久間文子「ツボちゃんの話」は、一昨年急逝した夫・坪内祐三のことを語ったものである。坪内祐三はわたしも敬愛した作家のひとりで、特に亡くなる前々年の2018年にはたくさんを読みその年の収穫として、「東京」「雑学系」「四百字十一枚」「昭和にサヨウナラ」「文学を探せ」「昼夜日記」「昭和の子供だ君たちも」の7冊を上げている。61才での死去は惜しみて余りある。佐久間文子には、河出書房新社の文芸誌「文藝」の戦後文学史を論じた文字通りの『「文藝」戦後文学史』があり、こちらも名著である。
「ツボちゃんの話」 「僕が死んだらさびしいよ?」と口にしていたあの頃……。けんかばかりだけど憎めなかった。 博覧強記の東京っ子。類いまれな同時代史の書き手が急逝して1年半。妻が語る25年間の記憶。そう、みんなツボちゃんを忘れない。
「大恋愛だったんですって?」と聞かれたことがある。それが自分たちのことを言っているとわかるのに少し時間がかかった。おたがい配偶者や恋人がいたのに相手と別れて一緒になったから、そう思うひとがいてもおかしくはないけど、甘い雰囲気でいられた時期はとても短かった。一緒に暮らし始めてすぐに彼が暴力事件にまきこまれて死にかけたり、実家のゴタゴタがあったり、次から次へと何かが起こり、恋人というより、家族であり同志みたいな関係になってしまった。(本文より)
『「文藝」戦後文学史』 その時、文学の<現場>では何が起きていたのか!? 戦中から戦後、そして現代まで―津波にのまれ数奇な運命を辿った出版社と、時代と格闘する作家・編集者たちの姿から、いま新たな「文学史」が誕生する!
1933年、改造社で創刊された「文藝」は、言論統制による改造社解散後、河出書房に引き継がれた。空襲で社屋が焼かれてもなお雑誌の刊行は続き、そして戦後へ―戦後派作家たちが隆盛するなか、60年代に入ると文藝賞を創設した編集長・坂本一亀は戦後派を総括。そこで<戦後>という主題は終焉したかに思えたが……現在まで続く<戦争>の感触を掲載作品と関係者の証言から峻烈に描き出す。
写真は、東山丘陵で撮影する。(運動公園遊歩道)
