満足師 とういわゆうこ(埼玉県さいたま市北浦和の体質改善リフレクソロジー スクール&サロンOLAS(オラス)

満足師 とういわゆうこ(埼玉県さいたま市北浦和の体質改善リフレクソロジー スクール&サロンOLAS(オラス)

満足師 東岩裕子
やさしい圧でリラックスできる、伝統的なリフレクソロジー(ベイリー式)で不調を改善、ホルモンや自律神経のバランスを整えるお手伝いをします。2016年国際基準の補完療法士を育成するスクールを開校、2024年一社国際リフレクソロジー普及協会設立

  補完療法としてのやさしいリフレクソロジーを


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   □ とういわゆうこのセラピスト名鑑はこちら
   □ セラピスト業界ライター松子さんの
     ホリスティックケアサロンOLASサロン紹介記事
こちら
   □ とういわゆうこインタビュー記事はこちら

バリ島で触れた世界は、

私の中の“正しさ”をゆっくりとほどいていきました。
 

物事を善悪で決めなくてもいいという感覚が

残っていました。

 

しかしその後の現実は、

私に芽生えた変化と成長を待ってはくれませんでした。

 

>>「世界が広がった話」のつづきです。

 

 

・「私が倒れたら終わる」張り詰めた糸を解いてくれたもの

 

夫と結婚し、1年ほど勤めて退職した後は、

専業主婦として穏やかな家庭を築くことを夢見ていました。


だけど人生はそう甘くはありませんでした。


 

第一子妊娠8か月の時、母の乳癌が発覚しました。

 

母の手術と私の出産が重なり、

 

産後は育児と、

腕が上がらなくなった母の家事を手伝う

「ダブルケア」の日々が始まりました。

 

そんな中、事故が起きました。

 

スーパーの駐車場で

生後4か月の息子を抱っこ紐に包んだ際に、

バックルをしっかりと留めずに立ち上がってしまったのです。

 

一瞬の出来事でした。

 

 

コンクリートの地面に叩きつけられた

生後4か月の小さな身体。

 

「グチャッ」という、

 

まるでスイカが割れるような鈍い音が

今でも耳から離れません。

 

頭蓋骨を粉砕骨折させてしまいました。

 

 

幸いにも脳への影響はなく自然治癒しましたが、

骨が完全にくっつく2歳になるまで

 

「何かあったらどうしよう」という恐怖と、

「傷つけてしまった」という強烈な罪悪感に

苛まれ続けました。

 

 

この時の強迫観念にも似た思いが、

私を育児ノイローゼ寸前まで追い詰めました。

 

 

 

試練は畳み掛けるように続きました。


第二子を出産した直後に母の癌の肝転移がわかり

余命6か月の宣告を受けたのです。

 

ピタっと母乳が止まり、

赤ちゃんの泣き声に反応できず呆然とする私に、

手伝いに来てくれた友人がこう言いました。

 

「今日という日は今日しかないんだよ。

この子たちのお母さんはあなたしかいないんだよ。」 

 

 

その言葉に、頬を叩かれた思いでした。

私は覚悟を決めました。

 

 

末期癌の母の介護、幼い二人の育児、

そして二軒分の家事。

 

ついでにその頃ちょうど

夫も体調を崩して退職して寝込んでいましたが、

すべてを背負い、

母の最期を伴走することに決めました。

 

 

その日々の過酷さは想像を絶するものでした。

 

死への恐怖と身体の苦痛から、

母は毎日のように愚痴を吐き出します。

 

抱っこをせがみ泣き叫ぶ

幼い子供たちの世話と、

日に日に弱っていく母のケア。

 

心身ともに休まる暇はなく、

私の精神は

限界ギリギリまで張り詰めていました。

 

「私が倒れたら、すべてが終わる。」

 

その一心だけで、

歯を食いしばって続けました。

 

 

そんな出口が見えない暗闇の中で、

唯一の光となったのが

訪問看護師さんから教わった「リフレクソロジー」でした。

 

母が苦痛や不安でパニックになっている時、

私がその浮腫んだ足をさすり、

 

触れている間だけは、母の表情が穏やかになり、

憑き物が落ちたように安らかな顔を見せてくれたのです。

 

 

「リフレクソロジー」とは、

こんなに人の心を救うのか…。

 

言葉を超えた温もりが、

母の苦痛だけでなく

張り詰めていた私自身の心をも溶かしていくのを感じました。

 

 

