白かった着物も、血やすすなどで汚れきり、互いの顔にも切った者たちの血がこびりついていた、時貞が運之丞に近寄り、こすり取る用にしながら顔を撫でた。
「時貞様、お先に参ります。間もなく父上がここに参るてはずです。それまでに私は事を済ませておかなければなりません。貴方と過ごした時間が懐かしく、愛おしい。」
穏やかな笑顔で静かにそう言うと、短刀を喉に当てた。
「運之丞、儂からも礼を申そう。これまで儂に仕えてくれたこと大義であった。これほど頼もしい家来はおらん。そして、儂の大切な兄弟じゃった。」
「時貞様。さらばです。」
そう言い放つと、運之丞は短刀を喉に突き入れた。呼吸が出来ず苦しいはずなのに、一度見開いた目を穏やかなものにし、その唇にはほのかに笑みを浮かべて、絶命した。運之丞の喉に刺さった短刀には、時貞の生家、益田家の家紋が入っていた。これは、時貞が渡したものだった。
目の前で、愛しい者が自害するその一動作も見逃すまいと、時貞は顔を逸らさなかった。声にならない悲しみが、体のそこから湧き出して、涙となって目から滴り落ちていた。その時、
「天草四郎時貞!!どこにおる!!」
大音声と共に甲冑を着た敵方の武士が時貞の場所に乗り込んできた。身構える時貞だが、その声に聞き覚えがあった。
「い・・そべか?」
兜の下から、ひげ面の汚れきった顔が見えた、その顔は、時貞が良く知っている顔、運之丞の父、磯部三左衛門、だった。今は、陣佐左衛門として、肥後藩、細川 忠利の配下に紛れ込んでこの戦いに参戦し、討伐軍の内偵をしていたのだ、落城寸前にこの城内に入り込み、運之丞と時貞を探していた。
「御無事でしたか・・。」
ガチャガチャと音を立てながら時貞の側によると、しっかと抱きしめた。そして、時貞の横で、喉に短刀を突き刺し、自害している息子を見やり、
「見事な最後を遂げたのでありましょうか・・。」
と静かに時貞に問うた。
「見事じゃった。」
時貞がそう返すと、満足気に頷き、我が子の喉に刺さっている短刀を引き抜き、その刀で、首を落とした。その首を三左衛門が一度時貞に手渡した。口から血が出てはいるもののその口元には仄かに微笑みが見て取れた、愛しい者の最後の顔を目に焼き付けていた。その目に泪があふれ出てくると、三左衛門から咎められた。
「泣いてはなりませぬ。それでは運之丞が浮かばれぬ。これから運之丞は大きな仕事をしに行くのです。時貞様は、毅然として息子を見送ってくだされ。もう時がありませぬ。その首を私に渡してくだされ。」
実の父親が、我が子の首を時貞として討伐軍に差し出すのである、これほどの悲しみと、これほどの苦しみがあろうか、時貞は震える手で運之丞の首を三左衛門に戻した。そして、くるっと背を向けて城内の奥に向かって行こうとする時貞の背中に向けて三左衛門が言い放った
「時貞様、ここまで大きくなられたこと、養育していた私は誇りに思いまする。運之丞共々、長い間世話になりました。」
「儂も、三左衛門に育てられ、運之丞と共に暮らせたこと、幸せであった。さらばじゃ。」
立ち止まり後ろを振り返って、そう一言返した。その顔にはもう、涙はなかった。
ガチャガチャと音を立てて、三左衛門はその場から息子の首を携えて走りだした。片手には、息子の首に刺さっていた短刀を握りしめ、涙を滴らせながら、城外に向けて走った。城外に出た途端
「天草四郎時貞の首を打ち取ったり!!!」
と大音声を上げた。
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