「益田四郎様、磯部運之丞様、お待ちしておりました。こちらでお休みくだしゃれ。暫くしたら、集落のもんが来ますけんが、お話ばしてくんしゃい。皆待っとたとです。」


時貞がここに寄るということは、早くから段取りをつけていた為か、集落の間で一目彼に会いたいというものがその日を待ち望んでいた、一度にたくさんの者が同じ場所に集まるのは危険ではあったが、幸い山の中の集落であったため、それが可能であった。時貞と、運之丞は嫌な顔一つせず、その願いに快く了解した。彼に会った人々は、この世に本当に救世主が現れたと思うのだった、それは彼がまとうその雰囲気がそうさせるのかもしれない。特に何かをするわけでなく、ゼウスの導く世界を話、共にその世界を目指そうと話すだけなのだが、穢れの無い眼に魅せられるように、皆がその思いに賛同していた。どうしたわけか、時貞と運之丞の行く先々では、呼びもしないのに人が集まってきた、幼い子に話しかけているだけでもふと気が付くと人だかりが出来ているときがあった、あまり立ち止まることは出来ないと判断した二人は、休憩をする場所も人目に付かない場所をなるべく選んで休んでいた。


島原半島の入り口になる愛野に到着した、有明海沿いに原城はあるが有明海の海岸沿いに歩けば長い時が必要となる、また原城の手前に島原藩主松倉の築城する島原城が眉山と雲仙を背後にして建っている、そちらを通るのを避けるためにも反対の愛野の方に時貞と運之丞はいた、橘湾が眼下に広がり、そして、雲仙が遠くに見える。もうここは島原なのだ。この辺は南目と呼ばれる地域で、キリシタンも多く有馬晴信に仕えていた者が、この辺の指導者としていることが多く、味方の地域なのだ。傘で顔を隠して歩いていた二人は、やっと傘を頭から外して歩くことが出来るところまできたのだ。


「汗で、体がべとべとじゃ。臭いまでしてくる。川に入って身体を洗いたいのう。」


「そうはもうしましても、着替えが少ないので・・。」


「じゃがな臭いままだと、やぶ蚊にたかられてかなわん。どこか水場はなかろうか?」


「この辺はよりも、千々石(ちぢわ)辺りのほうが川もあり、水も清いかと。そのまま雲仙を越えて原城も目指すことも出来ましょう。」


「そうじゃな、もうひと頑張り歩いて川に飛び込むぞ。」


これから厳しい現実を目の当りにするというのに、どこか旅行気分の二人だった。それは眼下に広がる海原がそうさせるのかもしれなかった。千々石(ちぢわ)辺りから、雲仙に向かって山を登り始めると、雲仙の山に染み込んだ水が川となって流れ出す箇所が出てくる、水は冷たく、川魚も豊富にいる、若い二人は汚れた身体を洗うべく、川の中に飛び込んだ。ヒンヤリを通り越して冷たくて慌てて川から飛び出して大笑い、久しぶりに子どものようになって水遊びを楽しんでいた。日が天柱に差し掛かり、二人は先を急ぐことにした。雲仙越えは、獣道なのか、人の歩いた道なのかわからなくなるほどの深い森を歩いて行かなければならなかった、その為、日のあるうちに山の山頂には登っていたかった。山に向かって登って行く途中で、二人は我が目を疑うような光景に出逢ったしまった。それは、パッと見ただけでは人とわからない拷問のうえ殺された人たちの無数の死体だった、そして吐き気を起こすほどの臭いが辺りに充満していた。鼻を押さえつつ、そこを通りながら、これから自分が向かう場所がどういったところなのか、どんな状況なのか、ぼんやりと理解させられる光景だった。
時貞は無意識で、懐に掛けてあるクルスを握る格好をしながら、祈りを捧げていた。ここで放置されていた数々の魂が、天国へ向かいますようにと、心の中で叫んでいた。


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