これが、私のセラピストとしての原点です。

 

母の最期の時間を伴走し、

その手で見送った経験が、

今の私を支える太い柱となっています。

 

 

母を見送った後、家族でバリ島を訪れました。

そこで私は、

緊張の糸をようやく解くことができました。

 

清濁あわせのむバリ島の空気に触れた時、

憑き物が落ちたような感覚になりました。

 

「精一杯やったんだから、自分を責めなくていい」。

 

そう思えたと同時に、

これからの人生への希望が湧いてきました。

 

 

「ここから新しく始めよう。」

 

白も黒も、

病める時も健やかなる時も。

 

すべてを受け入れるバリの海のように、

私は母の死と自身の運命をあるがまま受け入れ、

新たな一歩を踏み出す決意をしました。



「リフレクソロジストになるまで」シリーズと併せて

>>プロフィールもお読みいただけたらうれしいです。


 

それまでの私は、

自分はどこか、

間違っている人間だと思っていました。
 

ちゃんとできない自分をどこかで責めながら、

うまく馴染めない感覚だけが

ずっと残っていました。

 

その感覚のまま生きていた私にとって、

「正しさ」は、

安心するためというより

自分を守るためのものでした。

 

>>「居場所がわからなかった頃の話」のつづきです。

 

 

・南の島と、ゆれてもいい世界


卒業後は政府系銀行に就職しました。

 

専門学校で秘書を専攻。

一番に推薦をいただいて、
卒業旅行はヨーロッパを周遊してきました♪

 

 

バブル末期の華やかな接待。

オジサンたちの愚痴を聞く役割。

 

そこで私は、

社会の表と裏、人間の欲望と哀愁を見ました。

 

 

数字と時間とお金に厳しい世界。

業務は緊張の連続でした。
月末や期末は特に繁忙で、

終電を逃しタクシーで埼玉まで帰宅することも

しばしばでした。


お昼休みには仮眠室で仮眠を取ったり、
クイックマッサージで肩こりの対策をしていました。

 

いつも疲れていました…。

 

 

この頃、私の人生観を根底から覆す場所と出会います。

バリ島です。

 

休暇で訪れた、その島で、

私は「善と悪、相反するものが同時に存在する」という

考え方に触れました。

 

白か黒か、〇か×かで

裁くのではなく、

 

全てを受け入れるバリの人々の在り方。

 

「敵だけど味方かもしれない」

「愛しているけど憎いかもしれない」

 

 

その矛盾を許す温かさに、

 

厳格な父の元で育ち、

正解を求め続けていた私は

救われる思いがしました。

 

この「ジャッジしない(裁かない)」という姿勢は、

現在のサロンでお客様を迎える際の私の根源的なスタンスとなっています。



実は、来月2年半ぶりにバリ島へ行ってきます。
私にとって、
価値観や生き方を大きく広げてくれた場所。

そのため、
6月27日から7月7日まで、
サロン・スクールの業務をお休みさせていただきます。

 

 

続きは「全部ひとりで抱え込んでいた頃の話」へ。

 

この連載とあわせて

>>プロフィールをお読みいただけたらうれしいです。

転校を境に感じていた

「うまく馴染めない感覚」は、

思春期になっても消えることはありませんでした。
 

むしろ、

その違和感ははっきりと形を持っていきます。

 

 

私は学校という場所の中で、

「居場所」を見失っていきました。

 

>>”存在しない人”みたいだった子ども時代
のつづきです。

 

 

・偽りの仮面。どこにも馴染めなかった日々

 

中学生では、私の成績は常に学年トップでした。

 

それは私が単に勤勉だったからではありません。

 

父が塾を経営しており、

娘である私が「塾の看板」として優秀であることは

絶対的な義務だったからです。

 

 

勉強は嫌いではありませんでしたが

心の中は常に冷めきっており、

学校生活は退屈そのものでした。

 

かつてのいじめの記憶から、

「二度とナメられてたまるか」という防衛本能も働いていました。

 

私は、自分を守るために、

いわゆる「不良」と呼ばれる先輩たちと

付き合うようになりました。

 

 

テストは100点でしたが、授業中は居眠り。

校則違反のメイクやネイルをして、

スカートを極端に長くしたり短くしたり。

 

教師に反抗することが自分を強く見せるための手段で、

仲間との溜まり場が

息苦しい日常での唯一の逃げ場でした。

 

 

高校は県内有数の進学校に進みましたが、

そこで待っていたのは

「偏差値こそが人の価値」という空気でした。

 

