満足師 とういわゆうこ(埼玉県さいたま市北浦和の体質改善リフレクソロジー スクール&サロンOLAS(オラス)

満足師 とういわゆうこ(埼玉県さいたま市北浦和の体質改善リフレクソロジー スクール&サロンOLAS(オラス)

満足師 東岩裕子
やさしい圧でリラックスできる、伝統的なリフレクソロジー(ベイリー式)で不調を改善、ホルモンや自律神経のバランスを整えるお手伝いをします。2016年国際基準の補完療法士を育成するスクールを開校、2024年一社国際リフレクソロジー普及協会設立

  補完療法としてのやさしいリフレクソロジーを


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   □ とういわゆうこのセラピスト名鑑はこちら
   □ セラピスト業界ライター松子さんの
     ホリスティックケアサロンOLASサロン紹介記事
こちら
   □ とういわゆうこインタビュー記事はこちら

今回バリ島へ行った目的は

ただのバカンスではありません。
 

もちろんプールや海も楽しみの一つですが、

わたしが知りたかったのは

「この島の人たちはなぜ

こんなにも穏やかに暮らしているのだろう」

ということでした。

 

家族との関わり方。

神様との距離感。

 

お祭りや祈りが生活の中にある意味。



バリ・ヒンズー教の総本山である

ブサキ寺院を訪れましたが、


途中、村のお祭りに足を止め、

人々の暮らしを見せてもらいました。



今回の旅では

とても良いタイミングに恵まれました。

クニンガンに続き、満月のお祭りに遭遇。

 

観光用ではない

本物のガムランの音色を聴きながら


村の人たちが祈りのために集まる様子を

見ることができました。



女性たちは美しく着飾り、

お供え物を頭に載せて楽しそうに歩いていました。

 

改めて感じたのは、

これらの儀式は女性たちの力があってこそ

成り立っているということ。



一方で、

子どもたちはゲーム機で遊び、

大人はスマホを使いこなす。

 

伝統の中に

現代の暮らしが自然に溶け込んでいる光景が

とても印象的でした。



ブサキ寺院へ向かう途中のクサンバには

塩田を見るために立ち寄ったのですが、

すっかりお祭りに夢中になってしまいましたよ。

 

写真を撮らせてもらったら

「私のスマホでも撮って」とお願いされて

カメラマン役に。

 

そんな何気ないやり取りから

村の人のあたたかさと

歓迎の気持ちが伝わってきました。



8km先から神様を海までお連れする行列は、

ガムランの演奏とともにゆっくりと進みます。

 

バロンとランダも加わり、

村の人たちは、丸一日かけて祈りを捧げます。

 

その様子を眺めていると、

日本のお祭りの風景と重なる場面がたくさんありました。

 

「そういえば今頃うちの地元のお祭りの準備も始まっているな。」


そんなことを考えながら

日陰でのんびりと見ていました。



命を神様へ捧げる儀式にも立ち会いました。

生きた鶏や黒ヤギが供えられ、

その意味を教えてもらいました。

 

宗教にはそれぞれの歴史や価値観があります。

 

理解はできても、

自分がその信仰を持てるかというと

それはまた、別の話。


外国人であるわたしはただ

その文化から学ばせていただき、

気づきをもらうのみです。



遠くから歩いてくる人たちのために、

飲み物やお菓子を売るおばちゃんたち。



「これ飲んでみな!」

と勧められて飲んだココナッツジュースは、

よく冷えていて、美味しかった!

 

熱中症予防にも

と昔から受け継がれてきた

生きるための智慧です。


そういうものが

今も暮らしの中に息づいているバリが、

好きです。



そしてブサキ寺院にようやく行くことができました。


今回でバリは10回目ですが、

実は有名なお寺にはほとんど行ったことがありません。


アグン山のパワーを一番近くで感じられる場所。

 

今回も

日本語でのガイドをお願いしたWiさんには

2年前から続き、


バリ・ヒンズーの考え方や家族観、

自然との向き合い方、死生観など

バリのことをたくさん教えていただきました。

 

宗教というより、暮らしそのもの。

 

バリの人にとっては

生まれる前から

当たり前にある観方・考え方です。


バリの犬は、自由。



特に印象に残ったのは、

家族をとても大切にする文化です。


日本では「毒親」という言葉が使われるほど、

親子関係に悩む人も少なくありません。



その話をすると、

Wiさんはとても驚いていました。

 

「どんな親であっても大切にする。

それがバリでは当たり前です。」


「もし大変な親のもとに生まれたのなら

それはカルマです。」



その言葉は

「家族と自分」を改めて考える

きっかけになりました。


バリには

昔の日本と似ているところがたくさんあります。



もう一つ、思わずメモを取った言葉があります。

 

「天国はお母さんの足の裏。」 

急に足の裏の話が出てきたので驚きましたよ!



