キャンプ場には3時過ぎくらいに着いたのだろうか。受付を済ませ売店を兼ねた休憩場でおばあさんにいろんな漬物をご馳走になった。

テントサイトは砂利道を50mくらい登った場所に決めた。今朝、ここのキャンプ場に予約を入れたときに学生の音楽サークルがあり少し騒がしいかもしれないが大丈夫ですか、と訊ねられた。アフリカ民族音楽のような打楽器の音が聞こえた。その音は就寝時間まで聞こえていた。


メニューは覚えていない、たぶんいつもの通りバーベキューにビールだろう。ちゃんちゃん焼き?かな。アルコールは他にワイン、これが僕のキャンプの定番。


食事のあとは温泉。受付をしたときに貸切の予約を済ませておいた。

マグライト1個を持って二人てくてく歩いた。夕闇が迫る時間だ。


大人10人入れそうな大きな湯船だった。


彼女はここに来るとき一冊だけ本を持ってっていいか聞いた、勿論、勉強するために。でも、帰るまで1ページも開かなかった。

さきほど テレビで「世界の中心で…」劇場版を観た。テレビ版と随分違うんだね、原作はどうなっているんだろ。


バイクに乗っているシーン


ピアノのシーン


陸上のシーン


なんか 思い出した。


二年前にバイクは高速道路二人乗りが解禁になった。彼女とキャンプしに行ったときに初めて高速で二人乗りをした。


彼女からメールで退院が決まった連絡が入った。


彼女は曙町に住んでいて その近所の焼肉屋で退院祝いをした。


そのときに キャンプの計画を彼女とした。


キャンプは一泊二日 場所は 道志渓谷にした。夏も終わろうとしている季節だった。


… 記憶が曖昧だ


外苑東通りと靖国通りの交差している陸橋上でお昼前に待ち合わせをして


甲州街道を西へ向かった。


混んでいた、ということはお盆か、混んでいたので高速を入る前にファミレスに入って昼食をした覚えがある。


甲州街道は路肩が狭くバイクのすり抜けは困難な道


1300ccの大型バイクにサイドバックいっぱいの荷物では車と同じように走るしかなかった


よく晴れた暑い日だったが湿気が少なかったのかそれほど不快に感じなかった


それでも病み上がりの彼女、頻繁に休憩を取るように心がけた


でも、バイク… 僕は彼女は完治したんだと思っていた。


僕が彼女の病気を白血病だと知ったのは 退院祝いをしたときで築地のがんセンターに入院していたらしい


入院中のメールに 8月末にあるベトナム研修を飽きられていたがなんとかいけるようで嬉しく語っていた。



だから、だからって唐突だけど、さっきまで何を書こうか考えていて


彼女と会ったのは


面接


撮影



図書館デート


退院祝い


キャンプ


… たった これだけ。たぶん、これだけ。


たったこれだけの思い出でこのブログがどのくらい続くのかって考えていた。


面接が4月末、たぶんキャンプは8月だと思う。その期間、5回しか会っていない彼女。


彼女、彼女って彼女じゃあないかも 僕の思い違い?


何故、たった5回しか会っていない彼女のことをこんなに思っているのか


死んでしまったから?


それもあると思う。でも、彼女ほど僕に影響させた女性はいなかった。


タイミングと云えば そうかも知れない。


ちょうどいい時期に彼女に出会ったのかも知れない。