クラスメイトが

「女性の自立」や「将来の収入やキャリア」

を議論する姿は、

私には空虚なものにしか映りませんでした。

 

 

「あの子たちとは話が合わない。」

 

そう感じて心を閉ざし、

試験のための勉強することを放棄しました。

 

行き場のないストレスは身体を蝕み、

神経性胃炎でガリガリに痩せ細りました。

 

 

学校をサボり

ライブハウスに入り浸ることで現実逃避を続けましたが、

当然の結果として

受験した大学のすべてに落ちました。

 

 

浪人時代は、

予備校に通うふりをしてはサボる日々でしたが、

唯一の救いとなったのが父の塾でのアルバイトでした。

 

小学生に勉強を教え、

彼らが「わかった!」「できた!」と目を輝かせる瞬間。

 

「教えること」「人の成長に関わること」への情熱は

この時に芽生えたものです。

 

 

 

そんな折、

私の世界を広げてくれる人との出会いがありました。

 

彼は単身ニューヨークへ渡り、帰国したばかりという、

当時の私から見れば「別世界」の住人でした。

 

私はといえば

門限を1分でも過ぎれば激しく叱責され、

時には手が出るほどの

厳しい父の支配に反発心を抱いていました。

 

「うちはおかしい。」

「父は横暴だ。」

 

そう思い込んでいた私に、彼は意外な言葉をかけました。

 

 

「お父さんは、君のことを愛しているから、

必死に君を守ろうとしているんじゃないかな。

君は愛されて育ったんだね。」

 

 

 

その一言に、私は衝撃を受けました。

 

長年抱いていた父へのわだかまりが解け

感謝の気持ちを思い出したのです。

 

 

また、彼の周囲には

ミュージシャンや役者、小説家を志すような、

自由で、感性豊かな人たちが集まっていました。

 

彼らとの交流を通じて

私は心理学、哲学といった「心の世界」や

「目に見えない世界」に触れ、

 

人間の内面に

強く惹かれるようになりました。

 

 

しかし、進路においては挫折も味わいました。

2度目の大学受験を投げ出して、専門学校へ進学。

 

そこで出会った友人たちとは価値観が近く、

充実した学生時代の思い出とともに

今もそれぞれの人生を語り合える関係が続いています。



次は「世界が広がった話」へ。

 

この連載とあわせて

>>プロフィールをお読みいただけたらうれしいです。
 

以前「プロフィール(自己紹介)」の記事を書きましたが、

 

そこでは書ききれなかった
子どもの頃からの話を書いてみます。

 

 

「あなたの手は、特別だ」

 

学生時代、

アルバイト先のお客様に、そう言われました。

 

当時はその言葉を理解していませんでしたが、

セラピストとして17年、数千人の足裏に触れ続けてきた今、

その言葉は私の運命を予言していたように感じます。


 

現在、私は埼玉県で

リフレクソロジーサロンOLAS

 

 

プロを育成するスクール、そして、

一般社団法人 国際リフレクソロジー普及協会IRPO」を運営しています。

 

私のサロンを訪れるのは、

単に「癒やされたい」という軽い動機の方ではありません。

 

その多くが、妊活の不安、がん治療の副作用、精神疾患の苦しみ、

あるいは終わりの見えない親の介護や看取り、家族の問題といった、

深く重いテーマを背負っています。

 

 

「誰にも言えないけれど、ここなら話せる」 

「夫と東岩さんにしか話していない」

 

そう言って、通い続けてくださる方達がいます。

 

それはきっと、私自身が、

孤独、いじめ、家族との問題の中で

「生きる」ことの意味を問い続けてきたからだと思います。

 

 

・父の背中と、透明になった教室

 

私は、埼玉県にある父が建てた家で育ちました。

この家には、父の家族に対する強い想いが籠められていました。

 

父は4人兄弟の長男でしたが、

父が中学2年生の時

家族で引っ越すことになった際、

父一人だけが親戚の家に残ることになりました。

 

それ以来、父は家族と共に暮らすことがなく、

 

その経験から

「家族が一番大事」

「家族は助け合わないといけない」

という強烈な信念を持つようになったそうです。

 

父は、余命わずかだった母(私の祖母)のために、

 

都内で経営していた喫茶店を他人に譲り、

祖父や親戚中の協力を得て

埼玉に家を建てました。

 

それが現在私が住んでいる家です。

 

 

