独り言ですから。(誰ニモ見ツカリマセンヨウニ…)

独り言ですから。(誰ニモ見ツカリマセンヨウニ…)

うつ病になって、外に出たくなくて、仕事も辞めて、寝てばかりいる私のほんの些細な独り言。
誰も読まないでほしい。

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なんとか生きている


生きることに精一杯で

仕事とか恋愛とかそういうレベルの高いことはまだまだ難しい


生きるのって大変だなあ


生きてるだけでもお金がかかるもんね


仕事もして恋愛もして結婚や出産なんかでがんばっている人って本当に凄いと思う


尊敬する



仕事も休みがち

首の皮一枚で繋がっている状態だが

それもどこか自分のことではないような不思議な感覚


なんだろう


うつは治らないっていうもんね


死にたいと思うことは少なくなってきたけど

外に出るのはまだちょっと怖い


家の中が一番安全だもん


なんとか生きているっていう状態を理解してくれる人はなかなかいないし

理解してもらいたいっていう気持ちもなくなってきたかも


家で出来る仕事とかあるといいなあ





今日も独り言である。


子宮筋腫について。

もともと数年前の子宮頸がん検診の際に、筋腫については告げられていたのだ。

正直ものすごくショックだった。

子宮筋腫についての知識など何もなく、ぼんやりと、子供が産めなくなるのか、

はたまた子宮摘出しなければならないのか、などと頭の中を考えがグルグル回った。


しかし、その時は「まだ若いし、筋腫も小さいからこのまま経過を観ましょう」と言われた。

少し安心したものの、帰宅してから大慌てでネットで筋腫について調べたけれど。


そして、愚かな私は、まだ小さいなら平気だろうとたかをくくって、

その後何年も検診せずにいたのだ。


後悔先に立たず。


その後、辛い生理痛や体調不良に悩まされ、ついには手術となるわけである。

もしこのブログを見つけてしまった方には伝えておきたい。

ちゃんと検診に行ったほうがいい。

自分は大丈夫だろうと思う気持ちはとてもよくわかる。

わかるけれど。

ちゃんと調べたほうがいい。

自分のためだけじゃなくて、自分のまわりの大切な人のために。


私の本格的な治療は5月1日から始まった。

地元の婦人科から紹介してもらった病院で、5月1日にリニューアルオープンだったのだ。

私の筋腫は約10センチ程あり、そのくらいの大きさになると大抵開腹手術となるようなのだが、

紹介してもらった先の病院は腹腔鏡手術を主にしているところだった。


MRIの結果と、紹介状を持参し、ドキドキしながら順番を待った。

院内はとても混雑していた。

リニューアルオープンの初日だからこんなに混んでいるんだろうと思ったが、

その後通院のたびに最低1時間半は待ち時間が出る人気病院なのだということを

知ることとなる。

最長4時間待ちだったこともあり、その日は午後3時から待っていたのに

病院を出たのは日もとっぷりと暮れた夜8時であった。

別に愚痴を言っているわけではない。

もともと時間を潰すのは得意なほうだし、院内にカフェもあり、コーヒーを飲みながら

待つ事だってできるのだ。

驚いたのは、婦人科に通ってくる人がこんなにたくさんいるんだ!ということだ。

その病院は不妊治療に力を入れており、旦那さんと一緒に来ている人も多かった。

私も連れに一緒に付き添ってもらっていた。


みんな悩んで通ってきているんだ。

なんだか少し心強く感じた。


診察室に呼ばれ、中に入ると院長先生が座っていた。

とても疲れた顔をしていた。

オープンのために様々な準備があり、おそらく昨夜も遅くまで作業をしていたのだろう。

そこにきてこの混雑である。疲れて当然だ。

それが一瞬にして伝わり、「先生、頑張れ!」と心の中でエールを送った。


先生の判断は、私の筋腫の大きさでは現状は開腹手術が必要だが、

注射で強制的に生理を止めて、時間をかけて筋腫自体を小さくすれば

腹腔鏡手術が可能だということだった。


私の筋腫、切腹ではなく、なんとか腹腔鏡手術でとってもらいたい。

院長先生にすがるような思いだった。

不安はあるが、希望は見えた。

その時点で手術の順番は117番目。

いつになるかわからない状態で、手術の順番待ちとなった。


その日は血液検査のための採血だけだったか

子宮体ガン検査もしたのか、記憶が定かではないが。

子宮体ガンの検査は痛かった。ものすごく。

今までの人生で初めての種類の痛みであった。

震えるほど痛かった。

今思い出してもガクブルである。


まあとにかく、結果を聞きに行った日から注射が始まった。


私が打ったのはリュープリン注射というもので、約4週間に1度打つ。

最長6ヶ月に渡ってしか打てないらしい。

1度打つと1万円という高額な注射である。

でも生理がないという快適さと交換ならば仕方がない。


こうして、私の子宮筋腫の治療が始まったのである。


ちょっとでも筋腫が小さくなってくれますように…。

祈るような気持ちだった。


これを書いている今は、もう手術が終わって約1ヶ月が経とうとしている。

そう。無事に腹腔鏡で手術できたのである。

今は、もう筋腫が出来ませんように…。と祈っている。


自分の覚書として、入院・手術の時のことなども書き留めておこうと思う。


とにかく検診に行くこと!


