奥浜名湖 細江 の紹介ブログ



細江の ゆかたまつりは


“地震除けの神様”として話題の細江神社のご好意により、

東日本の復興祈願・日本復活、

および地震の際の被害が最小限に済むように

うちわにご祈祷 ご神気入りです



                奥浜名湖 細江 の紹介ブログ-うちわ


¥200での販売になりますが、これは東北の支援金となります。




これは本当に今年限りだそうですので、たいへん貴重なうちわになりそうです。


是非お買い求めのうえ身近なところにお祀りください。また数に限りがありますのでお早めにお越しください。


7月16日土曜日午後6時から9時

場所 細江町歩行者天国区域内


うちわを購入し歩行者天国内のスタンプラリーに参加すれば、

ミニ抽選会参加


さらにゆかたを着ている方に 大抽選会参加


関東テーマパーク券

東北応援旅行があたる 


歩行者天国内では楽しい催しがいっぱい


がんばれ日本 ゆかたまつりに ぜひ参加しよう


歩行者天国については

奥浜名湖商工会ブログ

ご確認ください ヾ(@°▽°@)ノ


姫路からはじまった ゆかたまつり 各地は?


自粛ムードでなかなか情報 つかめません

 江の島ゆかた祭り 藤沢市

  開催予定 8月上旬


大町ゆかたまつり 大町市

8月5日(金)、大町やまびこまつり前夜祭として「第13回大町ゆかたまつり」が開催されます!


浜松七夕ゆかた祭り 浜松市

 8月5日(金)~8月7日(日)に開催することに決定いたしました!

京のゆかたまつり 京都市

8月5日(金)、開催予定

   

長浜ゆかたまつり 長浜市 

2011年7月16日(土)開催予定

  

彦根ゆかたまつり彦根市

2011年7月30(土)開催予定

   

城崎ゆかた祭り

豊岡市 2011年06月04日 本年度終了

   

    

広島大学ゆかたまつり

2011年 7月 3日(日) 10:00~20:00 ※雨天決行です 開催中のようです

  

城下町くまもとゆかた祭 熊本市

7月16日(土)開催予定


そして細江のゆかたまつり 今年は!!

\(゜□゜)/


奥浜名湖商工会 のブログ見てね



ゆかたまつりは 庶民がゆかたという式服を着て


家内安全 厄除け を願う


日本を元気にするまつりかな (*゚ー゚*)



 

ゆかたまつりを検索すると


『ウィキペディア(Wikipedia)』では

姫路ゆかたまつり」が最初のようです


神社のお祭り 吉宗 高尾太夫 絡んでます ドラマですヾ(@°▽°@)ノ


「姫路ゆかたまつり」 (ひめじゆかたまつり)は、姫路城の守護神である長壁神社の例祭にちなむ夏祭り


姫路市の初夏の風物詩である。 毎年6月22日~24日頃に開催される


長壁神社は、千年以上前から現在の姫路城のある姫山に鎮守神として祀られていた。しかし、安土桃山時代に黒田氏や羽柴秀吉(豊臣秀吉)が姫山に本格的な城を築き、池田輝政が現在の姫路城に改修してからは、城内にある長壁神社には武士以外は参拝できなくなってしまっていた。


江戸時代中期の享保17年(1732年)に播磨姫路藩の第3代藩主、榊原家宗家の8代当主となった榊原政岑(さかきばらまさみね)は、将軍・徳川吉宗が出した倹約令を無視して贅を尽くし、奇抜な服装で江戸城大手門を警備したり、江戸・吉原で派手に遊興に耽り、新吉原の三浦屋の名妓高尾太夫を1800両(2500両とも)で身請けするなど、奢侈を好んで風流大名や好色大名ともして知られていた。

さらに高尾のために豪勢な酒宴を開いた際の費用は3000両を超えたといわれている。これは尾張藩主徳川宗春の乱行同様、享保の改革に対する抵抗と見なされ、吉宗の怒りを買った。

 



吉宗は寛保元年(1741年)10月に政岑に出府を命じ、その乱行を咎めた。吉宗自身は改易の考えさえあったようだが、重臣の尾崎富右衛門が懸命な弁明に務めたため、10月13日に政岑は吉宗より強制隠居の上で蟄居を命じられ、家督は息子の榊原政永に継ぐことが許されたものの、越後高田に懲罰的な転封を命じられた。


転封前になり政岑は、庶民も気軽に長壁神社に参拝できるようにと長源寺の境内に社を移し、夏至の日であった寛保2年(1742年)6月22日に遷座祭を開催した。


その遷座祭に、町人が式服を作る間がなく参加するのを躊躇していたところ、浴衣姿での参加を政岑が認めたことから、毎年例祭に参拝する人がそれに倣って浴衣を着るようになったのが「ゆかたまつり」の起源である。それ以来、長壁神社では6月22日が例祭と定められた


浴衣とは本来、下着と同様の扱いであり、そのまま外に出ることは極めて「はしたない」行為であったが、これ以降、日本において夏祭りに浴衣を着る風習が広まっていったと考えられている。



以前は単に「ゆかたまつり」と言えば、姫路市のこの祭りの事を意味していたが、現在では日本全国、様々な所で同様な「○○ゆかたまつり」(○○は開催自治体名等が入る)と称する祭りが増えてきており、これを区別するために「姫路ゆかたまつり」と呼称するようになっている