私の母は体が弱く、

結婚前から重度の喘息発作や流産を繰り返していました。

 

母の入院時には、

向かいに住むお婆ちゃんが、

実の祖母のように私の面倒を見てくれました。

 

 

父は自宅の2階で塾を経営しており、

夜10時頃まで授業を行っていました。

 

私は幼い頃から、

父が、塾のチラシの文言を考え、

保護者へ手紙を書き、

テキストやテストを作る姿を見て育ちました。

 

見ているだけでなく、

ポスター貼りやポスティング、

新店舗を出す際の場所の調査にも一緒に出かけていました。

 

父は工夫を凝らして事業を拡大し、

支所を作るなど、成功を収めていきました。

 

常に家の中に父の気配がある。

 

何かあったらいつでも降りてきてくれる環境が、

私の安心感に繋がっていたように思います。

 

 

そんな父から

「人に面倒をみられるよりも

人の面倒をみる人間になれ」

と言われて育てられました。

 

そのせいもあったのかもしれません。

 

3歳下の妹が生まれる時、

私は遠くの親戚の家に預けられました。

 

だけど、厳しかった親戚の家よりも

初めて会った子の家に上がり込んで遊ぶなど、

環境に適応していました。

 

幼稚園では

ジャングルジムの上や、園の屋上から、

みんなが遊んでいるのを

一人で眺めるのが好きな子供でした。

 

誰と誰が仲良しで、

誰がリーダーなのか。

 

先生はどう動いているのか。

 

じっと見ていました。

 

 

小学3年生の時、

父の事情で転校することになりました。

 

新しい学校で、

体操着袋に毛虫を入れられるという

いじめに遭いました。

 

父に相談すると、

「やられたらやり返せ!」と励まされました。

 

なので私は誰もいない早朝の教室で、

いじめっ子の体操着袋に毛虫を入れ返しました。

 

 

学級会で

自ら「犯人だ」と名乗り出た時

それまでいじめられていた子たちから

称賛の眼差しを向けられて、

 

私は「リーダーシップを取る快感」を覚えました。

 

いじめた子とはその後、一番の親友になりました。

 

「やられたらやり返す」。

 

それは、

理不尽な世界で生き抜くための

最初の知恵だったように思います。

 

しかし、

それが通じたのはわずかな時間でした。

 

 

小学5年生の3学期、

またしても父の都合で転校が決まりました。

 

転校先はいわゆる

「治安の悪い」地域にある学校でした。

 

 

校内の空気は殺伐としており、

よそ者である私への敵意は

転校初日から容赦なく向けられました。

 

 

掃除の時間には汚れた雑巾が飛んでくる。

トイレに入れば上から冷たい水を浴びせられる。

 

そんな陰湿な嫌がらせが、

日常茶飯事でした。

 

 

ドッジボールの授業では、

ボールを当てられる痛みよりも

「全員が私を狙っている」という悪意の集合体に

震えました。

 

 

しかし、何よりも私の心を深く傷つけ、

その後の人生に長い影を落としたのは、

教室で行われた「存在の消去」でした。

 

授業中に手を挙げて発言するたびに、

クラスの女子たちが示し合わせたように

声を揃えて合唱するのです。

 

「きこえませーん、きこえませーん」

 

先生がいるにも関わらず、

まるでそこに誰もいないかのように振る舞う

彼女たちの冷ややかな目。

 

精一杯大きな声を出しても

その合唱にかき消され、

 

私の言葉は宙に浮き、

やがて消えていきました。

 

 

「お前の言葉には価値がない」

「お前はここには存在しない」

 

という、存在の完全な否定でした。

 

物理的な暴力なら

やり返すこともできたかもしれません。

 

けれど、集団によって「透明人間」にされる絶望感は、

私の心を内側から破壊しました。

 

「目立ってはいけない」

「話してはいけない」

 

その時に植え付けられた恐怖心はトラウマとなり、

 

大人になった今でも、

大勢の人の前で話すことの苦手意識として残っています。

 

 

だけど、同時に

私がサロンで

 

お客様の声なき声にじっと耳を傾け、

「聴く」ことを

何より大切にしているのは

 

かつて自分が誰にも声を聴いてもらえなかったという

痛みを、知っているからなのかもしれません。

 

 

続きは、
居場所がわからなかった頃の話」へ。


さいたまでリフレクソロジーサロンとスクールを主宰しています。

「満足師」こと、リフレクソロジストのとういわゆうこです。

 

 

