カーソン・マッカラーズの「結婚式のメンバー」(新潮文庫・590円+税) | 野球少年のひとりごと

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午前中に、月参りで岸和田の西方寺さん(浄土宗)が参ってくれる。いつものように法然上人の一枚起請文を含む「浄土宗日常勤行集」を唱えていただく。わたし達夫婦も経本を見ながら後から唱和する。西方寺さんが帰られてすぐに娘の車で、岸和田市民病院まで保健所に提出の証明書を貰いに出かける。往復で約50分、久し振りに娘と話す。と言うのも、夏の間、叔父の遺産相続の手続や家屋の始末で岸和田まで十数回娘の車で連れて行って貰ったこともあり、その道中で様々なことを喋ったので。帰宅すると昼で、昼食を済ませてからは書斎でレイモンド・カーヴァー(編・訳 村上春樹)「レイモンド・カーヴァー傑作選」(中央公論新社・1408円+税)を読み始める。ただ、何となく疲れていてリクライニング・シートで1時間ほど昼寝をする。目覚めて後は、冷たい珈琲でドーナツを囓りながらパソコンに向かっている。キャロル・スクレナカ「レイモンド・カーヴァー  作家としての人生」(中央公論新社・3500円+税)を読了するのに10日ほど掛ってしまった(700頁の大部であるにしろ)が、その後、昨日は一日で、レイモンド・カーヴァー「必要になったら電話をかけて」(1300円+税)を読了し、今日もここまででレイモンド・カーヴァー(編・訳 村上春樹)「レイモンド・カーヴァー傑作選」を100頁ほど読み進んでいるので、夜には読了できそうである。本書のほとんどは全集(全7巻からなる)で読んでいるので再読となるが、そのことが気にならないくらいにカーヴァーの短編小説が魅力的である。村上春樹の翻訳が果している役割も大きいと思うが、わが国の現代小説では中々こういうのが見当たらないことで、さらにその魅力を感じているところがある。それにしろ村上春樹がいなければ、レイモンド・カーヴァーの著作そのものがもっとわが国に紹介されずに(あるいは紹介されたとしてもこのように魅力的な形で)終わった可能性もあり、村上の著作と同様に、彼の翻訳の果した役割(これは村上が翻訳している他の作家のものも含めて)も大変大きいと考える。

 

今日紹介するのは、その村上が翻訳した同様にアメリカの魅力的な小説家、カーソン・マッカラーズの「結婚式のメンバー」(新潮文庫・590円+税)と「心は孤独な狩人」(新潮社・2500円+税)の2冊である。カーソン・マッカラーズは、1917年生まれ(1967年に亡くなる)の、アメリカの作家。エッセイや詩だけでなく、小説、短編、戯曲を書いた。「心は孤独な狩人」が処女小説であり、そこで、アメリカ南部を舞台に、社会に順応できない人間や排除された人間の魂の孤独を探究した。他の小説も同様のテーマを扱い、南部に舞台を置いている。(Wikipedia参考)わが国でも何冊か翻訳されているが、わたしも村上春樹の翻訳であるこれら2冊で彼女のことを知った。特に、「心は孤独な狩人」は、帯に、「フィッツジェラルド、サリンジャーと並ぶ愛読書として、村上春樹が「最後のとっておき」にしていた古典的名作。新訳で復活!」とある。お勧めです。

 

カーソン・マッカラーズの「結婚式のメンバー」  この街を出て、永遠にどこかへ行ってしまいたい-むせかえるような緑色の夏、12歳の少女フランキーは兄の結婚式で人生が変わることを夢見た。南部の田舎町に暮らし、父や従妹、女料理人ベレニスとの日常を倦み、奇矯な行動に出るフランキー。狂おしいまでに多感で孤独な少女の心理を、繊細な文体で描き上げた女性作家の最高傑作を村上春樹が新訳。

 

カーソン・マッカラーズ「心は孤独な狩人」 1930年代末、アメリカ南部の町に聾唖(ろうあ)の男が現れた。大不況、経済格差、黒人差別……。カフェに集う人々の苦しみをその男だけが、いつも静かに受け止めてくれた。

 人々の姿を描写するマッカラーズの視線はどこまでも温かく、深い同情と共感に満ちている。考えてみれば、状況は今でも基本的には何ひとる変わってはいないんだという気もしなくはない。世界中で貧困の格差はどんどん広がっている。人種差別はいまだに厳然と残っている。人々は共感や共闘を求めるが、それを見つけるのは簡単なことではない。そしてそのような悲しみに満ちた世界を広く見渡し、細部を克明に描きあげるマッカラーズの鋭い観察力と筆力は、この現代においても変わることのない有効性を持っているように、僕には思える。(村上春樹「訳者あとがき」より)

 

 

写真は、貝塚市二色浜海浜公園で撮影する。