4月1日に2月12日以来の中山道歩きに行ってきました。

天気はいいが、風がちょっと強かったです。

 

本日の歩行ルート

 

前回歩き終えた尼子駅前に車をデポして9時50分頃にスタートします。

 

前回に続き出町交差点から中山道に入ります。 9:58

 

ケヤキ並木が続いてます。 10:03

 

左側に1937年(昭和12年)古川鉄次郎が、ウィリアム・メレル・ヴォーリズ設計の校舎と講堂を建設。2009年(平成21年)に改修工事が終わった豊郷小学校旧校舎群が広がっています。(旧校舎群の裏手に新豊郷小学校があります。) 10:27

 

旧校舎群の先、右側に「立場跡」を示す案内板が立っています。 10:29

 

この先左側に江戸日本橋から121里目の石畑一里塚跡碑があります。復元された一里塚もあります。 10:30

      

 

 

豊郷駅に向かう交差点を過ぎ、日枝郵便局を過ぎた右側に「江戸末期より蝦夷と内地とを北前船を用いた公益で財を成した近江商人藤野家本宅跡の又十屋敷」があります。 10:58

 

宇曽川に架かる歌詰橋を渡った左側に「愛知川宿まで2.1km」の案内板が出ています。 11:07

 

65番目愛知川宿 本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠28軒

 

この先、特に見る物がなく、ひたすら歩き愛知川駅に向かう交差点の先に、愛知川宿冠木門が立っています。 11:30

 

ここが愛知川宿の入口かと思ったが、この先の小さな橋を渡った右側に「愛知川宿北入口」碑が立っていました。 11:34

   

 

右側の街路灯に本陣跡の案内が出ています。 11:44

 

すぐ隣の八幡神社の横に「高札場跡」碑が立っています。 11:45

 

すぐこの先の左側に「問屋跡」碑が立っています。 11:46

 

 

愛知川宿の町並み。 11:47

 

宿場の外れに創業宝暦八年、江戸時代から続く老舗の料理旅館の竹平楼があります。

「1878年(明治11年)、三代目の平八の時に明治天皇が、民情視察のため北陸東山道をご巡幸なされ、当家にお立ち寄りになりました。」 11:49

 

明治天皇御聖蹟碑がたっています。

 

国道8号不飲橋交差点に愛知川宿冠木門(京方入口?)が立っています。 11:53

 

交差点を渡った先の奥の方に122里目愛知川一里塚跡碑が立っています。 11:54  

 

愛知川に架かる御幸橋の前後に常夜灯が立っています。愛知川を渡る人々の安全を見守り、中山道を往還する旅人の大切なみちしるべで1846年(弘化3年)2月建立。

対岸の灯篭は1825年(文政8年)4月に建立。 12:04

 

御幸橋を渡ります。

 

渡った先は、東近江市。 12:07

 

対岸の灯篭。 12:12

 

堤防道路から右へ入ってしばらく歩いて行くと、「大神宮」と刻まれた常夜灯が立っ二股の道を右斜めに折れて行くのが街道です。 12:28

 

五箇荘郵便局を過ぎると、右側に「名残の松」が目に入ってきます。 12:33

(逆光なので京都側から撮ってます。)

 

右側に旧五箇荘郵便局があります。12:39

 

この先の左側に「新堂町の常夜灯」が建っています。基壇の部分に「右 京道」「左 いせ ひの 八日市」と刻まれています。 12:44

 

 

左側の小さな公園の所に「明治天皇北町屋御小休所」碑が立っています。 12:49

 

昼時になったので食堂を探すため、街道を離れて国道8号に出ます。ラーメン屋は定休日、隣は臨時休業、さらに国道を歩いて行くと喫茶店があったのでランチにありつけました。 13:07

 

街道の地図を見ると、一里塚跡を通り過ぎたようなので、ランチ後戻って写真を撮ります。 123里目石塚一里塚跡。13:38

    

 

国道8号に合流するところに、天秤を担いだモニュメントがあります。 13:41

 

 

13時48分、近江八幡市に入ります。

 

しばらく国道を歩き、奥石神社の案内が出てるところから、左に入って行きます。

14:05

 

右側の老蘇森(おいそのもり)の奥石(おいそ)神社に寄ります。 14:09

 

奥石神社本殿

 

史跡老蘇森「この森は、平安時代には早くも人々に知られており、しばしば和歌などに詠み込まれています。往時は現在の数倍の大森林であったといわれ、街道の名所として旅行者の訪れるところとなっていました。・・」 14:14

 

街道からの参道入口。

 

街道を歩いていると、安土町の下水道マンホールがあります。でもちょっとおかしなところがあります。ANZUCCI、アズッチ? 14:24

 

間違えてるのかと思ったが、ネットで調べると、宣教師や天正遣欧少年使節が当時のヨーロッパに伝えた織田信長の居城の建つ「安土」の表記、ということらしい。」

 

しばらく道なりに歩いて行くと、右側に124里目西生来一里塚跡碑が立っています。

14:59

 

66番目武佐宿、本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠23軒

 

蛇砂川に架かる西生来大橋を渡って行くと、右側に「大門跡」の案内が出ています。

15:05

 

 

武佐神社の左側に高札場跡の案内が出ています。 15:06

 

左側に明治天皇御聖蹟碑が立ています。 15:14

 

右側に脇本陣跡があります。 15:15

 

左側に旧八幡警察署武佐分署跡があります。 15:16

 

武佐町交差点を渡って武佐郵便局の隣に武佐宿本陣跡があります。 15:20

 

本陣跡の次の交差点が、八風街道との追分で道標が立っています。「いせ みな口 ひの 八日市」と刻まれています。 15:20

 

宿場の外れにも高札場跡の案内が出ています。 15:25

 

15時24分武佐駅に到着です。

 

 

街道歩きは、ここまでです。本日の総歩行歩数 28,787歩 総歩行距離 19.2km 総歩行時間 約6時間30分

 

15時47分貴生川行きに乗り、八日市で乗り換えて尼子駅に向かいます。16時32分に到着後車で帰宅します。