独立開業した時に幼稚園に通っていた娘は社会人になりました。

 

その間ずっと、わたしは痛みを与えずに体の不調を調整し、
『お客様ご自身が持っている治癒力』を引き出す

ベイリー式リフレクソロジーの施術を行ってきました。

  

「病院に行ったけど、原因がわからないと言われた。」

とおっしゃる、病気や不調に悩む方。

 

お医者さんから「我慢するしかない。」と言われたという

慢性的な苦痛や疾患、難病を抱える方。

 

そんな方達のサポートを中心に、

足から体質を読んで適切な施術を行い、

必要なケアを提案させていただいています。

 

 

 

『右耳の中耳炎の頻度がぐっと減り、気づいた時にはあまり耳の事で悩んでいない状態になっていました。』

 

『リフレクソロジーをしてもらった後は温泉帰りの様に身体がポカポカしています!』

 

『夜布団に入ってから朝までぐっすり、一度もトイレに目が覚めなかったです。いつもは3~4時間ごとに目が覚めるのに。』

 

『痛みが楽になるのはもちろん、自分の身体の調子の悪いところをきちんと把握でき、体調を整える事がとっても楽になりました。』

 

日々、お客様達から嬉しい声をいただいています。

 

そんなお客様の喜びの声を聞かせていただくうちに、

リフレクソロジーの技術を多くの人に伝えたいと思うようになりました。

 

そして、リフレクソロジーを受けることができるサロンを増やしたいと、

2016年に、プロのリフレクソロジストを養成するスクールを開校しました。

 

 

私が提供している「リフレクソロジー」とは、

伝統的で、イギリスのクラシックなスタイルの補完医療です。

 

補完医療は、現在私たちが受けている西洋医学の、

足りない点を補うことができます。

 

リフレクソロジーについて、少し説明させてください。

 

 

日本では、

「イタ気持ちいい~♪」で知られているリフレクソロジーですが、

欧米では痛みを嫌うため、痛くないリフレクソロジーが一般的です。

 

 

東洋では、「痛いと効いている」という感覚がポピュラーなので、

痛みを我慢しながら施術を受ける、

強めのリフレクソロジーやマッサージが人気です。

 

リフレクソロジーというのは、

 

=================

『「反射区(Reflex zone)」から臓器や器官に
刺激を与えることができる。』

=================
 

という学説のことを指します。

 

ですので、その施術で痛みを与えるかどうかは

大きな問題ではありません。

(どちらにもメリットがあり、お好みもあります。)

 

 

わたしが痛くないリフレクソロジーを学んだのは、

「ガンで闘病していた母のサポートを行いたい」

という想いからでした。

 

 
 

わたしの母は、3歳の時に父親を事故で亡くしたため、

幼少期を実の母親と離れ離れに過ごし、

親戚中を渡り歩いて大変苦労した人でした。

 

 

 

その生い立ちのせいで、

母は、自分が言いたいことや、やりたいことを我慢する人でした。

 

そして、常に家族のために尽くす良妻賢母でした。

 

 

 

優しく、ちょっとドジで、いつも明るくユーモラス。

 

 

そんな母ですが、

わたしの物心がつく前から頻繁に、喘息の発作で

入退院を繰り返していました。

 

一度入院してしまうと2カ月近く家に戻れないことも

珍しくありませんでした。

 

 

3つ違いの妹とわたしは、

塾を経営していた父と、塾のスタッフ、

家政婦さんと近所のおばちゃんたちに助けられて大きくなりました。

 

 

父は経営者だったため比較的時間が自由になり、

母のお見舞いや、幼いわたしたち姉妹の面倒をみることができました。

 

そんな父の仕事ぶりに尊敬の念を抱くようになったのは、

わたしがリフレクソロジーで起業しようと志した時からです。

 

 

父は、育児や介護をしながら仕事をしていました。

だからと言って、父が仕事の手を抜くことはありませんでした。

 

自宅で始めた教室を、2つ、3つ、4つと増やしました。

 

信頼できる仕事のパートナーにも恵まれました。

 

 

具合がよい時は母もその仕事を手伝って、

イキイキと活躍していました。

 

おかげでわたしたち姉妹は、経済的にも精神的にも豊かに、

両親や周りの人たちから深い愛情を注いでもらいました。

 

そして、のびのびと成長することができました。

 

 

ところが母は、更年期を迎えると

ますます様々な体調不良を訴えるようになってしまいました。

 

 

