力はあれど、政の力は無い、この男の一言で平家の処遇は大きく変わってしまうのだ。それほどの男に家盛はつかまってしまった。まさに蜘蛛の巣に掴まった、蝶としか言えない。後は、喰らい尽くされるのみなのだ。
あまりの仕打ちに身動きが取れなくなり、体を硬直させている家盛を、蔑みの笑いを浮かべた頼長が押し倒していく、それはあたかも蜘蛛が捕えた獲物を糸で巻きつけているようなそんな感じさえしてくる。身体を頼長に犯されながら、家盛は恥じていた。己の思慮の足りなさと、平家の背負う闇の深さを測りきれなかった自分の器の小ささを。


〔兄上・・・。あなたはこんな闇さえ跳ね返される。まことに強い男・・・。私は、小さき器でございます。〕


頼長の策に転がされ、身さえも捧げてしまった。頼長の本当の目的を知っても、それを跳ね返ことすら出来ず、体を重ねるしかなかった。快楽は、家盛の身体を蝕む、心はそれと共に崩壊し始めていた。


「明日からの熊野詣、しかと務めて参れ。京に戻ったおりには、吾がまた力を貸してやろうぞ。」


家盛を抱いて満足した頼長は、放心状態の家盛にそう告げた。家盛はそれに応えることが出来なかった。

頼長の屋敷から戻った家盛は、幼い頃に兄清盛と遊んだ庭に立ち尽くしていた。身体の不調ははっきりと家盛にもわかる。しかし、それを押しても熊野詣に行かねばならなかった。平家の今後の為にも。


「家盛?そなたなぜここに?」


庭に立っている家盛の様子がいつもと違うことに気が付いた母、宗子が声をかけた。


「母上・・。なんでもございません。」


「そなた・・・。いよいよ出立じゃな。心して務めて参れ。」


家盛の様子が気にはなるが、間もなく出立する息子にそう言葉をかけた。その言葉に反応するように家盛が宗子の顔をみて


「母上・・。私は、兄上と本当の兄弟でおりとうございました。あの日私があの場所から落ちなければ・・・。私と兄上との間で母上が苦しむことはなかったことでしょう。」


「家盛?」


「母上、私が無事戻りましたら、ただ、笑って向かえて下され。私は、母上の顔に笑うた顔が見たかっただけでございます。」


そう一言呟くと、熊野に向かう鳥羽院の警護に屋敷を後にした。その背中はどこか悲しげで、そして薄呆けた感じがしてならなかった。


無事に熊野詣を済ました鳥羽院の一行は、京へ帰還せんと宇治川と桂川が合流する辺りに差し掛かっていた。
今朝がたから、一段と体調が芳しくなかった家盛は朦朧として来ていた。その朦朧とする頭の中で浮かぶのは、幼き頃何も考えることもなく、平太であった清盛と、平次であった家盛が遊ぶ姿であった。


〔兄上はあの頃から豪傑であった・・。そして優しかった。私を弟として大切にしてくれていた。あの頃に戻れるのなら戻りたい。ああ、母上・・。笑うておられる。ほんに良い笑顔じゃ・・。私はそれが見たかった・・・。兄上・・・、家盛は愚かでございました。兄上の上に立とうなど思い上がりにもほどがありました。兄上・・、言うておりましたな・・「面白うない世を、面白う生きて、野良犬の声がこの面白うもない世を変えるまで生きてやる」と、そうしてくだされ・・。私では出来ませぬ・・・。私は・・兄上を支えるようにいたしましょう。ああぁ、目の前が白うなってきた。もはや我が命これまでか・・・。お慕いしておりました、私のただ一人の〕


「兄上・・・・・・・・。」


その一言を呟いて、家盛の身体は大きく傾き、そして馬上から地に向かい落ちて行った。


≪完≫


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