2009(平成21)年10月10日に堺から磐城まで歩いて以来の、復路を歩きます。当時は、1日で歩きましたが、今回は2日に分けて歩きます。

長尾街道は、堺市戎のザビエル公園前から河内平野を東進し、二上山の北麓の峠を越えて大和(奈良県)に入り、奈良県葛城市(旧当麻町)長尾の長尾神社までの道のりで、約33km。

1日目 1月26日 磐城駅から河内国分駅まで(途中、国道を歩くのを回避して二上駅から大

1日目 1月26日 教育大前駅まで電車で移動します。)  5.4km+2.1km=7.5km

1日目の行程

 

自宅を出てから、大和八木駅で特急から普通に乗り換え、磐城駅に着き10時20分頃出発です。天気は、快晴。この時期にしてはちょっと暖かい。 ニコニコ

長尾神社に寄っていきます。「長尾神社は、飛鳥京と難波を結ぶ日本最古の官道であった竹内街道と、伊勢・長谷街道が吉野・壺阪から下田・王寺を経て堺に至る長尾街道とが交差する交通の要衝をふまえた長尾の森の広大な神域に鎮座しております。・・・伝説では、長尾神社は東面し、大和高田市の竜王社は西面しており、両者は相対しています。竜王社は竜の頭であり、長尾神社は竜の尾をあらわしていると伝えられています。また、長尾神社は大蛇、つまり巳さんの尾で、三輪明神さんは、巳さんの頭であるとも伝えられています。」

 

本殿は工事中で、テントが張られていました。

常夜灯の前に蛙が鎮座しています。「なで蛙」と呼ばれ、その頭を撫でると「無事かえる」「若返る」「お金が返る」などと言った願い事が叶うと言い伝えられています。

 

長尾街道の歩き始めは、竹内街道とも重なっています。「竹内街道は、堺市の大小路から河内平野を東に向かい大阪・奈良の府県境に位置する二上山の南、竹内峠を越えて、當麻町の長尾神社に至る全長約30kmの街道です。この部分が日本書紀に「推古天皇21年

(613年)難波ヨリ京(飛鳥)ニ至ル大道ヲ置ク」と記されたわが国最古の国道にあたり、古来から歴史の表舞台で重要な役割を果たしてきました。・・・」

 

街道の風景

 

 

直進するのは、竹内街道。長尾街道は、ここを右折していきます。

 

右折して長尾街道を進みます。

 

「平田の地蔵さん」と呼ばれている地蔵堂。

 

今在家あたりの街道

 

国道168号良福寺交差点の手前左側に千股池があり、池越しに二上山が望めます。

 

この先、国道168号良福寺交差点の所を、国道に出ずすぐ左折します。

 

しばらく歩いて、ここを右折します。

 

右折して街道を進みます。

 

道なりに歩いて、T字路を左折して行きます。

 

街道の風景

 

地蔵堂のある所を左折します。

 

国道165号に出て左折します。

 

この先、国道を歩くことになります。が、一度歩いているし、歩道がなく路肩が狭いとこがあり安全じゃないので等々、理由を付けて二上小学校前交差点を右折して、近鉄大阪線二上駅へ向かい、大阪教育大前駅まで電車で移動します。

大阪教育大前駅

 

駅から北へ向かい歩き始めます。田辺廃寺跡に寄ります。「田辺廃寺は外来系氏族田辺史氏の氏寺として、白凰時代末に創建されたと考えられています。昭和46年大阪府教育委員会の調査において、金堂、西塔、東塔、南大門、回廊の遺構が検出され、中門の北側に東西両塔を配した薬師寺式に属する伽藍配置が確認されています。・・・」

 

 

ここを左折して、河内国分駅へ向かいます。

 

曲がってすぐ右側に「問屋場亭」があります。「問屋場亭のある地は、江戸時代の河内国安宿部郡国分村の庄屋「東野伊右衛門家」の所有地で、街道の町として繁栄した国分村の中心地でした。「問屋場」とは、諸街道などの宿駅の公私旅行者に対して、伝馬、人馬逓送、宿泊、渡船などの役務を統括する役人が詰めている場所のことです。・・・」

 

今回の街道歩きは、ここまでです。ここを左折して駅に向かいます。

 

近鉄大阪線河内国分駅

 

旧當麻町のマンホール蓋

 

香芝市のマンホール蓋

 

ここから、大和八木駅に向かいます。駅近くのたこ焼き屋に寄ろうと行ってみたら無くなっていました。 ショボーン 残念です。特急に乗り帰路に付きます。