「よくわからないけれど、なんとなくわかる」。


それがわたしの、バリです。


 

日本では「スピリチュアル」というと、

特別なものや、

時には”怪しいもの”として受け取られることがあります。

 

でもバリは”神々の島”。

それは特別なものではありません。


祈りがあり、家族がいて、

自然とご先祖様を敬う。

 

そうした日々の暮らしそのものが、

精神性とつながっています。

 


今回は特に

暮らしの中にある”当たり前のスピリチュアル”に触れさせてもらった、

 

そんな旅だったように思います。



 

リラクゼーションは、突き詰めていけば、

”自分自身や周りとのつながり”を感じること

につながります。


 


8月中に開催するIRPOhttps://ameblo.jp/irpo/

主催の「リフレクションワークショップ」(オンライン)は


事前にワークに取り組んでいただき、

その気づきを参加者のみなさんと分かち合う時間です。

 

わたしは、その入り口として、

今回バリ島で見聞きしたことや感じたことを

少しお話ししたいと思っています。

 

ワークショップは

IPRO会員(LINE公式に登録)なら

どなたでも参加できます。


みなさんとご一緒できたらうれしいです。


 

バリ島での旅の記録や写真は

東岩裕子個人のInstagramでも発信していきます。


リフレクションワークショップの詳細も

Instagramでご案内しますので

ご興味のある方はぜひフォローしてくださいね!


Instagram
@olas_yuko



お休みをいただいて、バリ島に行ってきました。



旧くからの友人が「まとまった休みが取れたから」と誘ってくれて、30年ぶりのバリへ…

 

実はわたしは2年前に娘と二人で行ったばかりだったのですが、後半に娘が熱を出して、予約していたスパをキャンセルすることになってしまい。

今回の旅はそのリベンジが一番の目的でした!

 

まずはそのレポートからお届けします。



訪れたのはスミニャックにあるボディワークス・スパ

インスタ映えする美しいビジュアルが大人気のお店です。

 

色が綺麗なのは一目でわかりますが、

わたしが惹かれたのはそのストーリー。

 

ドイツ人母娘が始めた小さなスパが

今や世界中から評価される特別なお店へと成長したという、

背景に魅力を感じたのです。



正直なところ、

施術にはそこまで期待していませんでした。


ところが、これが、

とんでもなく素晴らしいフットマッサージだったのです!


本当に行ってよかった!



足のメニューには「リフレクソロジー」と「角質除去」の2つがあり、

同じ55分間でリフレクソロジーの方が少しお手頃でした。

 

事前にメニュー構成を問い合わせたところ、

バリのプロダクトで角質を除去してからフットマッサージを行うとのことだったので、

今回はこちらを選択しました。

 

※ちなみに、わたしの英語は中学生レベルです。

かつてバリ島では日本語がよく通じましたが、

今は日本人観光客の激減により、

挨拶レベルの日本語すら通じないところがほとんどです。

なので会話はほぼ英語で、わたしの想像が多分に含まれています。



自分でいうのもなんだけど、

日頃から足のケアをしているから

やりがいがなかったかもしれません。

 

一応フットファイルでゴシゴシしてくれたけれども

「柔らかいですね」とにっこり。

 

担当セラピストの名前はSariさん💕

 

なぜ今回リフレクソロジーではなく角質除去を選んだのかというと

チェアに座ったままで行う複数の手順(一連の流れ)を体験してみたかったから。



大部屋での施術でしたから、

静かさに配慮して会話はここまで。

 

ボディワークスでは雰囲気に配慮があります。



「フットマッサージを勉強しているんだけれども、

動画を撮ってもいい?」と聞くとSariさんは

「そう!もちろんいいわよ。」

 

日本で録画なんて頼めないし、

こんなに快く応じてくださるサロンは稀でしょう。

ちなみにOLASでも録画はご遠慮いただいています。

 

 

さてチェアに座ったままで、

ふくらはぎをどうマッサージしていくのかな…

 

これがびっくりするほど自然で、

OLASの「フットリチュアル」の施術の改善点が見つかりました。

いやいや、ホントに自然!

