最近PCを変えました。

おかげで設定がイマイチで

今回、字が小さいです。すみません。


そんなわけ?で今回は”字”がテーマです。




北海道はまだまだ寒くて

全国的には桜が咲いてるという

のに札幌は花びらの変わりに

雪がチラリチラリと落ちてくる。


おかげで
ストーブの夏休みはまだ先の

事になりそうですね。



僕も最近まで余り体調が良くなく

それを理由に家に引きこもって

いたのですが、そういうわけにも

いかず冬眠明けのイボイノシシ蛙

のように這って外に出なければと

思い呼吸を整え、貯め込んだ作業を

開始している次第です。ケロケロ



さて奥芝氏は最近、路上デビューした

らしく、何でデビュー?といいますと

「書道」でして、路上で出会った人たちに

奥芝氏が心に思った言葉を書に綴る

というものらしい。



以前、旭川亭を作っている時に

奥芝氏がでっかいスケジュール帳に

長島監督的あるいはモダン抽象的な

発言ばかりの彼にあるまじき丁寧で

きれいな文字に感心してしまい思わず



「あんた、写経でもしたら?」



なんていった事がある。



「趣味が無いのです」

と本人はいつも気にしていて

なにやら音楽を始めたかと思えば

尺八だったりと迷走したりしていたが

(注*尺八は立派な趣味ですが余りにも

突拍子が無いタイミングだったので)

楽しそうに続けられる事が見つかって

良かったですよ。



和製なビートニク思想を天然で持ってる

奥芝氏ならではの「書」に僕は興味がでて

きたので、今度、冷やかし・・・じゃなく

応援に行ってきます。



偉そうに語るようで申し訳ない

のですが「書」「絵」「音」その他

諸々の芸表現は「比喩の共同意識」

みたいな物ではないかと思うのです。



絵では音は鳴らない

書では絵が見えない

音でもまた然り



だけど



夕方の絵を見てその絵から



「故郷の匂いを思い出した」

「切ないメロディが流てるな」

「お腹がすいたー」



とか 『目で見た』 以外の

感情や感覚が心の中で

芽生えればそれは上手い下手を

通り越して表現としては成功

なのではないかと。

それが「書き手」と「見る人」

同士が――



「あー、わかるよ、コレ!」



と、なったとき上記の

「比喩の共同意識」

が成立するのだと思うのです。



それは直接に事柄を伝える

記事や映像なんかとは

比較にならない楽しさがあります。



小説を読んで主人公の気持ちが

わかったり、生々しい表現に頭の中で

映像が浮かんだり、

なんてそうですよね。



正確さにおいては問題がありますが

それが良いのです。



みんなが見た故郷の夕方は

それぞれなのだから。



さて奥芝氏の「書」からは

どんな感情が込められてるのか?



ひょっとしたら

夕方のカレーの匂い

なのかも知れないですね!

お腹がすくかも?


=おわり=