子供たちが成長した後の自分の生き方に迷い、悩むことも多く、

睡眠導入剤なしには眠れなくなったようでした。

 

しかし時々、

「これからは自分のために、生きたいように生きるんだ♪」

という前向きな言葉も口にすることもありました。

 

 

「健康が一番大事だよ。」

 

それが口ぐせの母ががんを患ったのは、

わたしが嫁いでしばらく経った頃のことです。

 

母は、乳がんで、

受診した時には、「もう、手遅れ。」と言われるような状態でした。

 

 

痛み止めや睡眠導入剤、ホルモン剤、抗アレルギー剤、ステロイド。

薬の副作用を和らげるための、胃薬や便秘薬…

 

がんになる前も、病院や薬と縁が切れたことのなかった母。

「もうこれ以上薬を飲むのはイヤだ」と言っていた母。

 

そんな母を、今度は、抗がん剤の副作用が襲いました。

 

 

苦しむ母を見て、私は

「薬を飲む以外に、何かできることはないのかな。」

と思いました。

 

そんな時に看護師さんから教えていただいたのが、

リフレクソロジーでした。

 

リフレクソロジーは、出会った時からわたしにとって『補完医療』でした。

 

 

病気や、死に対する恐怖を口にする母の、

不安な心に寄り添う毎日。

 

 

いつもわたしの話を聞いてくれた母に、わたしができることは、

話を聞きながら優しく触れることくらいでした。

 

母は、浮腫んだ足を揉んであげると、

「気持ちがいい~♪」と心底嬉しそうにしてくれました。

 

それは、抑うつ状態だった母が笑顔を見せてくれる、

とても貴重な時間でした。

 

 

そんな時、

「わたしもリフレクソロジーの気持ちよさを体験してみたい」

と訪れたサロンで、あるセラピストの方と出逢いました。

 

その方は、50歳を過ぎてからアロマやリフレを学び、

サロンを開業したばかりだとおっしゃいました。

 

その方と出会えたことも、わたしの人生を大きく変えました。

 

 

「ただ揉むだけじゃなくて、ここを圧してあげるとよく眠れますよ。」

「ここを圧してあげると、腎臓の働きを応援できますよ。」

 

「個人的にわたしが教えられることは教えてあげますよ。」

 

沢山のことをその方から学びました。

 

 

もっと勉強してみたい!

この知識や技術は、きっと体や心が弱っている人のお役に立てる!

 

 

だけどわたしには家族のお世話があるし、

もう、30歳過ぎてしまったからなぁ…。

 

弱気なことを口にしたわたしに、

その方は大切な言葉をくださいました。

 

 

「もう33歳?まだ33歳でしょう!いくつになったって、心身共に健康ならば、なんだって、やりたいことに挑戦できるわよ!」

 

 

その方の言葉に、勇気づけられている自分を感じました。

 

そして「わたしもこんな風に誰かを励まし、

勇気づけることができるセラピストになりたい!」

と一層強く憧れるようになりました。

 

 

 

闘病中の母とは、足に触れながらいろいろなことを話しました。

 

足をほぐして、体が楽になると、

心も楽になって、自分の気持ちに素直になれるのです。

それは施術をしているわたしも同じでした。

 

 

母の、残された大切な日々と、過ぎ去った人生への後悔は、

「今を精一杯生きる」ということを教えてくれました。

 

もしかしたらこれが、

人生で一番、母と近しく触れ合えた時間だったかもしれません。

 

なのでわたしには、母との時間に一切後悔はありません。

 

 

残念ながら母は亡くなってしまいました。

 

しかしこの、母との時間と、

母のおかげで出会えた人たちは、わたしの宝物です。

 

忙しい業務のかたわら、補完療法のことを教えてくれた看護師さん。

自らもお母さんをガンで亡くしたとおっしゃる、緩和ケアのドクター。

亡くなる前日まで自宅で過ごした母を往診してくれた、

近所の「町医者」の先生。

 

そんな方達のお仕事ぶりを拝見しながら、

 

「医療の現場にもリフレクソロジーやアロマテラピーが

取り入れられたらいいのに…。」

 

と思いました。

 

20年前にわたしが経験し、夢見た未来は、
 

「リフレクソロジーを行う家族や医療者、セラピストが、連携して患者さんをサポートする風景」
 

でした。

 

そして、イギリスでは医療に寄り添うセラピストが

現場で活躍しているということを知りました。

 

 

「わたしも、それを実現したい。」

 