かなりレベルが高いです。

 

足指にされたことがない手技を施され、

帰ったら誰かにやってみたい!と思いました。

なんならもう帰りたいくらい😆

 

わたしは指の施術を大切にしているんだけれども、

これは、絶対イイ!

 

ドイツって、

フットケアの本場じゃないですか。


だからかな?

足への施術へのこだわりを感じましたよ。



イギリスのリフレクソロジーとは違うけど、

東洋のものとも、全く違う。


ちょっとしたテクニックだけれども、

出会えてよかったワザです。



さてさて、夢見心地にて施術が終わり、

静かに

Sariさんは去って行きました。

 

え、待って。

ちょっとお話したい。

 

友人を待たせて

セラピストのスタッフルームへ。

30人以上はいるんじゃないかな?

フロントのスタッフと合わせるとかなりの大所帯です。

 

みんな同じクバヤ(衣装)を身に着けていて美しく、

スパのインテリアの一部になっています。



「サリぃ~!お客さんよっ!」

 

表では控えめだったセラピストたちも

スタッフルームでは気さくなバリ娘。

出待ちされていたことを冷やかされて、

照れ臭そうな様子でSariさんが現れました。

 

笑顔が近所の友達みたいで、

一気に親近感が増しました。



「あなたは先生ですか?」

「ノーノー。何言ってるのよ、ただのセラピストよ!」と謙遜していましたが、


わたしにとっては間違いなく素晴らしい先生です!

 

バリニーズらしく、

最後にチャッッッと邪気を払うのは

ドイツとバリのチャンプル(ブレンド)って感じ。

 

外国の技術やマインドに

その国らしさを加えてオリジナリティを出すところは

このスパのインテリアにも現れています。


やさしい青とピンクにうっとり🩷



わたしもイギリスの技術やマインドに

わたしらしさをチャンプルして

新しいメニューを育てています。

 

このSariとボディワークスをロールモデルに

セラピストとしても

指導者としても経営者としても精進して

更に成長しよう!と強く思いました♪

 


【予告】新フットリチュアルのモニター募集について


今回バリ島で体験し、学び、さらにレベルアップした「フットリチュアル」。

この進化した施術を早速皆さまにお試しいただきたく、

近日中にモニター募集をいたします!

 

詳細やお知らせは、東岩裕子の個人のInstagramアカウントにて発信いたします。

ぜひアカウントをフォローしてお知らせをお待ちください。

 

そしてバリ島に行かれる際はぜひ足を運んでみてください。

BODY WORKS SPAボディワークス・スパ


ウブドにある「ボディワーク」も創始者アルサナさんがとんでもなく素晴らしいセラピストですが、

今回私が訪れたのはスミニャックの“映えてる”「ボディワークス」です!

全身のメニューや美容コースも充実していて、ビジュアルだけではない実力派スパでした。

 

Foot massage (Reflexology)320,000Rp 

Soothing Foot Treatment 350,000Rp

共に55分 +20%tax


※施設内の写真撮影やカフェの利用はスパのお客様限定。

予約推奨です。

(空きがあれば一部のメニューは予約なしでも可能のようですが、人気店なので、いっぱいの可能性が高いです。)

 

 

バリ島で触れた世界は、

私の中の“正しさ”をゆっくりとほどいていきました。
 

物事を善悪で決めなくてもいいという感覚が

残っていました。

 

しかしその後の現実は、

私に芽生えた変化と成長を待ってはくれませんでした。

 

>>「世界が広がった話」のつづきです。

 

 

・「私が倒れたら終わる」張り詰めた糸を解いてくれたもの

 

夫と結婚し、1年ほど勤めて退職した後は、

専業主婦として穏やかな家庭を築くことを夢見ていました。


だけど人生はそう甘くはありませんでした。


 

第一子妊娠8か月の時、母の乳癌が発覚しました。

 

母の手術と私の出産が重なり、

 

産後は育児と、

腕が上がらなくなった母の家事を手伝う

「ダブルケア」の日々が始まりました。

 

そんな中、事故が起きました。

 

スーパーの駐車場で

生後4か月の息子を抱っこ紐に包んだ際に、

バックルをしっかりと留めずに立ち上がってしまったのです。

 

一瞬の出来事でした。

 

 

コンクリートの地面に叩きつけられた

生後4か月の小さな身体。

 

「グチャッ」という、

 

まるでスイカが割れるような鈍い音が

今でも耳から離れません。

 

頭蓋骨を粉砕骨折させてしまいました。

 

 

