決める政治が求められていますが、なぜ決められないのか。①制度の問題、②国会のルールメーキング、つまり政治家自身のモラルの問題、の二つの原因があります。 前者は、衆議院とほぼ対等の参議院の存在が原因です。ねじれ国会の下では、衆議院をとおった法案がすべて参議院で否決されてしまい、あらゆる政策が参議院の協力なくして決まりません。私は現在発売中の文芸春秋の中で「参院は廃止とするか、または現職の首長から無給で任命するなどした上で、権限を限定すべき」(文芸春秋10月号「衆参全議員に公開質問状議員は何人が適正? 参議院は必要?」 )とコメントをさせて頂きました。3年に一回の参議院選挙、その間に行われる衆議院選挙にひとつの政党が勝ち続けることはもはやないでしょう。そうした前提で二院制の制度のあり方そのものを見直すべきだと思います。 一方で、二院制のあり方の見直しには憲法改正が必要であり時間がかかることから、現行制度でのねじれを前提とした国政運営のルール化が必要となります。たとえば、予算関連法案など重要法案については、修正などを経て一定の期限までに必ず成立させる、憲法上規定のない問責決議を倒閣の手段としない、などを国会運営の基本的なルールとして与野党が決めるべきです。野田総理も「毎年、特例公債を人質に総辞職か衆院解散かを問われれば、首相は全部寿命1年だ」と指摘。「ねじれ国会のルールとしてどう考えるか、腹を割った議論をしたい」と発言しています。正しい問題意識だと思います。私は、今回は、当初から野田総理支持を表明してきましたが、党内の事情で総理を変えるべきではないという理由の他に、こうした基本的な政治のあり方を考えている点を評価したからです。尖閣の国有化、脱原発など派手さはありませんが、手堅く政権を運営しているのではないでしょうか。戦前、政友会と民政党は、足をひっぱりあい、軍の台頭を招きました。いまこそ、決めるための土俵を整備しなければなりません。