MRIの写真も載せておこう。

もうこんな風にならないように。




独り言ですから。(誰ニモ見ツカリマセンヨウニ…)-子宮筋腫さん




長い独り言。


頭のなかに、もやがかかっているのである。

それも、常に。

晴れることがないのだ。

そのもやが、漆黒の闇の色の時もあれば、灰色の時もある。

ほんのひと時、乳白色になる時もあるけれど。

でも、晴れることは、ない。


ああ、私は阿呆になってしまったんだろうか。


首を右に少し傾けて、ぼんやりと虚ろな目を開き、半開きの口の端からよだれを垂らしている姿が

私にはお似合いな、最も自然な姿なのではないだろうか。

そのまま一年でも二年でも暮らしていけたら楽だなあ。

そう思う自分と、

1日も早く病気を治して働かなければならないと思う自分が、混在している。


でも本当はどちらも嫌なのだ。どうにもなりたくない。考えられない。

少しずつ狂ってきていたのだろう。

今年はいろいろありすぎたから。

1月頃から退職者が相次ぎ、異常に忙しくなったことからはじまった。

日々のプレッシャー、残業、クレーム応対。上司への不信感。辛かった。

でもなんとか乗り越えられると、そのときは思っていたのだ。


毎日毎日残業。

帰宅しても落ち着かず、わずかな時間のなかで

TVをみながらマンガを読み、同時にスマホもいじって…。

でも結局何も手に付いていない。

1つのことに集中できなくなっていたのだ。

焦燥感だけが空回りしていた。


まず理解力が低下し、物覚えが悪くなった。

活字を読んでも頭に入ってこないのだ。感覚としては自分の外側で「見ている」だけ。

だからすぐに忘れてしまう。


判断力・集中力の低下。なにも決められない、なにも手に付かない。

言いようのない不安ばかり襲ってくる。

なにもしたくない。無気力感。

なにかしなければいけない。焦燥感。焦燥感。焦燥感。焦燥感。。。。。。

そのくせなにもできない。絶望感。

そう。私はまったくの無力なのである。無力。


眠れない。眠れたとしても一時間おきに目が覚めた。

「興味」がない。

食べ物が美味しくない。

無関心。


究極に仕事が忙しいさなかの3月。

親族のガンの再発・手術。

同時期に母の大腸ガン発覚・入院・手術。


4月。

結局親族は亡くなり、母のガンはリンパに転移していた。

私の体調は最悪で、婦人科で巨大子宮筋腫が見つかった。

次の週、初めてMRIを撮った。

かわいそうに、私の子宮は筋腫に押しつぶされてぺしゃんこになっていた。

手術で摘出しなければならないと告げられた。

仕事も休みがちになった。

一時間おきに目がさめてトイレに行くのは、

巨大筋腫が膀胱を圧迫していたことも原因の1つだったようである。


5月。

紹介された病院で手術の順番待ちをすることになった。

会社側の判断で、中旬から一ヶ月、仕事を休むことになった。

急に出来た大型連休に、何か有意義なことをしなければならない!

そう思った私は、いろいろなことを考えた。

なんのことはない、あの本を読もうとか、あの棚の整理整頓をしようとか

普通に考えて出来ないなんてことはありえないような簡単なことばかりだったのだけれど。


でも、本を読もうとして手を伸ばした瞬間に、まさにその瞬間に、気力が一気にゼロまで急降下する。

そして私は、伸ばした手をだらんと下げて肩をおとす。


できない。


そんなことの繰り返しで、

私は毎日とにかく全てに焦りまくりながら

家のなかをただうろうろと歩き回っていた。時には小走りで。

その様はまさに、昔見た事がある動物園の白熊の常同行動そのものだった。


なにかがおかしい。


ある日親友に、私の身に起きている様々な現象を打ち明けたら、

それはまさにうつ病の症状だと教えられ、私はとても驚いた。

そう。その時とても驚いたのだ。

まさか自分がうつ病だとは思っていなかったのである。


5月28日になってやっと、心療内科に行った。

初診時のカウンセリングで自分の身に起きていることを話しながら号泣。

そのとき初めて、自分がうつなのだと受け止めることができたような気がする。


人混みで、みんなが自分を見て笑っていると感じる人がいるというが、

そんなものは自意識過剰なだけで、誰もあんたなんか見てないし!と思っていた。

でもその頃には、それが自意識過剰ではないんだということが初めてわかった。

本当に見られているような気がするんだね、あれって。

だから下を向いて、体を強張らせて、目だけをぎょろぎょろ動かしながら足早に歩く。

そんな歩き方をする自分を初めて目の当たりにして、我ながらショックだった。


6月。

中旬から仕事復帰。

会社は、来れるときだけ来てくれればいいよという優しいスタンスでいてくれた。

結局出勤できたのは5日。

対人恐怖で動悸が激しくなるのが辛かった。


7月。2日だけ。

8月。0日。

今思うと少し笑えるけれど。本当に行けなかった。

朝起きれない。外に出るのが恐い。

明日は行かなければ、明日こそは…!…また行けなかった…。私は最悪だ。

みんなに迷惑をかけている。お荷物なんだ。いないほうがいいに違いない。

会社から、一旦退職して、治療に専念したほうがいいのではないかと提案された。

仕事を失う恐怖もあったが、それしかないと私も同意した。

そして、はれて無職と相成りましたとさ。


そして今の生活が始まった。


長い長い独り言。