四万十町立図書館の蔵書「風をつかまえた少年」(ウイリアム・カムクワンバ著 文芸春秋)の独学少年風力発電機製作の内容中の「2002年マラウィ飢餓」情報を紹介させて頂きます。

 

以下は、2001年11月にトウモロコシの価格が突然2倍になってから、たったの3ヶ月で道端で国民が普通に死んでる風景が出現したというプロセスの要約です。

 

マラウィでは2000年12月の雨期開始にあわせていつものように蒔いた主食であるトウモロコシの種と肥料が大洪水で流失。種と肥料価格が値上がりする。

 

2001年2月、 炎暑と旱魃でトウモロコシが生育せず。3月から5月までの収穫期にトウモロコシ収穫はたったの5袋(著者の中学生のトウモロコシ農家では通常どのくらいの収穫か記述無し)。もうマラウィで食糧危機が確実になった6月頃、IMF(悪名高い世界銀行)からの負債返却圧力で、なんとこともあろうにマラウィのムルンジ大統領は国の備蓄穀物をすべて売却する。

 

9月下旬になるとマラウィ奥地からトウモロコシを食べ尽くし、鍬を持った日雇い労働で報酬としてトウモロコシを求める難民集団が現れるが、どの大農場にも仕事は無い。義人の族長が昔からのしきたりどうりに彼等の面倒を見る。

 

11月になるとトウモロコシ価格は2倍になる。通常、家畜用の餌にするトウモロコシの実の薄皮ガガをトウモロコシに混ぜて食べるようになりガガの価格は10倍になる。著者の家の5袋のトウモロコシはもうたったの2袋で、次の収穫期まで210日もある。著者の家も朝食が無くなる。トウモロコシを買うため父親は大切に飼ってきたヤギを売る、みんながヤギを売るのでヤギは2割り値下がり。皆が次から次へと家畜を売るので、お金持ちにとって鶏もタダ同然になる。道端で国民が倒れ死ぬようになってもムルンジ大統領はどんな手も打たない。演説に来た大統領に飢餓をなんとかして欲しいと発言した族長を陰に連れて行って役人達に殴らせる。族長は殺されないように遠くの病院でこっそり怪我の治療をする。

 

12月のトウモロコシの種蒔き時には著者も1日1食になる。国民は大切な家具をもタダ同然で売るようになる。クリスマスになんとか肉を食べたい著者の少年たちは太鼓を作ると称して肉屋からヤギの皮を手に入れ毛を焼いて薪が無くなるまで長時間煮て腹一杯食べる。堅いので顎が痛くなるが翌日も食べる。

(余談→この章を読んで感動した私も、一番皮の分厚そうな大雄鹿の皮付き後足を焚き火に乗せた鉄柵の上で回しながら毛だけを焼いて、黒く縮れて焦げた毛をナイフでこさげ落とし、丁寧に洗って、皮を剥ぎ、皮を3センチ角に切って鍋に入れ砂糖醤油で数時間煮ると、ぷりぷりに柔らかくなり、コラーゲンたっぷりで極めて美味しく頂けた。)

 

2002年1月、種蒔きしたトウモロコシ畑に恵みの雨が降る。2001年11月に通常の2倍になったトウモロコシ価格は以後たったの3ヶ月で通常の6,6倍になる。著者の中学校では生徒70人中50人が学費を払えず学校をやめる、著者もやめる。栄養失調でおなかがふくれての餓死者が道端に倒れている日常風景のなか、裕福な商人やお金持達は肥え太り悠々とバーベキューをしている。栄養失調が悪化すると、ガリガリに骨と皮ばかりになり、やがて腹部や顔や足に水がたまってふくれあがり死ぬ。この段階に至ってもムルンジ大統領は飢饉と飢餓の報道を一切しない。「ラジオのリポーター:大統領閣下、食糧不足のために国中で多くの人々が飢え死にしつつあります。この状況にどう対処なさるおつもりですか?ムルンジ大統領:餓死した者はまだひとりもいない!」

 

2002年2月、中学校ではほとんどの生徒が登校しなくなり、先生たちも午前9時には「もう休み時間にする。」と言い残して畑や商店街に食べ物をさがしに行くが、やがて全校休校になる。雨と栄養不足のためコレラが流行するが順調に生育しつつあるトウモロコシ畑。

一日一食、ひとり三口ずつの皿を家族で回す。「父さん食べないの?」「いや、父さんはいい。おまえたちがさきに食べなさい。」という家族思いの父親の眼が栄養失調のため一時的に見えなくなる。

マラウィで一番先に実り始めた地域のトウモロコシ畑で槍と大鉈を持った見張りの集団がトウモロコシ泥棒を殺す事件が発生する。2月27日やっとムルンジ大統領のメッセージを報じた「この国は飢餓の危機に瀕している。」

 

2002年3月、やっと著者のトウモロコシ畑でも収穫が始まり、おなかいっぱい食べる。自分のトウモロコシ畑を持たない難民たちは雨の夜、他人の畑のトウモロコシをしかたなく盗んで食べる。

 

2002年5月、豊かなトウモロコシの収穫が終わり、マラウィは活気を取り戻した。衰弱した体を引きずるようにさまよっていた人々が、今は子供をおぶったり、頭に大きな包みをのせたりして奥地の故郷へ帰って行く。