うちわ
うちわ(団扇)とは、扇いで風を起こす道具の一種。
扇部とそれを支持する柄を備える。手で扇いで風を起こすほか、絵柄や文様にもさまざまな文化的機能がある。
「うちわ」は熟字訓である。大型の翳(は)に比して実用的な小型の翳と区別され、それを用いて害(ハエや蚊などの虫)を打ち払うことから「打つ翳」→「うちわ」となったのが一般的な説である。病魔などを撃ち払う払う魔除けの意味もあったとされる。
「扇」はもともと、観音開きの戸が羽のように開閉する様を表していて、それによって風が起こることに由来しているとする説がある。「団扇」は、中国由来の熟語である。「団」は「まるい」を意味する(「あつまる」の意味は派生である)。「だんせん」と音読みもする


扇子
扇子(せんす)とは、うちわと同じく自分の手で風を送るのに用いる道具。ただし古くは扇(おうぎ)と呼ぶのが普通であった。「おうぎ」という言葉は「あふぐ」(扇ぐ)の派生形の「あふぎ」であるが、日本語の変化により関連がわかりにくくなった。
数本から数十本の細長い竹や木で出来た骨を束ねて端の一点(要=かなめ)で固定し、使わないときは折りたたみ、使用時に展開する。骨には大抵和紙が貼られており、展開すると紙を貼られた部分が雁木形の扇面となる。折り畳むことでコンパクトに納めることができる。開閉の方法は、骨を右手親指でずらすように押すことで開く。一般的には右利き用であるが、左利き用も販売されている。また、扇子そのものを振ることで開く方法もある。
扇子を開く角度は、大体90度から180度の間であり、円を三等分した中心角120度前後のものが主流である。扇子を開いた形は、「扇形(おうぎがた、せんけい)」と言い、幾何学の用語にもなっている。このような扇子の形状は、「末広がり」に通ずるので縁起のよいものとされてきた。そのため、めでたい席での引出物としても用いられている


魔除け 縁起物 対決でした

今年の夏は うちわ派?扇子派?

細江祇園 まつりは 地震の神事

約5百年前(1498)に起きた地震の津波で浜名湖口にあったご神体が流され漂着したという故事にならい、
いつ発生するかわからない災難が最小限であるよう、また最小限で済むように家内安全を祈願する地震の神の祭典。

ご神体が船に乗せられ浜名湖上を渡御するという夏らしい祭り「祇園 まつり」

祇園 まつりは日本各地でありますが、起源は地震、疫病 戦争など災厄により 残された人々が逝ってしまった身内を思い、また後世を思い大厄を小厄に 家内安全を願い残したお祭りのような気がします



日本には 日本には地震の神様がいるんです ♪ ♪

ちょっと検索してみました

大地震の津波でご神体が流れ着いた・・・
静岡県浜松市細江神社
名神大社 角避比古神社(元国幣中社)は浜名郡新居町に御鎮座、第五十五代文徳天皇嘉祥三年(八五〇年)官社に列せられた立派な神社で、浜名湖入口の守護神として氏子の方々に厚く信仰されていたが、第百三代後土御門天皇明応七年(一四九八年)八月二十五日、大地震、大海嘯がおこり、神殿、建造物がことごとく流没したが、奇跡的にご神体は、村櫛をへて、伊目の十三本松に漂着、里人は隠岐大明神の地に仮宮を建てて祀った。
 しかし十二年後再び地震による大津波のため、気賀の赤池へと漂着された。気賀の里人はこの地に仮宮を建てて祀り、翌月九月現今の地に社殿を建て、牛頭天王社と称え祀ることとなった。以来気賀の総鎮守としてあがめられ、明治六年三月、神社の社格が郷社となったが、戦後はこの制度は廃止となった。
 赤池の里は当社より約三百米東南にあり、例祭日には神輿の渡御が行われる
細江神社 (細江町)
細江神社


「要石(かなめ いし)」を祀る神社 
要石は大地の荒ぶりを鎮め、地震を防ぐ霊石として信仰されています。
三重県 伊賀市 大村神社

本殿の横に小さく佇む石、これは「要石」といって
地震を防いでいるという言い伝えがあります。
なんでも、この石の下には、地震を呼ぶと言う巨大なナマズがいるとかで、このナマズが暴れないように要石が抑えているとか。それが由来で、大村神社は『地震の神様』として、全国からの参拝客が多い神社なのですって。
http://www.7kamado.net/index.html

鹿島神宮 茨城県鹿嶋市の鹿嶋神社
要石を祀る祠
境内の要石(かなめいし)は、地震を起こす大鯰の頭と尾を抑える杭と言われ、見た目は小さいが地中部分は大きく、決して抜くことはできないと言い伝えられている。水戸黄門仁徳録によれば水戸藩主徳川光圀が七日七晩もの間、石の周りを掘らせたが、根元には届かなかったと伝えられる。鹿島神宮と地震に関する俗信の広まりは、「ゆるげども、よもや抜けじの要石、鹿島の神のあらん限りは(鹿島の神さえいれば、要石は緩むことはあっても抜けてしまって、大地震が起こることはないだろう)」という地震歌と関係している。この歌は、中世から江戸期に活動した鹿島事触が鹿島神宮の霊験として地震除けを宣伝する際に用い、各地に広めたといわれている。過去において「神無月」に起きた地震の幾つかは、鹿島の神が出雲に出向いて、留守だったために起きたと伝承されているものがある
鹿島神宮-境内散歩(要石)鹿嶋神宮 要石


三重県名張市 名居神社
「なゐの神」
「なゐ(ない)」とは地震の古語です。

名居神社由緒書
鎮座地 三重県名張市下比奈知2092番地
「日本書記」によれば推古7年に大和地方が中心の大地震があって諸国に地震の神が祭られた伊賀では当名居神社がそれであろう「ナイ」は地震の古語である

www.geocities.jp/engisiki02/musashi/bun/mus170902-01.html