益田家の屋敷では、運之丞が一人時貞を待っていた。もう明け方になろうとしている。昨日は、道場から戻って始めて時貞が今日は戻らぬことを知ったのだ。慌てて屋敷から飛び出ようとした時、時貞の父上から止められたのだ。


「運之丞、四郎の好きにさせよ。あ奴はまだ、青い。この経験はあ奴をひとまわり大きくさせることになるじゃろう。」


「お父上様は、四郎様がどこに行かれたのかお分かりなのですか?」


「四郎が今日の為に話を聞きに行った奴じゃがの、儂らの仲間じゃ。故に儂の耳にも入っておった。佐々木のことじゃ、どこに行ったかぐらい見当がついておる。あの者のやることもな。剣の腕はたつ、習うのはよいことじゃ。その先も、経験して損はないじゃろう。時にそれも武器となる。じゃが、寝首をかかれぬように気を付けてもらいたいがの。」


運之丞は何も言えなかった。ただ、心配するだけしか出来ない自分と違い、先のことまで考え、経験として、危うき行動までも許す、四郎の父上がとても大きく厳しく感じた。やはり、戦を経験している大人たちは、身の振り方ひとつまでも、体を通して覚えてきている故に懐が大きく、大胆なのやもしれない。


「じゃが、運之丞。四郎は今日は打ちひしがれて戻ってくるやもしれん。力になってくれい。朝方には戻るであろう。湯殿に湯を張って背中を流してやってくれぬか。四郎にはそれが必要じゃろう。儂はこれからまた島原に行って参る。屋敷の事頼むぞ。」


そう言って、四郎の父上は出かけていった。間もなく戻るであろう時貞を、屋敷から出て探しに行きたい気もするが、時貞の性格を考えても探しに行かずにここで、まんじりと待つ方がよいと判断した。じっと待つうちに、日が昇り始めた。その時、ガタガタっと音がして時貞が崩れるようにして屋敷に戻ってきた。


「お帰りなさいませ。四郎様」


ビクッとした時貞の顔には、驚きが浮かんでいた。身なりはきちっとして戻って来てはいるが、やつれた感がぬぐえない。運之丞の顔を見て笑顔を作ろうとしている時貞が突然その場に崩れ落ちた。


「四郎様!!」


慌てて駆け寄り抱き起そうとすると、その手を振りほどき自分で立ち上がろうとしている。その顔には羞恥の色が浮かんでいた。


「触るな運之丞。儂に触るな。儂はなんと愚かなことをしてきたのであろうか・・・。」


いつもにない時貞の様子から、ふり払われた手を仕方なく身体の横におさめつつ、何事もなかったかのように話しかけた。


「四郎様、湯殿に湯を張っております。お父上様からそう言伝を受けて、お待ちしておりました。」


「父上が?」


そう聞き返す時貞に、頷いて答えることしか運之丞には出来なかった。たくさんの言葉をかけたいのに、時貞の様子をみると言葉がかけられなかった。


「運之丞・・・・父上は知っておられたのだな。儂のやることなんぞ、幼稚ということよな。」


「お父上様は、幼稚などと一言も仰せになられませぬ。四郎様が大きく成られると、信じておられます。」


悔しそうに唇を噛みながら、必死で涙をこらえている時貞が、運之丞には辛かった。


「わかった。運之丞、湯殿に参る。塩を持って来てくれぬか。浄めたい。」


それ以上何も言葉を発することなく、時貞は湯殿に向かって行った。運之丞は言われたとおりに塩を湯殿に持って行き、そのまま外に出て、かまどに火をくべていた。ちょうど良い湯加減になるように気を配りながら、時々、窓から時貞の様子を見ていた。暫くは湯につかっていたのだろう物音ひとつしなかった湯殿から、バシャ、バシャと水音がしてきた。塩で身体を磨いているのかもしれない、時々呻くような声が外に漏れ聞こえて来ていた。



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