幸いにも脳への影響はなく自然治癒しましたが、

骨が完全にくっつく2歳になるまで

 

「何かあったらどうしよう」という恐怖と、

「傷つけてしまった」という強烈な罪悪感に

苛まれ続けました。

 

 

この時の強迫観念にも似た思いが、

私を育児ノイローゼ寸前まで追い詰めました。

 

 

 

試練は畳み掛けるように続きました。


第二子を出産した直後に母の癌の肝転移がわかり

余命6か月の宣告を受けたのです。

 

ピタっと母乳が止まり、

赤ちゃんの泣き声に反応できず呆然とする私に、

手伝いに来てくれた友人がこう言いました。

 

「今日という日は今日しかないんだよ。

この子たちのお母さんはあなたしかいないんだよ。」 

 

 

その言葉に、頬を叩かれた思いでした。

私は覚悟を決めました。

 

 

末期癌の母の介護、幼い二人の育児、

そして二軒分の家事。

 

ついでにその頃ちょうど

夫も体調を崩して退職して寝込んでいましたが、

すべてを背負い、

母の最期を伴走することに決めました。

 

 

その日々の過酷さは想像を絶するものでした。

 

死への恐怖と身体の苦痛から、

母は毎日のように愚痴を吐き出します。

 

抱っこをせがみ泣き叫ぶ

幼い子供たちの世話と、

日に日に弱っていく母のケア。

 

心身ともに休まる暇はなく、

私の精神は

限界ギリギリまで張り詰めていました。

 

「私が倒れたら、すべてが終わる。」

 

その一心だけで、

歯を食いしばって続けました。

 

 

そんな出口が見えない暗闇の中で、

唯一の光となったのが

訪問看護師さんから教わった「リフレクソロジー」でした。

 

母が苦痛や不安でパニックになっている時、

私がその浮腫んだ足をさすり、

 

触れている間だけは、母の表情が穏やかになり、

憑き物が落ちたように安らかな顔を見せてくれたのです。

 

 

「リフレクソロジー」とは、

こんなに人の心を救うのか…。

 

言葉を超えた温もりが、

母の苦痛だけでなく

張り詰めていた私自身の心をも溶かしていくのを感じました。

 

 

これが、私のセラピストとしての原点です。

 

母の最期の時間を伴走し、

その手で見送った経験が、

今の私を支える太い柱となっています。

 

 

母を見送った後、家族でバリ島を訪れました。

そこで私は、

緊張の糸をようやく解くことができました。

 

清濁あわせのむバリ島の空気に触れた時、

憑き物が落ちたような感覚になりました。

 

「精一杯やったんだから、自分を責めなくていい」。

 

そう思えたと同時に、

これからの人生への希望が湧いてきました。

 

 

「ここから新しく始めよう。」

 

白も黒も、

病める時も健やかなる時も。

 

すべてを受け入れるバリの海のように、

私は母の死と自身の運命をあるがまま受け入れ、

新たな一歩を踏み出す決意をしました。



「リフレクソロジストになるまで」シリーズと併せて

>>プロフィールもお読みいただけたらうれしいです。


 

それまでの私は、

自分はどこか、

間違っている人間だと思っていました。
 

ちゃんとできない自分をどこかで責めながら、

うまく馴染めない感覚だけが

ずっと残っていました。

 

その感覚のまま生きていた私にとって、

「正しさ」は、

安心するためというより

自分を守るためのものでした。

 

>>「居場所がわからなかった頃の話」のつづきです。

 

 

・南の島と、ゆれてもいい世界


卒業後は政府系銀行に就職しました。

 

専門学校で秘書を専攻。

一番に推薦をいただいて、
卒業旅行はヨーロッパを周遊してきました♪

 

 

バブル末期の華やかな接待。

オジサンたちの愚痴を聞く役割。

 

そこで私は、

社会の表と裏、人間の欲望と哀愁を見ました。

 

 

数字と時間とお金に厳しい世界。

業務は緊張の連続でした。
月末や期末は特に繁忙で、

終電を逃しタクシーで埼玉まで帰宅することも

しばしばでした。


お昼休みには仮眠室で仮眠を取ったり、
クイックマッサージで肩こりの対策をしていました。

 

いつも疲れていました…。

 

 

この頃、私の人生観を根底から覆す場所と出会います。

バリ島です。

 

休暇で訪れた、その島で、

私は「善と悪、相反するものが同時に存在する」という

考え方に触れました。

 

白か黒か、〇か×かで

裁くのではなく、

 

全てを受け入れるバリの人々の在り方。

 

