
(再録・2019.7.30既出)
一昨日、バットの素振りを最近では目立つくらい多く(200本以上)やり、昨日は岸和田市民病院の皮膚科で受診後歩いて30分の岸和田保健所に寄るなど、通算で50分ほど歩いたことなどで今日は身体の節々が痛い。いかに普段歩かなくなったかを痛感するとともに、運動後独特の筋肉痛に心地よさも感じる。岸和田保健所へは、難病指定(水泡性天疱瘡)の申請のためであるが、保健師さんの面接で大変珍しい病気(国内で6000人ほど)ですねと言われる。今日の皮膚科の受診でステロイドが主の薬の増減はなく、医師は軽症であることを繰り返し告げてくれる。ただ、下肢が中心であるが小さな水泡が発生しそれが大きくならないように、こちらは塗り薬(同様にステロイド)をその患部に一日一度塗っているが、何か「もぐら叩き」みたいな様相を呈しはじめている。昨冬に4キロほど落とした体重も、薬の副作用らしいがこの2ヶ月足らずで一気に回復しむしろ足の甲や膝などには浮腫みとみられる現象があり、顔もムーンフェイスといった様態を示している。無理はできないにしろ体調は悪くないのは幸いである。それにしろ秋が待ち遠しいところがある。岸和田市民病院での次の受診である9月2日までに、バットの素振りなどで身体を絞り体力を蓄えてと考えている。はじめて重大といってよい病を得て、友人がアドバイスしてくれた「一病息災」を頭に入れながら、もう10年だか20年だか知らないがしっかり読書をし、充実した晩年にしたいと念じている。
本の話である。いま読んでいる大場正明「サバービアの憂鬱(アメリカン・ファミリーの光と影)」(東京書籍・3204円+税)、今年ここまで読んできたものの中でいちばんといってよいくらいに刺激的なものである。本書に登場する本や映画を次々とチェックしたいくらいに、なかなか楽しい読書になっている。そこで、ジョン・チーヴァーの「泳ぐ人」が紹介されていて、考えてみたら最近(昨年11月)村上春樹の新訳で出版されているのに気づく。本箱をあらためると村上春樹の翻訳本を集めたコーナーで見つけることができた。「巨大なラジオ/泳ぐ人」(新潮社・2300円+税)である。と同時に、これは刊行当時(1992年)に読了しているが、「橋の上の天使」(川本三郎・2000円+税)も机上近くまで持ってくる。大場正明の論じるサバービアの憂鬱という視点から再読するのも面白いかも知れない。大場正明「サバービアの憂鬱(アメリカン・ファミリーの光と影)」は中ほどまで読んだところだが、関連の書籍を8本ある本箱から集めてくる。久しく放置していたものばかりであるが、テーマ―に沿って読むことで生き返るともいえて、しばらく他の本(例えば、山田風太郎のものなど)との併読となるがアメリカの現代小説を集中して読もうかなと考えている。昨日、机上近くに持ってきたものだけでもおよそ50冊はありこの秋いっぱいくらいは掛かりそうである。
ジョン・チーヴァー「巨大なラジオ/泳ぐ人」 その言葉は静かに我々の耳に残る―村上春樹
アメリカ短編小説の名手と言われた都会派作家チーヴァーの世界。現代に新たな光を放つ、珠玉の短編集。 ピュリッツアー賞、全米批評家協会賞受賞
郊外の高級住宅地を舞台に描かれる洒脱でアイロニーに満ちた物語 「…カフカ的タッチがところどころに、まるで窓の隙間から家内に忍び込む暗い夜気のように、静かに姿を現す。チーヴァーでなくては描けない特別な世界だ」と村上春樹は言う(「巨大なラジオ」の訳者解説)。20篇すべてに訳者の丁寧な解説を付し、村上春樹・柴田元幸が、「チーヴァーとその時代」を語り合う解説対談を収録!
ジョン・チーヴァー「橋の上の天使」 サバービアの憂鬱、日常のなかの孤独……だが、世界はときどき美しい アメリカ随一の短編の名手ジョン・チーヴァーの傑作短編集。全編本邦初訳。
マンハッタンの古いブラウンストーンのマンション、避暑地のサマーハウス、緑に囲まれた郊外住宅、マンハッタンに向かう通勤電車、ハドソン河に架かる橋、日曜日の芝生の上のカクテルパーティ、公園、バーモント州のスキー場……、そうしたミドルクラスの生活風景のなかで、彼らの、一見幸福に見えながら、その底に沈んだ冷んやりとした疎外感、孤独が、抑制された文章で静かに語られていく。(訳者あとがき「サバービアの憂鬱」より)
「ナザレ(ポルトガル)」
油彩803×1000センチ(1978)
http://www.nakamura-kazuo.jp