ずいぶん上段に構えたタイトルをつけたのだが、自分の過去を振り返ってみると、人生の課題は3つに集約されると言いたい。本題に入る前に「課題」の定義について述べておく。「課題」と似た言葉に「問題」がある。ビジネスに携わった人であればこの二つの言葉の違いをご承知だと思うが、「問題」とは現状と理想の "ギャップ" を指し、「課題」とはこの "ギャップ" を埋めるための大きな方針である。たとえば、休日にドライブに出かけようとして車のエンジンをかけたところ、エンジンが始動しない。このような状況のとき、「問題」は「車が動かない」こと(=理想とのギャップ)であり、「課題」は車が動く状態に戻すためのアプローチ(たとえば、JAFを呼ぶとか、ボンネットをあけて自分で修理を試みる等の方針)を指す。つまり、「課題」とは取り組むべきテーマと読み替えてもよい。

 

では、本題に入る。一つ目の課題は「知恵」である。「知恵」とは何か?様々な定義があるが、ここでは「単なる知識や情報ではなく、それらを活用して物事の道理を見極め、適切に判断し、問題を解決する能力」ということにしておく。知恵を求めることは人生で取り組むべきテーマと言いたい。なぜなら、「知恵」を持たなければ物事の道理を見極めることが難しく、適切に判断できない状態を招くおそれがある。逆に「知恵」を持つことで人は適時適切な判断を下し、自立した人生を歩む糸口をつかみやすくなるのである。一人前の社会人を目指すのであれば、これは人生において取り組むテーマに値する。

 

二つ目の課題は「勇気」である。先ほどの「知恵」を発揮する局面において、必ずしも迷いなく判断できることばかりではない。「あーでもない、こーでもない」と思案を重ねた末、おそらくこうだろう、と判断したとしても、そこには「これで本当に大丈夫なのだろうか」という不安や怖さがつきまとうことがある。社会的責任が大きい判断ならなおさらである。そのような状況下で、他の選択を排し、一つに決めて進まなければならない時、「勇気」が求められる。未来のことは誰もわからない。わからない中でも決めたことによって生じる責任を背負って進まなければならない。不確実性の領域に足を踏み入れる場合には「知恵」だけでは足りないのである。そこに「勇気」がなければ前には進めないのである。別に大きな決断を下す立場になくても、知らない会合に顔を出してみるとか、縁もゆかりも無いところに踏み出すちょっとした「勇気」がなければ人生は広がりようがないのである。

 

「知恵」「勇気」とくれば、三つ目は「力」だろうか?確かに「力」を「体力≒健康」と読み替えれば健康は人生の重要な要素には違いないのだが、ここで述べたい人生の課題ではない。「勇気」の話に少し戻るが、不確実性の中を一人で歩むのではなく、数名を引き連れていく状況を想像して欲しい。たとえば、あなたは社員数10名の会社の社長だ。物価高の影響により、会社の資金繰りがショートしかけ、給与の遅配どころか、来月にも倒産しかねない状況を想像して欲しい。社長のあなたは「知恵」と「勇気」を振り絞って金策に走るなり、状況を打開するための手を打つだろう。しかし、万策尽き、会社は倒産を迎えた。倒産が確定した日、社員を集め、状況を説明し、謝罪した。あたなは自分だけ逃げようと思えば逃げることができたが、そうはしなかった。責任感ともとれるが、社員や取引先への「誠実」さがそうさせたのである。

 

重たいたとえ話を持ち出したが、三つ目のテーマは「誠実」である。人は苦しい状況になれば、言い訳をしたり、逃げたり、あるいはごまかそうとしたりする気持ちが生じてくる。自我を守るための本能が作動しているのであって、ある意味、自然な反応である。しかし、だからこそ、その自然な反応に逆らって行動できるかどうかが人生の課題になってくるように思える。そして、逆らうときの起点となるのが「誠実」さだと思っている。もう少し日常レベル(?)の話題に落としてみると、たとえば夫婦喧嘩をしたとしよう。熱くなっているときには相手の過ちしか見えないが、冷静になれば自分にも非があることに気づいてくる。その時、相手に対して素直に謝罪できるかどうかが「誠実」さを問われている瞬間だ。自分のプライドを守るため、自分の過ちに気づかぬふりをして、意地を張って反目することはたやすい行為だ。自我を守るための本能に基づく行動だからである。そこには何ら努力はいらない。一方、自分の過ちに目を向け、誠実に謝罪する行為は容易ではない。小さな自己を超え、より大きな自己へとつながる道と分かっていても口先だけの謝罪に留まることもある。夫婦喧嘩に限らず、人生の様々な局面において「誠実」さを問われ、それに応えることは簡単ではない。だから、人生の課題の三つ目のテーマは「誠実」だと思っている。

 

「知恵」「勇気」「誠実」を人生の課題とした。私の過去を振り返えると、自分の顔色が悪くなる時はこの三つのどれかを問われているときだったと思う。偉そうなことを書いたが、私はこの三つの課題を克服してるわけではなく、課題に直面すれば逃げ出したい気持ちを感じつつ、無様に身悶えしている。ただ、このことをブログに書くことで、自分が何に身悶えしているのかが分かるようになり、感情に振り回されず、心が地面に接地しやすくなるのではないかと期待している。