現在「ドラキュラ」は「吸血鬼」「悪魔」を意味する言葉であるが、当時は「串刺し公」と呼ばれるほうがポピュラーであったようだ。



捕虜にした兵士を串刺しにし、その死体のそばで食事をしたり、なんと好物は死体の血を飲む事だった。



吸血鬼のストーリーの元となったのは、こういう事実を元にしているのだろう。



ヴラドの最期は城内でトルコ兵の奇襲に遭い、隠れ通路から逃げたものの、途中で見つかり首をはねられ、その首は当時のオスマン帝国に持ち去られたという。享年40歳半ば・・・



またヴラドの妻もその際に逃げられないと悟り、城の窓から身投げ自殺をしている。



後世になってヴラドの遺体がルーマニア国内で見つかったが、首は付いていたという、この謎がさらにドラキュラの恐ろしいイメージを発展させることになった。




ルーマニアでは未だに「ドラキュラ信仰」というものが強く信じられており、田舎町で冗談半分にドラキュラの話をすると本気で嫌がられる。



それは信じていないためではなく、吸血鬼伝説は当たり前に存在する不吉な出来事だと信じられているからだ。



興味深いのは、遺体を墓に埋葬する時、数年おきに掘り返すことである。



死体がドラキュラになっていないかを確認するためだという。



万が一腐っているのが遅い時は、「この死体はドラキュラになる可能性がある」ということで、心臓をくり抜きその心臓がなくなるまで煮込む。



今はさすがにそこまでする人は減ったらしいが、ほんの数年前までこの儀式を行うことで生計を立てる霊媒師みたいなものが多くいたという。