「兄上~!!今日は私のお気に入りを着てくださったのですね。やはり兄上にはその姿が良くお似合いです。そうだ昨夜はなぜに、皆と共に過ごしてくださらなかったのですか?万は寂しゅうございました。」


支度をすませて朝餉の席に顔を出すと、万が飛びついてきた。痛みの残る身体に突進されると、ズキッと痛みが走り顔がしかめっ面らなる、そういうところを見逃してくれればいいものを、万は見逃してはくれない。


「兄上?今とても嫌な顔をなさりませんでしたか?あれ、首筋に青あざが・・・?あああ!!お顔をお怪我されているではないですか!!どうなされたのですか?喧嘩でもされて昨夜は帰ってこられなかったのですか?」


廊下で控えていた運之丞はたまらずブッと噴き出してしまった。容赦ないなぁという顔をしながら時貞が、


「ちょっと野暮な用があったのじゃ。顔の傷はの、運之丞が付けたのじゃ。」


運之丞の吹き出す音が聞こえていた時貞は、すかさず付け加えていた。万はそれを聞くないなや、廊下に飛び出し


「運之丞さま!!兄上のお顔を傷つけんといて!!万の自慢の兄上のお顔なのよ!!もしかして、首についているのも運之丞が付けたの?」


自分にとばっちりが来るとは思ってなかった運之丞は面食らいながらも、


「いいえ万様、たしかに顔の傷は、私が思い余って付けてしまいました。申し訳ございません。以後気をつけまする。しかし、首の方は私ではございません。」


丁寧にあやまりつつ、問題の発端は自分じゃないことをきちんと告げて、時貞にお返しした。どうしても気になるのか、万はまた時貞に詰め寄ろうとしていたが、


「万、よしなさい。そなたにはまだ分からぬこともあるのですよ。兄上は、昨夜、父上の命によって出られていたのです。その時になんぞあったのやもしれませぬが、それは、致し方無いこと。私たちは、無事に戻られた兄上にお会い出来たことを嬉しく思えばよいのです。」


母上が万を諭した、渋々と引き下がり、ふくれっ面のまま朝餉の膳の前に戻っていった。母上とて時貞と時間を過ごしたかったに違いない、しかし事が事、今まで通りに生活を続けることを優先させなければならないことは、戦国の時代を生きてきた者には良くわかるのだ。


「時貞、体の具合は良いのか。無理はするでないぞ。そなたとて、近いうちに長旅の身じゃ。」


「母上。お気遣い嬉しゅうございます。多少、疲れたところがございますが、すぐ治るでしょう。」


多くを言わない母上の優しさが時貞の心を包んでゆく、屈託なく笑う可愛い妹の万、そして、その様子を穏やかな笑顔で見つめてる父上、そんな普通の日常が、この日で最後になるとここにいる皆が分っていた。


「さぁ、朝餉を摂ろうではないか。間もなく出立の刻限がくる。あまり遅くなるわけにはいくまい。万の歩みにかかっておるのだぞ。」


父上の号令のもと、嫁がれた姉上を除く益田家揃っての最後の朝餉となった。


旅装束姿の三人が住み慣れた屋敷から出立して行った。出立前には万は涙で顔がぐしゃぐしゃになっていた。そんな万を抱きしめて送り出した時貞の心には、とよと同じ運命を辿らないようにと願ってやまなかった。そして、母上は、時貞の前髪に手をやり、それを上げて時貞の顔を暫く眺めていた、それは、我が子の顔を目に焼き付けていたのだ。これから歩むであろう苦難の道を、なんとか乗り切ってまた、我が子と会いたいと母親なら誰でも思うその思いを込めながら。最後に自分より背の高い時貞の頭を、幼い子供の頭を撫でるように数回撫でて、屋敷を後にした。


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