14年が経ったのですね。


長いのか短いのか分かりませんが、

14年経つと色々なことがあるわけで。


こうして歌えているということは幸せなことキラキラ


お世辞でもなんでもなく皆さんのお陰です。


ありがとうございます虹



毎年毎年、

一年一年経てば経つほど

こうやって言葉にしても

足りない思いが溢れて溢れて。


本当は一人一人にお会いして

「ありがとう」と、

伝えて回りたいくらいです馬


それでも伝えきれないや


だから歌い続けていくことが

恩返しなのかなと思っています。



10日後に発売する

「奥田美和子と天野月」の

第一弾シングル『無限』のカップリングに、

『しずく-2014-』と題した

アコースティックバージョンが

収録されていますCD


この曲を収録することになったのは

ごくごく自然なことで。


私を14年前に『しずく』で

デビューすることに導き、

去年の天野月ちゃんとの再会から

コラボすることになるまでの

きっかけとなった

プロデューサー戸倉弘智との制作。


これは割とつい最近

月ちゃんのブログで知ったのですが、

私を『しずく』でデビューさせた

戸倉氏だったからこそ、

今、天野月というアーティストが存在している。


なんとも光栄で、

彼女のブログを読んで

なんだかすごく

胸が熱くなりました。



『しずく』が誕生する前、

私のイメージと合致する曲に

なかなか出逢えず、

ほぼ決まっていたタイアップを逃し、

責任とプレッシャーに追い込まれ、

あんなに悔しい思いをしたのは

制作人生において

後にも先にも『しずく』の時だけ。

と、今だからこそ思い出話で

戸倉氏は言います。



『しずく』の生みの親である

大江千里さんと初めてお会いした時、

当時の千里さんの事務所に

スタッフとお邪魔して、

千里さんと向かい合い

何気ない雑談をしました。


当時16才。

私は相当な人見知りだったので、

どう考えても愛想も可愛げもない

小娘だったと思いますが、

千里さんとこんな話をしました。


海や川が好きなこと。

上京して水道水や空気が地元と違うと思ったこと。

歌が(カラオケが)好きなこと。

好きな色を聞かれ「黒」と言ったことに対し、

理由を聞かれて「何色にも染まらないから」

と、言ったこと。


そして『しずく』が届いた時、

まさにこんな曲を待っていた

と、戸倉氏は涙が止まらなかったそうです。


そんな苦労もつゆ知らず(笑)

いや、戸倉氏は私にそんな姿は一度も見せず、

デビューしたんですね。私。



12日に発売される『無限』の

カップリング『しずく-2014-』。


正直、過去にリリースしたものや

カバー曲もそう。


オリジナルを“上回る”ものを

【作る】と言うことは出来ないに等しい

と、私は思っています。


そもそも比べることが、

音楽を聴く上で違うような気がする。


その時にしか味わえない感覚は、

私も聴いて下さっている人も

時が流れると共に変わってゆくもの。


だから“成長”ではなく、

“現在”として聴いてもらいたい。


デビューして14年。


人生の中で色々な経験を通し、

失ったものと得たものが

間違いなく詰まっている作品です。



長くなりましたが、

今日は母の誕生日ケーキ


上京したのは、1999年2月15日。


遠く離れてデビューして、

お互い「おめでとう」と

電話で言い合うようになって14回目。


いつか母の声が聞けなくなるまで

言い合えるように歌い続けることが、

今となっては母への

プレゼントにもなっているのかなとプレゼント



話は戻ります。


今日が迎えられているのは

皆さんのお陰です。


本当に、心から、

ありがとうドキドキ




じゃーに( ^-^)ノ∠※。.:*:・'°☆