その者が、今日は道場へ顔を出しているということは、今日はないということだ。彼を道場で見つけて、四郎もそれがわかった。時として、彼が道場に顔を表してなく、父が情報を得てない時などは、時貞か、運之丞が戻り、蓑をかけて道場に戻るようにしていた。

時貞を見つめていた、その男が時貞に近寄り、


「磯部四郎殿、お手合わせ願いたい。」


そう申し出た。時貞に断る理由は何もない、それどころか実戦経験を持つ武士に稽古をつけてもらうは実践経験のない者にとってはまたとない機会、


「それはありがたい申し出でございます。私の腕も磨かれるというものです。よろしくお願いいたします。佐々木様」


この時はただの稽古の一環と時貞は思い、快くその申し出を受けた。
しかしこの申し出をした佐々木は稽古をつけるつもりなど全くなく、どちらかと言えば、時貞の腕を調べるつもりで手合わせを願ったのだ、それを見ていた道場仲間の一人が運之丞に近づいてきて、眉をひそめながら話しかけた。


「四郎殿、大丈夫だろうか?佐々木殿はもしやしたら・・・。」


「佐々木殿がどうかいたしたのか?」


「おぬし佐々木様の噂、やはり知らぬのか・・・。四郎殿は狙われているのだよ。手合わせは、腕試し。四郎殿の剣の腕を試して、自分より弱かったらあとで手籠めにするつもりかもしれん。もっぱらの噂と言いたいのだが、これでえらい目にあってる者がおるからなぁ。どうもそいつに飽きたんだな。次の狙いは四郎殿ってことかもな・・・。四郎殿は普通の感覚の男が見ても、見惚れてしまうくらいだからのぉ、その気の強いものなら・・・。」


「・・・・・。」


今頃そのようなことを耳打ちされても、運之丞にはどうすることも出来なかった、ただ、時貞がこの手合わせで佐々木を上回ることを祈るしかなかった、しかし、結果は見えているようなも、佐々木の顔を見れば、薄く笑いを浮かべた唇に、己の舌を這わせていた。カエルを見据えた蛇のようだと運之丞は思った。

時貞はといえば、なにやら薄気味悪い気合が、佐々木から漂ってきていることに気が付いた、自分を見る目が尋常じゃなく、唇をなめる舌が蛇の舌に見えて気持ち悪いほどだ。ぶるっと背筋に走るものを感じつつも、表面上は平静さを保っていた。


審判役の侍が


「始め!!」


と号令をかけると共に互いに一声あげて間合いを詰めた。時貞の剣が先に動いたが、その動き事態を予測していた佐々木にはいとも簡単によけられ、懐にズッと寄られ危うく脇を払われるところを何とか剣で受け流した。
どう見ても、佐々木の剣技に時貞の腕は到底及ぶものでもない、それとわかっていて手合わせを申し込んだのだ。上手い者が、指導を兼ねた手合わせを持ちかけるのは普通なのだろうが、それとは少し違う何かが漂っていることを時貞も感じてきていた。それでも、この手合わせを力の差は歴然といって断るわけにはいられない時貞の思惑もあった。

勝負はすぐに着いた。時貞の完敗であった。肩で大きく息をつく時貞に佐々木が近寄り、


「貴殿の太刀筋は悪うない、もっと鍛えられれば強うなられることでしょう。この儂が貴殿に個人で稽古をつけてみてもかまわぬ。よい返事を期待しております。」


そう言い残し、道場を去って行った。本心で言うたのか、その先を行うために言うたのか定かではないが、四郎とし

ては相手の懐に潜り込む絶好の機会と考え、密かにしてやったりとした顔で汗をぬぐっていた。


道場を後にした四郎と運之丞は、坂の上の屋敷に帰るべく道を歩いていた、先ほどの手合わせの事を気にかけていた運之丞は、思い切って四郎に話しかけた。


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