(再録・2020.10.25既出)
午後から、いつものように40分ほどのウォーキングに出かける。休憩する運動公園では、大人のソフトボールチームが試合をしている。このメンバーとなら中心バッターでかつ主戦投手でやれそうである。本格的なソフトボールは大学の教養課程での2年目、体育実技「ソフトボール」を履修したときに経験している。ポジションはピッチャーで履修者のなかでは、スピードも制球も断トツだったことによる。ただ一球の失投を、高校野球経験者に馬鹿でかいホームランを打たれてしまったが、一応格好をつけることができた。いまから54年前の出来事である。帰途は中央通り(貝塚市の中心部と山手を結ぶ、両行き2車線の)の歩道を歩く。どこまでも続く銀杏並木が美しく、秋の真っ盛りを感じる。もう少しすると銀杏が沢山なり、毎年それを目当てのひとも出てくる。今週辺り晴天が続くので少し足を伸ばし、水間公園(水間寺のある)あたりまで出かけてみようかなと考えている。往復で徒歩1時間くらいであるが、久しぶりに水間寺や隣接する水間公園を被写体にするのもいいかもしれない。それと、色々なことがふっ切れて(朝から、地域の活動で溜まったパソコンのデータや紙資料などをすべて捨てた)今週の水曜日にでも貝塚市役所前にある眼鏡市場まで出かけ、近眼、老眼のふたつの眼鏡を新調しょうと思っている。新規まき直しの気分である。
本の話である。200頁(全293頁中の)まで読み進めてきた、開高 健「夏の闇」(新潮文庫・550円+税)であるが、著者自らが第二の処女作とする純文学長編であるが、もうひとつ感動までには至らない。そこで本箱から取り出してきたのが、開高 健とある時期まで並び称された、大江健三郎の「自選短篇」(岩波文庫・1380円+税)である。大江健三郎のデビュー以来ずっと熱心な読者(最もといってよいほどの)であり続けたが、ノーベル賞受賞後の文化勲章辞退騒ぎあたりから少しく興味を減じた。ただ、小説のうまさは今に至るまで抜群のものがあり(現役の作家で比較しうるひとがいるだろうか)、新刊がでるたびに買ってはいる。それらも含めもう一度大江健三郎を読む手はあるかなと考えている。わたし自身の、学生時代を含むまだフレッシュだった頃の読書を思い出す意味でも、ちょうどいい機会かなと思っている。それも含めての新規まき直しである。これを機に(わりと時間も取られる地域活動に始末をつけたことで)さらなるといってもよいと思うが、本格的な読書をとりあえず10年ほど出来たらと考えている。これからの10年の2000冊ほどのしっかりした読書で、さて人格的なものがどうなるのか楽しみである。(本を逆さまにして読んでいる可能性もあるが)
大江健三郎「自選短篇」 「奇妙な仕事」「飼育」「セヴンティーン」「「雨の木(レイン・ツリー)」を聴く女たち」など、デビュー作から中期の連作を経て後期まで、全23篇を収録。作家自選のベスト版短篇集であると同時に、全収録作品に加筆修正がほどこされた最終定本。ノーベル賞作家のエッセンス。
開高 健「夏の闇」 冒険者が自らを蒸留して搾り出した窮極の一滴(角幡唯介)
ヴェトナム戦争で信ずべき自己を見失った主人公は、ただひたすら眠り、貪欲に食い、繰返し性に溺れる嫌悪の日々をおくる……が、ある朝、女と別れ、ヴェトナムの戦場に回帰する。“徒労”倦怠、焦燥と殺戮、という暗く抜け道のない現代にあって、精神的混迷に灯を探し求め、絶望の淵にあえぐ現代人の<魂の地獄と救済>を描き、著者自らが第二の処女作とする純文学長編。
写真は、東山丘陵で撮影する。
