7月5日(沖縄7日目) うるま市石川から南城市知念まで 67km

走行ルート

 

朝、出発しようと自転車を表に出したところ、何かおかしい、パンクしている。 ショボーン

7月2日、ブエナビスタ今帰仁を出発しようとした時も、パンクしており、予備のチューブは2本。

 

1本使って、残りは1本。いままで6年間の旅行でパンクした経験は1回だけなので、2本あれば十分かなと思っていました。

 

チューブを取り出して、修理を初めますが、チューブに空気を入れても膨らまない。おかしい、

よく見ると、新品のチューブが切れてる。 ガーン 新品のチューブが、どこかで擦れて切れたのか

 

な。もう、予備のチューブがなくなり、どうしようかと思ったところ昨日のサイクルショップを思い出し、自転車を引いて行くことに。8時半頃、まだ、開いてはないだろうと思いつつ、着いた。や

 

はり、閉まっている。オープンは10時から。スマホで近くの自転車屋を検索したところ、1ヶ所あり電話をして聞いてみたところ、700c×25のチューブは取り扱ってないとのこと。しかたがないので、時間まで待つことに。

9:43

 

9時50分頃裏の方で花に水やりの音が、オーナーが来たみたい。わけを話しチューブをお願いしたところ、10時オープンだからちょっと待って。 えー なんくるないさぁ~

 

無事、時間になりチューブを念のため3本買って、パンク修理を終え海中道路に向かって、出発します。 

交通安全の蟹? 11:33

 

すごい!両側は海です。しかも、きれい。

 

 

 

 

パンク修理がなければ、海中道路を全線走って、伊計島、浜比嘉島のアマミチューの墓等行きたかったけれど、時間の都合で海の駅あやはし館でUターンです。勝連城跡へ向かうことにします。

 

行けども行けども、着かない。あれぇ~、勝連城跡をまた、スルーしたみたい。 ショボーン 案内標識等気をつけて見ていたけど、なかったなぁ。 えーん

 

海岸線から内陸の方へ入っていき、中城城跡へ向かいます。途中、大城のイリヌカー、中村家住宅に寄ります。

大城のイリヌカー

 

 

 

中村家住宅は、「戦前の沖縄の住居建築の特色をすべて備えている建物です。沖縄本島内で、このような屋敷構えがそっくり残っている例は極めて珍しく、当時の上層農家の生活を知

 

る上にも貴重な遺構であるということで、昭和31年(1956)に琉球政府から、昭和47年(1972)に日本政府から国の重要文化財に指定されました。・・・1720年頃(亨保5年・徳川吉宗の時代)

 

にこの地方の地頭職(本土の庄屋にあたる役職)に任ぜられています。」

ヒンプン(屏風・目隠し・魔除け)が見られます。

 

 

アシャギ(離れ座敷)「琉球王朝時代、首里王府の役人が、近くの中城間切の番所(役場)へ地方巡視に来た際、宿泊所として使われた言われています。(本土の本陣?)」

 

シーサー(魔除け)

 

トゥングヮと呼ばれる台所は板の間、納戸、土間からなり、「火の神(ヒヌカン)」を祭って毎日1日、15日拝んでいました。

 

フール(豚小屋):昔はどの家にもこのようなフールがあり、アーチ型の石囲いの中で、豚を飼育していました。

 

中城城跡へ向かいます。中城城跡見学は、カートで一番上の方へ送ってもらい、段々と下側へと降りてくる形になります。

一番上からの風景 14:53

 

正門

 

西の方角へ向けてたてられた正門。門をはさむように両側に石垣がせり出し、ハンタ道(公道)に向け狭間がつくられている。

 

 

 

久高遥拝所(南の郭にある聖地久高島への遥拝所。)

 

拝所(雨乞いの御嶽)

 

 

南の郭から一の郭へ

 

 

一の郭

 

 

 

 

ニの郭

 

 

拝所

 

 

 

北の郭

 

ウフガー(大井戸へ)

 

 

護佐丸が井戸を取り込み増築したとされる北の郭:裏門

 

 

三の郭は新城とも呼ばれ、石積み技法の最も進んだ「あいかた積み」(亀甲乱れ積み)によって築かれている。

 

琉球王国のグスク及び関連遺産群:中城城跡 15:16

 

ニライカナイ橋を見上げます。 17:42

 

時間があれば、斎場御嶽寄ろうと思ったけれど、断念。今日の宿、ペンション栄へ向かいます。