そう強く思い、母を亡くしてから改めてリフレクソロジーを学び直しました。

 

 

イギリスに本校を持つスクールで、

体のしくみや働きと、病気が発生するメカニズムを、

1年に渡って学びました。

 

 

ここでは卒業までに、のべ100人の足に触れました。

 

 

✔ 生理痛や生理不順、PMS、

冷えや浮腫、肩こり・腰痛等を抱えている方達。

 

✔ 睡眠の質が悪い、なかなか疲れが取れないなど、

病気ではないけれど、不調を抱えたまま暮らしている方達。

 

✔ 代謝が悪くて疲れやすく、

なんでも面倒臭がって、体を動かすのがだるいという方達。

 

✔ 更年期や老年期に差し掛かり、

「これからの人生を健康に過ごしたい!」

という予防意識が高い方達。

 

そんな方達に必要な施術を行い、

セルフケアを提案するという、トレーニングを重ねました。

 

 

それにより、お一人お一人に対するオーダーメイドなケアと、

丁寧なサポートを行えるようになりました。

 

自信を持ったわたしは、習った技術を忘れないようにと、

スクールを卒業する前に美容系サロンの一角を借りて、

リフレクソロジーサロンをオープンする準備を進めました。

 

 

お借りしたサロンのオーナーさんからは、

ずいぶん助けていただきました。

 

 

名刺とチラシを作成して、サロンや駅前のお店に

置かせていただきました。

 

ホームページを立ち上げ、

リフレクソロジーと自分自身のことを紹介しました。

 

 

 

 

更に、施術の後には詳細に「お客様のお声」を伺って、

わたしのサービスの良いところと、至らないところを

把握するよう努めました。

 

こうして試行錯誤しながら、2009年に自宅でサロンをオープンしました。

 

 

 

最初はリラクゼーションを目的とされるお客様がほとんどでした。

 

お客様は、たまの贅沢にリフレクソロジーを選んでくださり、

非日常的な時間を楽しんで、寛いでいかれました。

 

 

しかし次第に、妊娠を望んでいるご夫婦や、
病気や不調に悩んでいる方の体質改善のサポートを行うことが増えてきました。

 

それから、ガンの手術をされた方からも、

リフレクソロジーを気に入っていただくことが増えてきました。

 

そして、ブログを始めてからは、

 

「リフレクソロジーがただのリラクゼーションではなく、

自然治癒力を高める施術」
 

ということを理解してくださるお客様にお越しいただいています。

 

皆さんに、痛みを与えない優しい施術を喜んでいただいています。

 

 

 

「ガンで闘病している母のためにリフレクソロジーを教えて欲しい」

「夫婦で施術をし合いたいのでリフレクソロジーを教えて欲しい」

 

ご要望をいただき、

ホームセラピスト養成講座を開講したのは2012年のことです。

 

他にも、この講座では、

アレルギーを持つお子さんのために

というママさんや、

「患者さんにやってあげたい」

という看護師さんなどにも、学んでいただきました。

 

 

後に生徒さんから

「プロのリフレクソロジストとして活動したい」

という相談を受けた時はとても嬉しかったです。

 

「プロを養成するコースはないのですか?」

「裕子さんから教えてもらいたい。」

そう言った声を徐々にいただくようになりました。

 

 

その中には、地方在住の方もいらっしゃいました。

 

日本には、伝統的なリフレクソロジーを受けられるサロンが

とても少ない状況です。

 

わたしは、さいたまだけでなく、

もっといろいろな場所でこのリフレクソロジーが受けられる

ことを強く望んでいました。

 

 

ですからわたしは、学びたいと言っていただいた方達に

「少し待っていただけませんか?」とお伝えしました。

 

 

 

これまでわたしはリフレクソロジーのスクールで学んだこと以外に、

経営の専門家やサロン経営の専門家の方達から、

サロン経営や顧客サービスについて学んできました。

 

お金や時間を投資し、

必死で身につけてきたものがありました。

 

ですからそれを整理し、伝える準備を整えてから、

「プロとして必要な技術や知識を伝えられるような

スクールをつくりあげたい」と思ったのです。

 

 

それから、わたしは

イギリスの母校の校長のところにアドバイスをいただきに行く準備を進めました。

 

そして2016年3月に、
イギリスに向けて、学びの旅に立ちました。

 

 

イギリスでは、施術に関する指導を受けた他、

リフレクソロジーを取り入れている医療センターを視察し、

病気の方をサポートする立場の方たちにインタービューを行ってきました。

 

