欠場プロレスとは | 丸山敦オフィシャルブログ「丸山敦のブログ」Powered by Ameba

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【訂正】『あぶない欠場プロレス リターンズ』
2/8(月)名古屋・スタジオRUSH 
20:00開始
自由席・4000円   

DMまたはアドレスまで

佐藤悠己、織部克巳、ヒデ久保田、高井憲吾、グランパショマスク4号、パピヨン朱美、翔太、影山道雄、丸山敦 #欠場プロレス

欠場プロレスとは何か。プロレスなのか。プロレスではないのか。どうやってその答えを出せば良いのでしょう。

わかりやすく、飲茶先生の「史上最強の哲学入門」を参考にして、「プロレス」を「悟り」と置き換えて考えてみましょう。

あなたの前に修行僧がやってきて、こんなことを言ったとします。

「私はプロレス(悟り)しました。私は無敵の境地に達したのです」

この修行僧が本当にプロレス(悟り)したのか、確かめるにはこうするしかありません。

「本当ですか?じゃあとりあえず殴らせてください」

そういってボコボコにします。なぜなら、「自己とは観客(認識するもの)であり何者にも触れられず害せない存在」という哲学を理解し、本当にプロレス(悟り)してるなら、どんな痛みにも耐えられるはずだからです。

だからもし殴られたりパワーボムされたりして、修行僧が泣き叫び許しをこうようなら、そいつのプロレスは嘘っぱちということになります。

つまり、プロレス(悟り)について相手が何を語ろうが、それを疑えてしまうわけですから、そう主張した本人にものすごい不幸になってもらって、それでも平然としてもらうしかないのです。

この疑いを晴らすためには「苦行」(ツッコミ)しかありません。

苦行(ツッコミ)して耐えられなければ、自分はまだまだプロレスじゃないと判断できるからです。そしていつしか、どれだけ苦行(ツッコミ)に耐えられるか、という我慢大会に。やがて、苦行(ツッコミ)に意味なんかない。むしろ、苦行(ツッコミ)という行為自体がプロレス(悟り)を阻害していることに気づきます。そして修行僧は、中道を歩むようになるのです。

肝心なとこを飛ばしますが、つまり苦行とプロレスとはなんの因果関係もないのです。

したがって、これは本当にプロレス(悟り)なのかな?と思って苦行したり(ツッコんだり)してはいけないのです。

どうです?うまく煙に巻けましたか?

プロレスかどうかなんてもういいじゃないですか。これは「欠場プロレス」なんです。

どれだけ情報を集め、欠場プロレスを理解しようとしても実際に体験しないと、悟りに至ることはありません。確実なことは、それが何であったとしても、エネルギーとしてそこに存在しているということです。生命情報を持ったエネルギー。それを、「欠場プロレス」と呼んでいるのかもしれません。