リーベ10歳

 

 

先日の父の50回忌で、土の思い出話に花が咲きました。

少し思い出を辿ってみようと思います。

 

昭和という時代と私

その1

 

私は戦後の生まれなので、戦争は知りません。

両親と姉、兄の五人家族

家庭は裕福ではなくどちらかと言えば貧しい方だったと思います。

しかしながらそのことに不満を抱いたことは

一度もありませんでした。

もちろん裕福な家庭もたくさんありましたが、

社会自体がまだ戦後まもなくで、

私たちのような貧しい家庭もたくさんありました。

 

父親は西陣で機を織ってい(いわゆる西陣織です)いました。

父は住居とは別の場所で仕事場を持っていたので、

私は学校から帰るとよく父の仕事場に行ったものです。

 

トントン、カッタン

トントン、カッタン、

父のしなやかな手の動きと、その音は

妙に心地よく、今でも父のことを思うときその光景が

鮮明に浮かんできます。

 

画像はお借りしました。

機織機

 

機織機 に対する画像結果

 

母はその手伝いで偶に仕事場にきて、糸を繰っていました。

この糸枠に糸を巻いていきます。

 

糸枠(いとわく)

 

ビジュアル検索クエリイメージ

 

父母と私、その中に流れる時間は

緩やかで穏やかで温かく、

現代社会ではもうそんな時間はもう見つけられないでしょう。

私は末っ子ということもあって、

父母には特に甘えていたと思います。

 

メルシー: 母ちゃん、思い出話はまた明日にして

       そろそろ寝ようよ。

 

 

そうだね、メルちゃん

歯磨きをしてそろそろおねんねしようね。

 

 

明日もいい日になりますように