高齢者の機能維持に向けて自治体間で「競わせ」、介護費の膨張を抑える狙いがあります。
介護予防は充実した老後に向けて意義あることに間違いありません。
間違いはないのですが、それで介護ニーズが本当に減らせるものなのでしょうか。
どんなに機能維持に高齢者が頑張っていただいたとしても、いずれ介護が必要な状態に近づいていくことは避けられない事実ではないでしょうか。
そして、老衰と死は挫折であって、元気でなければ生きられない・・・そんなスティグマから抜け出せていない自治体の担当者が多すぎるように感じるのは私だけではないと思います・・・。
自治体が掲げる高齢者福祉の目標を拝見していると、「生活の水準を維持することができる」とか、高齢者が衰えることを許さないプレッシャーのようなものを感じざるを得ないのです。
「暮らし」とは何でしょうか? 「普通の生活」とは何でしょうか? 「自分らしい暮らし」とは何でしょうか? それは、歩けなくなったり、食べられなくなったりすると、続けられないものなのでしょうか?
高齢者に現状維持を期待する介護事業というのは、実のところ、行政の介入としては楽なのだと思いますよ。とりあえず動ける高齢者を集めて、「これ以上、衰えたらダメですよ。暮らせなくなりますよ」と運動させる、その繰り返しなのですから・・・。
公民館等で行われている介護予防教室。そこに集まる元気なお年寄りの方々からお話を聞くと、維持することの大切さに目が行きがちで、オムツを着けること、寝たきりになること、老衰で死ぬことが失敗であると考えてしまっているのです。
でも、本当に高齢者の暮らしについて、そこへ照準を合わせていていいのでしょうか? 当たり前の話なのですが、高齢者の身体機能、認知機能は徐々に低下していくものです。ある程度、遅らせることはできるかもしれませんが、衰えゆくことは残念ながら避けられません。
そのことを前提として、認知症でも、寝たきりでも、自分らしく暮らせる街づくりを考えていくべきなのではないでしょうか。
「普通の暮らし」に高齢者を適応させるのではなく、高齢者の機能に応じた「暮らし」があってしかるべきだと思うのです。
とはいえ、私も父母の介護の経験がありますのでわかるのですが、自宅での暮らしに多様性を与えるには限界があります。家族にできることにも限界があります。
ですから、これから自治体が取り組むべきは、高齢者施設を含めた暮らしの選択肢を幅広くもたせ、それぞれを豊かにするような地域包括ケアを構築することなのではないでしょうか・・・。
介護を要する高齢者に合わせた街づくりを実現することこそが、結果的には個別の介護費を軽減させることにも繋がっていくはずであると思いますから・・・。
最近感じていることの一片を述べます。
これは、どこぞの自治体の話というわけではなく、あくまでも一般論としての話です。
自分の財布から自腹でタクシーに乗るときには、メーターがちょっとでも上がっていくのが気になるのに、いただいたタクシーチケットで乗る際にはいくらメーターが上がっても全く気になりません。
同じような状況や考えが地方公共団体の中にあってはなりません。
租税からなるパブッリクマネーの取り扱いについて、地方公共団体の運営に携わる一人ひとりは、自治体の支出のメーターが上がることに敏感でなければならないと思います。
国と地方の借金がここまで膨れ上がっている現状を鑑みるに、公金に対する考え方を根本から考え直すべきではないかと思っています。
これはなにも、今私が監査委員を拝命しているからという話ではありませんし、監査委員に限った話でもありません。
地方公共団体の事業運営に関わる者全員が、パブリックサーバントとして公金を扱う重要性の認識を高めることが必要だと思うのです。
監査委員監査は、地方公共団体の財政規律の適正を確保するための権限を有しているにもかかわらず、これまではたして有効に機能していたと自信を持って言えるかと自問しています。残り任期4ヵ月半のこの時期ですが・・・。
しかしながら、これまでそのようであったにしても、今後もそれが継続するとは思えません。
先般改正された地方自治法では、今回強化が求められた内部統制関連規定以外にも、監査委員監査に係る様々な機能強化が図られており、監査委員が監査を実施するにあたっての実効性を高める方策が盛り込まれています。
そして監査委員の機能強化に伴い、その反射として監査委員の責任は重くなることが予想されます。
このことの認識を深めていくにつれ、現在の監査委員からは、「これでは 監査委員の責任が重すぎて、今後は引き受けられない」という声が聞こえてきそうですし、実際、これからの監査委員には今までにも増して、簿記会計、監査論、地方公会計、地方行財政、内部統制等に関する専門的知識が求められるでしょう。ですから誰もがそう簡単に引き受けられるような仕事ではないと言えます。
そして、監査にせよ、内部統制にせよ、気がついた誤りについては積極的な指摘をする必要があると思います。
修正を忌避し、事前に水面下で調整するような組織風土は情報隠蔽体質となりやすいものです。
無謬をあたりまえとせず、情報公開を積極的に行うことがアカウンタビリティの基本、監査・内部統制の前提であり、真のガバナンスの実現のためには必要なことであろうと思います。
そして、先に監査委員の責任に触れましたが、これからの自治体経営において、長と議会の責任のあり方を明確にすることが重要ではないかと思っています。









