思い出したビックリマーク今日は義父の誕生日。

おととい、娘から『おじいちゃんってどんな人?』と
急に聞かれて、えー?はてなマークとなった。
そういえば、末っ子は抱かれることはなかったから知らないな。
だけど、話してあげることもなかったな。

接する人で、イメージが違う人。
怖いという人
頼りになるという人
町内のためにいろんな役を引き受けて尽力する人
好かれたり、嫌われたりも多かったのかな。

わたしは好きだった。
仕事も遊びも全力投球する人
負けず嫌いがピッタリだと感じた。
だけど、買い物いくのに財布忘れたりしてドジでもある。
昼間テレビのチャンネルを握ったままうたた寝しててさ、
おばあちゃんが、朝ドラの再放送見ようとして
そ~っとチャンネルへ手を伸ばしたら、
パッと起きて『おいがテレビ見よっとムキー』って…
これを繰り返す二人のコントがおもしろかった。
実際、おばあちゃんは朝ドラを朝見てるゲラゲラ

一言多い義母は、
知らず知らずに義父の神経を逆撫でしていて。
物を投げられたり、叩かれたりしたらしいが
とてもとても大切にされていた。
で、義母は、
「怖かったけど、あなたが来てから変わった」と言った。

義父は自称、鬼瓦のような顔だそうだ。
だけど、とてもとても子どもに好かれる。
子どもが寄ってくる。
本当に他人の子も寄ってくるほど人気者だった。
高い高いやり過ぎて、時々落としたりもする。
腕を持ってグルグル回していたら腕が外れたり、
たんこぶできたら、水を塗って砂糖をつけた時は
驚いたが、即引いた。
子供の頃からのお話は度肝をぬかれるが、
とても興味深い人生だと思って聞いていた。
話すのは義母なのだけれど。
色々物知りで、本をよく読んでいた。


義父のことを書くつもりはなかったのに
日付を書いたとたんに思い出して、
書き始めると涙が出てくる。
悲しくもなく嬉しくもないのに

義父亡きあと年月を重ねた時に
義父がわたしに残してくれていたものに気がついた。

苦境にいた家族が助けられた時、
それは義父のおかげで繋がることができたご縁であったということ。

苦境にいた時に、たくさんの人が声をかけてくれた。

朝晩のご仏壇での般若心経や神社仏閣お寺によくお参りする人で
どこかの骨董品屋さんで目があった観音様を連れて帰ってきたり。

わたしは家に神棚も仏壇もない家から来たので
すごいなぁと思っていた。

先に病気になった義妹の病気平癒のため
ご祈願に朝5時に起きて通った。
1度ついていったわたしは、
そこに書かれた龍神様と観音様に涙が溢れるという初めての経験をし、
不思議な体験をする。
今まで信じたことも経験したこともないことだった。

病院で完治するのが難しいとき、みんな祈るよね。
祈ってくれる人がたくさんいたと思う。
紹介してもらった氣を扱う先生のところへ行ったら
すんごく変わった面白い先生で、義父はその先生が好きだった。

義父が病気にならなかったら、逢うことがなかったと思う。

わたしたち家族は今でもお世話になっていて、
いろんなことに気づかせてもらう。
子ども達がこんなに素晴らしい子になったのは、
道に迷った時に先生の言葉があったからだ。
そこで親も子も気がついて修正できた。

だから、義父は亡くなってからも救ってくれてる。
本人はそんな意図はないのだけれど、
歩んできた道のりが未来の私たちを救ってくれている。
だから、義父を含め亡くなった方が残してくれたものは
姿はなくても、見えなくても、感じなくても、
大事なものを受け取ってずっと繋がっている。


それで今日はケーキを買って、想い想いのおじいちゃんの話を
末っ子に話して聞かせてあげる会を開こうと思ってる。
ま、おばあちゃんの独壇場になること間違いなしだと思うけどゲラゲラ



ということで、お墓参りに行ってきました。
曹洞宗のお寺です。
そういえば、嫁いで般若心経を唱えることができるようになったんですけれど
わたしの実家の母方の供養へ行ったとき、
「あれ?南無釈迦牟尼仏って言ってる」?うーん?
不思議に思って母に
「おばあちゃんち南無妙法蓮華経だよね」って聞いたら
「えぇっガーン南無釈迦牟尼仏だよ」って…
30近くなるまで、わたしはおばあちゃんちのご仏壇でずっと唱えていたので、一体誰から習ったのか不思議でならなかったお話ですゲラゲラ