思い立ったら即行動派なので、番外編として大阪市の蒲生四丁目から難波まで歩いてみました。(前編) | 奥河内から情報発信

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ご縁があって2021年1月から南・奥河内に住むことになりました。そこで外部から来た視点でこの地域の情報発信をしてみようと思います。歴史、風景、景色などの写真も多数載せます。

思い立ったら即行動派!今回は番外編としていつもの河内長野、南河内地域を抜け出して大阪市に行きました。大阪城の東にあるので城東区と名のついたエリアに行ったのですが、せっかくだから河内長野と電車でつながっている南海なんば駅まで歩いてみようと思ったのです。城東区から難波までは距離もあって1回では収めきれず、前・中・後と3回に分けて行程を書いてみることにしました。

ウォーターサーバー Frecious(フレシャス)

 

ここは城東区の蒲生四丁目というところです。ここから歩いてみました。1回目の目標は同じ城東区の端っこで、東成区や中央区と接している森ノ宮です。

蒲生四丁目から京橋方面に歩いていくと、高架が見えてきました。これはおおさか東線です。

高架を過ぎたところから進路を変えました。途中にある公園、どうやら線路跡のような雰囲気がします。後で調べたら蒲生二ふれあい公園だとわかりました。

城東産業というテントが印象的ですね。下町の雰囲気があります。

踏切を越えていきます。

踏切の先を見ると駅が見えます。京橋駅と思われます。

川が見えてきました。寝屋川です。大阪府交野市星田付近を源流としている川で、この辺りは最下流付近ですね。

朝日橋を渡って引き続き南方向に向かいます。

すっぽん小町

 

鴫野会館の建物です。手前には、「しぎの厄除地蔵」があるそうです。町の人が集まる会館の前に、地蔵堂があるのは河内長野も城東区も同じですね。

歩いていると下町の雰囲気と開発された近代的な雰囲気が共存していますね。

究極の開発計画のような看板を見つけました。森之宮検車場に新駅を建設する構想があるそうで、駅の前に公立大学のキャンパスをつくるともありました。

こちらは鴫野西公園です。遠くに墓地が見えますが、中浜霊園が隣接しているようです。

再び橋を渡ります。第二寝屋川です。八尾市のほうから水が流れているようです。城見橋と名前がついている通り、遠くに大阪城天守閣が見えます。

そしてここはもうひとつの川との合流点です。

こちらは平野川です。こちらは大和川から水が流れています。ということは、河内長野や富田林を流れる石川の水の一部も流れてきている可能性があるわけですね。

実はこの辺りは悪臭がしました。下水処理場があったのです。調べると大阪市内には12カ所の下水処理場があり、こちらの中浜下水処理場は3番目にできたそうです。

 

さらに歩いていると新築のマンションができるようですね。黒っぽい防音の幕のようなものに覆われていて不思議な光景です。

森之宮団地の前に来ました。

下から見上げるように撮影すると、なかなか面白いですね。
森之宮を越えると森ノ宮駅まであとわずか

森ノ宮駅に到着しました。

森ノ宮駅に来たのは駅前すぐのところにある。鵲森宮(森之宮神社)に行って見たかったのです。

 

 

「かささぎもりのみや」と呼ぶそうです。調べてみると、この辺りは昔森になっていて、難波の森と呼ばれていたそうですが、598年に朝鮮半島の新羅より持ち帰ったカササギ(鵲)を飼育したことから鵲の森と呼ばれるようになったそうです。

聖徳太子とその両親(用明天皇、穴穂部間人皇女)を祭神とする日本唯一の神社だそうです。元々は聖徳太子が父親の天皇を祀ったことに由来します。日本書紀にも登場するほど由緒ある神社で、森之宮の地名の由来となりました。

手水舎があります。

森之宮という町中にあるので敷地はそれほど広くありませんが、境内はパワースポットらしい空気が流れていました。

井戸があります。

境内にはもうひとつ社があります。五幸稲荷社とのこと。

由緒書によれば、宇賀御魂命(ウカノミタマノミコト)祀る日本唯一の稲荷社なのだそうです。さらに平成時代には、猿田彦らの複数の神々を合祀したとのこと。

その他にも狭い境内には、大伴家持の百人一首の歌碑が刻まれた石があり、

さらに蓮如上人の松があるなど、狭い空間ながら見所満載です。森ノ宮の駅前という本当に便利なところにあるのに、平日のためか境内は静かでした。初詣やお祭りのときにはにぎやかなのでしょうね。

1月の下旬ということもあり梅の花が咲き始めていました。

こちらは裏側の公園に続く鳥居です。とりあえず前編はここまで、中編と続きます。

INIC coffee

 

思い立ったら即行動派

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