そして日本とイギリスの医療の違いを感じてきました。

 

 

イギリスでは、医療者とセラピストはお互いに自身の役割を理解し、

尊重し、尊敬し合っているようでした。

 

医師でありながらセラピストでもある、

というドクターや、ナースも珍しくなく、

「医療だけでは足りない部分をセラピーで補う」という方法が

受け入れられていました。

 

「病気になったら病院に行く」のではなく、

「病気になる前に、病気にならないように自分自身をケアする」

という姿勢が一般的でした。

 

 

体は一人に一つしかなく、

「壊れたら直せばいい」「動かなくなったら取り換えればいい」

というわけにはいかないのです。

 

日本では、多くの人がこの、大切なことを見失っている

ということに気づきました。

 

わたしたちは、一人一人が自分自身を大切にし、

自分自身がどう感じているのか、

体と心からの声にまっすぐ耳を傾ける必要があるのです。

 

 

人として健康であるということは、

体が健康であるということと、イコールとはいえません。

 

体が健康であっても、心が曇り、病んでいては、健康とはいえません。

 

 

心も体も健康であるために、ゆるぎない軸を持つこと。

 

それには、仕事から得る喜びが大きな助けになります。

 

 

やりがいのある仕事と、お客様からの感謝の言葉は、

わたしたちを幸せにし、真の健康へと導きます。

 

 

わたしはリフレクソロジストという仕事を通じて、

このことを実感しています。

 

ですからわたしは、夢の実現に向けたマインド作りから、

生徒さん一人一人と関わり、サポートできる、

少人数制でのスクールを立ち上げることにしました。

 

 

 


リフレクソロジーというセラピーは、心身のケアだけでなく、

スピリチャリティーの重要性をも教えてくれます。

 

足はまるでその人自身を表現しているように、正直です。

 

そして足をほぐして体が楽になると、心も楽になって、

本来の自分になれるのです!

 

 

 

 

 

わたしはこれまで、沢山の足と触れ合ってきました。

 

 

 

 

窮屈なところに押し込められ、

自分を殺して、他人の要求に自分を合わせて生きてきた、足。

 

いつも自分に自信が持てなくて、自分を好きになれなかった、足。

 

張り詰めた気持ちを緩めることができなくて、

寝ている時も、ひと時も休まることがなかった、足。

 

自分の持っている力以上に、

頑張らなくては!と無理をして、悲鳴を上げていた、足。

 

やりたいことや言いたいことがあるのに、

一歩踏み出す勇気が持てなかった、足。

 

自分にも他人にも、嘘をついていて、

何が本当で、本当の自分はどうなのかがわからなくなっていた、足。

 

そして、20年前に初めてリフレクソロジーを体験した、母の足…。

 

 

 

みんな、これまでどんなに頑張ってきたのか?

どんなに我慢してきたのか?

をわたしに伝えてくれた、愛おしい足たちでした。

 

 

 

 

 

 

足はいつも靴下や靴の中で、黙って、

わたしたちを支えてくれています。

 

 

「足を大切に扱ってもらうと、

自分が大切にされていると感じる」

 

多くのお客様が、そうおっしゃいます。

 

 

ですからわたしは、これからも、

 

温かく、巡りがよくて、のびのびと心地よく…

 

その存在そのものが“”で満たされている足

を増やし続けていきます。

 

 

そしてこのスクールでは、

リフレクソロジーをただのマッサージの手法ではなく、

人生をに満ちたものにする方法として、伝えていきます。

 

 

 

わたしたちには、一人一人に様々な過去があります。

そして、未来があります。

 

その未来をより輝かせることができるのが、

真のリフレクソロジーです。

 

 

わたしはこれから、真のリフレクソロジストを増やして、

より輝く未来を手に入れる人を増やしていきます。

 

 

そして、医療者やご家族と連携して、

真のリフレクソロジーで患者さんをサポートする、

輝く未来を作っていきます。

 

 

2024年11月8日

一般社団法人 国際リフレクソロジー普及協会を設立しました。

 

この協会でわたしはリフレクソロジーの効果を検証・研究いたします。

スクールの卒業生が活動しやすい体制を整え、サポートしていきます。

 

そして、

「医療者やご家族と連携して、

真のリフレクソロジーで患者さんをサポートする」

という夢に向かって進んでいきます。

 

 

 

国際リフレクソロジー普及協会(IRPO)のホームページ

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