長い独り言。
頭のなかに、もやがかかっているのである。
それも、常に。
晴れることがないのだ。
そのもやが、漆黒の闇の色の時もあれば、灰色の時もある。
ほんのひと時、乳白色になる時もあるけれど。
でも、晴れることは、ない。
ああ、私は阿呆になってしまったんだろうか。
首を右に少し傾けて、ぼんやりと虚ろな目を開き、半開きの口の端からよだれを垂らしている姿が
私にはお似合いな、最も自然な姿なのではないだろうか。
そのまま一年でも二年でも暮らしていけたら楽だなあ。
そう思う自分と、
1日も早く病気を治して働かなければならないと思う自分が、混在している。
でも本当はどちらも嫌なのだ。どうにもなりたくない。考えられない。
少しずつ狂ってきていたのだろう。
今年はいろいろありすぎたから。
1月頃から退職者が相次ぎ、異常に忙しくなったことからはじまった。
日々のプレッシャー、残業、クレーム応対。上司への不信感。辛かった。
でもなんとか乗り越えられると、そのときは思っていたのだ。
毎日毎日残業。
帰宅しても落ち着かず、わずかな時間のなかで
TVをみながらマンガを読み、同時にスマホもいじって…。
でも結局何も手に付いていない。
1つのことに集中できなくなっていたのだ。
焦燥感だけが空回りしていた。
まず理解力が低下し、物覚えが悪くなった。
活字を読んでも頭に入ってこないのだ。感覚としては自分の外側で「見ている」だけ。
だからすぐに忘れてしまう。
判断力・集中力の低下。なにも決められない、なにも手に付かない。
言いようのない不安ばかり襲ってくる。
なにもしたくない。無気力感。
なにかしなければいけない。焦燥感。焦燥感。焦燥感。焦燥感。。。。。。
そのくせなにもできない。絶望感。
そう。私はまったくの無力なのである。無力。
眠れない。眠れたとしても一時間おきに目が覚めた。
「興味」がない。
食べ物が美味しくない。
無関心。
究極に仕事が忙しいさなかの3月。
親族のガンの再発・手術。
同時期に母の大腸ガン発覚・入院・手術。
4月。
結局親族は亡くなり、母のガンはリンパに転移していた。
私の体調は最悪で、婦人科で巨大子宮筋腫が見つかった。
次の週、初めてMRIを撮った。
かわいそうに、私の子宮は筋腫に押しつぶされてぺしゃんこになっていた。
手術で摘出しなければならないと告げられた。
仕事も休みがちになった。
一時間おきに目がさめてトイレに行くのは、
巨大筋腫が膀胱を圧迫していたことも原因の1つだったようである。
5月。
紹介された病院で手術の順番待ちをすることになった。
会社側の判断で、中旬から一ヶ月、仕事を休むことになった。
急に出来た大型連休に、何か有意義なことをしなければならない!
そう思った私は、いろいろなことを考えた。
なんのことはない、あの本を読もうとか、あの棚の整理整頓をしようとか
普通に考えて出来ないなんてことはありえないような簡単なことばかりだったのだけれど。
でも、本を読もうとして手を伸ばした瞬間に、まさにその瞬間に、気力が一気にゼロまで急降下する。
そして私は、伸ばした手をだらんと下げて肩をおとす。
できない。
そんなことの繰り返しで、
私は毎日とにかく全てに焦りまくりながら
家のなかをただうろうろと歩き回っていた。時には小走りで。
その様はまさに、昔見た事がある動物園の白熊の常同行動そのものだった。
なにかがおかしい。
ある日親友に、私の身に起きている様々な現象を打ち明けたら、
それはまさにうつ病の症状だと教えられ、私はとても驚いた。
そう。その時とても驚いたのだ。
まさか自分がうつ病だとは思っていなかったのである。
5月28日になってやっと、心療内科に行った。
初診時のカウンセリングで自分の身に起きていることを話しながら号泣。
そのとき初めて、自分がうつなのだと受け止めることができたような気がする。
人混みで、みんなが自分を見て笑っていると感じる人がいるというが、
そんなものは自意識過剰なだけで、誰もあんたなんか見てないし!と思っていた。
でもその頃には、それが自意識過剰ではないんだということが初めてわかった。
本当に見られているような気がするんだね、あれって。
だから下を向いて、体を強張らせて、目だけをぎょろぎょろ動かしながら足早に歩く。
そんな歩き方をする自分を初めて目の当たりにして、我ながらショックだった。
6月。
中旬から仕事復帰。
会社は、来れるときだけ来てくれればいいよという優しいスタンスでいてくれた。
結局出勤できたのは5日。
対人恐怖で動悸が激しくなるのが辛かった。
7月。2日だけ。
8月。0日。
今思うと少し笑えるけれど。本当に行けなかった。
朝起きれない。外に出るのが恐い。
明日は行かなければ、明日こそは…!…また行けなかった…。私は最悪だ。
みんなに迷惑をかけている。お荷物なんだ。いないほうがいいに違いない。
会社から、一旦退職して、治療に専念したほうがいいのではないかと提案された。
仕事を失う恐怖もあったが、それしかないと私も同意した。
そして、はれて無職と相成りましたとさ。
そして今の生活が始まった。
長い長い独り言。