「酷い。(むごい)」


運之丞が呟いた、それ以上の言葉が出てこない次に出てきた言葉は


「時貞様、急ぎましょう。ここは、無法地帯となっているのやもしれません。無数の屍が転がっております。野盗どもの巣ともなっておるようです。合流の場所まで一気に登って行きましょう。」


この場から早く立ち去ることを促す言葉だった。たしかに、先ほどの死体と違う衣服をはぎ取られた者や、手足を切られて放置されている者など、恐怖の表情のまま亡くなっている者もいた、悪政のつけはこのようなところにも表れているのだ、長崎のそれなりに警備されたところでさえ、人狩りは横行していた、このように無法な場所となればどうなるかわからない、二人は一目散にその場から走り出した。
前だけを見据えて、険しい山道を必死で走って登っていた。この判断は正しかった、彼らが走ってその場を逃げなければ、二人は野盗に狙われこの場で殺されていただろう。なぜなら、彼らが走って立ち去る姿を、舌打ちして見送った者がいたからだ。

息も絶え絶え、開けた場所まで二人は登りついた、山頂から少し下った場所に父上から指定されていた宿があった、そこで、原城に案内するものが待機していた。これより先は、松倉の領地内に深く入り込むことになる、松倉の息のかかった役人どもが、警備をしているのだ、そこをすり抜けて、原城向かわなければならない。ようやくその宿に着いた二人は、合言葉を言い中に入った。


「よく御無事で来られた。つい先ごろ近くの集落にて松倉が残虐なる行為をしたばかりでの、そこは野盗の棲家ではないかと疑いをかけられて、よく調べもせずに、蓑踊りと称して大人も子供も関係なく殺してしまいよった。その集落があるお蔭で、野盗の襲撃から逃れられたものもいたのに・・・・。今じゃ、あそこは野盗のやりたい放題じゃ。」


そう溢す仲間の言葉に先ほどの光景が思い出されて吐き気がした、年貢の厳しい取り立てに、訳の分からない言いがかりに力のない人々が翻弄され、必死で生きている。助けたい。力になりたい。何とかしたい。そんな思いに駆り立てられる時貞だった。


「四郎様、どうされましたか?」


運之丞の言葉に我に返った、公の場では運之丞は四郎様と呼ぶ。


「儂はどんな顔をしていた?」


「思いつめた顔をされておりました。」


「運之丞・・・。儂は、弱き者の為に生きたいと思う。今までもそうお思うておったが、今日強く思えた。」


「私も、そう思います。」


一晩宿で夜を明かし、日の出と共に宿を発つ、雲仙の山肌からもうもうと白い煙が上がっている、地獄から湧き出る熱湯が外気に触れ熱い湯気となって立ち上っているのだ、硫黄の臭いが立ち込めるなか、時貞を含む一行が合掌していた。仏教式なら気が付かれまいということで、たくさんのキリシタンが落とされ命を亡くした地獄に手を合わせていた。地獄のふつふつと湧き出る音と、時貞の中に湧き出る怒と悲しみの熱泉の音が重なっていた。


無事に山を下り、原城に着いた頃には夕刻になっていた、


「おお!!そなたは四郎か!!また、美しく育ったのう。こまんか頃から綺麗な顔をしておったが、儂を覚えておるか?」


城内の広間にはいると年老いた男が話しかけてきた。この男は、小西行長の家老格の森宗 意軒であった。歳を取ってはいるが、関ヶ原の合戦にも参加していただけありその眼光は鋭く、まだまだ健在であった。


「もしや、森宗様では、お懐かしゅうございます。まだまだ御健在でございますね。」


「この若造が、生意気な口をききよる。お主にはこれから大事な役割を果たしてもらうことになるぞ。まぁ、それは後日わかることとなる。お主の父上には会うたのか?待ち焦がれておったぞ。」


「今、到着したばかりでございますゆえ、まだ・・。」


「そうであったか!!すまぬすまぬ、この奥に待っておる、ささ、早う顔を見せてくるのじゃ。その後は、ゆるりと汗を流されい。ここは温泉が出るでな。」


時貞の背中をバンバンと叩いて、嬉しそうに立ち去っていった。とても60を過ぎた者とは思えない歩き方だった。
原城の中には、このように小西行長の家臣たちが中心となって近隣の指導者たちと連携を取りながら、まとめていた。ただ、その頭となる者が見当たらなかったのである。そこに、益田甚平衛好次の息子、益田四郎時貞の名が上がっていたのだ。人目を引くほどの美貌と、それに比例するかの如く聡明で、指導者としての素質も兼ね合わせていると周りからは評価されていた。知らないでいたのは、時貞ただ一人だった。


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