「敵だけど味方かもしれない」

「愛しているけど憎いかもしれない」

 

 

その矛盾を許す温かさに、

 

厳格な父の元で育ち、

正解を求め続けていた私は

救われる思いがしました。

 

この「ジャッジしない(裁かない)」という姿勢は、

現在のサロンでお客様を迎える際の私の根源的なスタンスとなっています。



実は、来月2年半ぶりにバリ島へ行ってきます。
私にとって、
価値観や生き方を大きく広げてくれた場所。

そのため、
6月27日から7月7日まで、
サロン・スクールの業務をお休みさせていただきます。

 

 

続きは「全部ひとりで抱え込んでいた頃の話」へ。

 

この連載とあわせて

>>プロフィールをお読みいただけたらうれしいです。

転校を境に感じていた

「うまく馴染めない感覚」は、

思春期になっても消えることはありませんでした。
 

むしろ、

その違和感ははっきりと形を持っていきます。

 

 

私は学校という場所の中で、

「居場所」を見失っていきました。

 

>>”存在しない人”みたいだった子ども時代
のつづきです。

 

 

・偽りの仮面。どこにも馴染めなかった日々

 

中学生では、私の成績は常に学年トップでした。

 

それは私が単に勤勉だったからではありません。

 

父が塾を経営しており、

娘である私が「塾の看板」として優秀であることは

絶対的な義務だったからです。

 

 

勉強は嫌いではありませんでしたが

心の中は常に冷めきっており、

学校生活は退屈そのものでした。

 

かつてのいじめの記憶から、

「二度とナメられてたまるか」という防衛本能も働いていました。

 

私は、自分を守るために、

いわゆる「不良」と呼ばれる先輩たちと

付き合うようになりました。

 

 

テストは100点でしたが、授業中は居眠り。

校則違反のメイクやネイルをして、

スカートを極端に長くしたり短くしたり。

 

教師に反抗することが自分を強く見せるための手段で、

仲間との溜まり場が

息苦しい日常での唯一の逃げ場でした。

 

 

高校は県内有数の進学校に進みましたが、

そこで待っていたのは

「偏差値こそが人の価値」という空気でした。

 

クラスメイトが

「女性の自立」や「将来の収入やキャリア」

を議論する姿は、

私には空虚なものにしか映りませんでした。

 

 

「あの子たちとは話が合わない。」

 

そう感じて心を閉ざし、

試験のための勉強することを放棄しました。

 

行き場のないストレスは身体を蝕み、

神経性胃炎でガリガリに痩せ細りました。

 

 

学校をサボり

ライブハウスに入り浸ることで現実逃避を続けましたが、

当然の結果として

受験した大学のすべてに落ちました。

 

 

浪人時代は、

予備校に通うふりをしてはサボる日々でしたが、

唯一の救いとなったのが父の塾でのアルバイトでした。

 

小学生に勉強を教え、

彼らが「わかった!」「できた!」と目を輝かせる瞬間。

 

「教えること」「人の成長に関わること」への情熱は

この時に芽生えたものです。

 

 

 

そんな折、

私の世界を広げてくれる人との出会いがありました。

 

彼は単身ニューヨークへ渡り、帰国したばかりという、

当時の私から見れば「別世界」の住人でした。

 

私はといえば

門限を1分でも過ぎれば激しく叱責され、

時には手が出るほどの

厳しい父の支配に反発心を抱いていました。

 

「うちはおかしい。」

「父は横暴だ。」

 

そう思い込んでいた私に、彼は意外な言葉をかけました。

 

 

「お父さんは、君のことを愛しているから、

必死に君を守ろうとしているんじゃないかな。

君は愛されて育ったんだね。」

 

 

 

その一言に、私は衝撃を受けました。

 

長年抱いていた父へのわだかまりが解け

感謝の気持ちを思い出したのです。

 

 

また、彼の周囲には

ミュージシャンや役者、小説家を志すような、

自由で、感性豊かな人たちが集まっていました。

 

彼らとの交流を通じて

私は心理学、哲学といった「心の世界」や

「目に見えない世界」に触れ、

 

人間の内面に

強く惹かれるようになりました。

 

 

しかし、進路においては挫折も味わいました。

2度目の大学受験を投げ出して、専門学校へ進学。

 

そこで出会った友人たちとは価値観が近く、

充実した学生時代の思い出とともに

今もそれぞれの人生を語り合える関係が続いています。



次は「世界が広がった話」へ。

 

この連載とあわせて

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