またまた号泣してしまいました。会社の同僚から借りた本です。
人の生死がからむモノは、泣く予定がなくても泣ける![]()
タイトルでわかるように、1985年に起きた、群馬県御巣鷹山の
日航機墜落事故に関する本です。
書いたのは、当時現場で遺体の確認作業に当たった元警察の方です。
8月12日の事故発生から、身元確認作業がほぼ終わった9月29日までの凄惨な状況を、警察官の目から書かれています。
真夏の事故現場で、520名という被害者の遺体を、一人一人、
遺族の心情を考慮しながら確認していく作業というのは、
常人の想像を絶することだったと思います・・・・・・。
同じ日航機墜落事故を書いた『クライマーズ・ハイ』は、
地元新聞社の記者からの目線でしたが、こっちは実際に
現場に従事した警察側の話なので、リアルで泣けます・・・。
実際に遺体確認作業が始まったのは、事故発生から
二日後の14日からなんですが、最初運ばれてきた遺体は
損傷が少なく、完全遺体が多かったけれど、日が経つにつれて、
離断遺体といって腕だけ、とか足だけ、とかひどいものになると
内臓だけ、といったのが増えていったそうです。
幼児も14名乗っており、皆子供の確認作業はイヤだったそうです。
同じ年頃の子供を持つ人は、辛くて見ていられないという気持ち、
せつないですね。。。
看護婦(当時はそう呼んでたんでしょうね)さんたちは、
遺体をキレイに清拭し、髪をとかし、遺体が女性なら化粧を施し、
胸には布を巻いて遺族に会わせたそうです。
私の号泣ポイントは、全287ページの中で、150ページのこの部分でした。
「胴体から切断され、両下肢も火傷で焼失している第四度(炭化)の遺体。つまり、下腹部と両大腿部だけの真っ黒焦げの離断遺体である。
八月も、もう過ぎようとしているころであった。未確認の遺体も残り十数体となっている。
確認された遺体の部位は、520人の人体図に色分けして塗りつぶしていった。火傷のない遺体は青、炭化遺体は赤、火傷遺体は黄色というふうに。
だから、下腹部から大腿部にかけて確認になっていない被害者と、遺体の性別、年齢、血液型の三点が合致すれば、特定できるはずである。
まず遺体のレントゲン撮影をしたところ、骨盤の状態から女性であることが判明。
次に、群馬大学法医学教室の古川教授と同大学第二解剖学教室の藤巻助教授に年齢の鑑定を依頼する。鑑定結果は、恥骨縫合の状態から、60歳前後の女性。(←ここで既に泣いている)
さらに、科捜研で恥骨の一部を使用して、血液型検査をしたところ、A型と判明。
下腹部から大腿部の帰らない、60歳前後の女性は一人であった。血液型も一致した。
ご主人とお嬢さんは、体育館に通い続け、必死に妻を、母をと探しつづけていた。大淵所長の科学的な説明に、遺族は納得した。
涙ながらに礼をいう遺族のやつれきった顔に、やっと安堵の色が浮かんだ。」
まぁ、なんでここで泣いたかは、わからないと思うんですけど、
多分読み続けてきたページ数と、60歳前後の女性っていうのと、
妻と母を探しに来た親子ってのがググググっと来たんでしょう。うん。
当時私は小学生だったので坂本九さんが乗っていて亡くなったことしか
覚えてなかったけど、日航機の事故については、テレビとかでも
特集を組まれていたりして、東京から大阪に向かっていた便だった
ということとか、夏休み中だったので一人で乗っていた子供がいたことや、
東京の大学に通う娘を、「早く会いたいから」と無理にこの123便に
乗せてしまった母の後悔など、520人の犠牲者と、その方たちの
周りの人たちの悲しみを見ていた割には、なぜかこの本の方が、
自分の胸にささりました。なんでかは分かりません。
この本の中でも、息子夫婦と孫をこの事故で亡くした
おばあちゃんが出てきて、孫と嫁の遺体は見つかったけど、
息子の遺体がみつからず、やっと見つかったのは
下顎部と歯牙の一部だけ。
「皆がここまでやってくれたんだから、息子も許してくれるでしょう。」
と言ったおばあちゃんに、医師も警察官も泣いてしまったそうです。
「家族に看取られて死ねる人は幸せ」とは、ある看護婦の言葉です。
この言葉が、この悲劇に立ち会った人の正直な気持ちなんだと思いました。

