平成元年の出発は修行中の吉祥寺で明けました

自分の店を出す

その方向で動き始めていました。

 

都内各所12年の修業をした昭和の終わり頃
 
地元駅近くを探したが思うような所が無く仕方なく実家の畑をつぶし当時はもっと人っ子一人通らないような辺鄙な場所での挑戦となった。それが平成元年31歳の時
どうせお店はお客様来ないだろうから
最初から移動販売の特殊な車を用意
こっちから街へ売りに出る作戦でした。
 
それがどうでしょう
お店が忙しく販売車はものの数年で終わりお店一本で行く事となりました。
 
その後36歳で結婚
順調に人生を歩んで行けると思うも
 
結婚から僅か1年半後38歳で思わぬ宣告
白血病です。
今から20年以上前の事なので死の宣告 お先真っ暗でした。
お店を何とか切り盛りしながら薬と遺伝子組み換えの自己注射で落ち着かせるも元は良くなる傾向はなく平成11年にいよいよ骨髄移植に最後の望みを掛ける事になる
お店は丁度10年の節目
続けられる訳もなく
これでシロクマも終わりだな…
残念だけど閉めよう
 
 
ところがです
妻、弟、母がぼそぼそながらお店を継続して開けて居て
くれて私の帰りを待っててくれたのです
 
移植は過酷なものでした
3ヶ月の入院後退院
副作用による口内炎はこの時から続きます
とても仕事が出来る身体では無く
復帰にはそこからまた半年を必要としました
 
「細々でも仕事が出来て生きて行けさえすればそれで良い」
と欲はまるで無く静かに生きていける事だけで幸せを感じる
そんな時が流れました。
無理するとすぐ熱が出て肺炎になる事数回
お店はこう着状態
 
この頃土曜日によく外のベンチで休憩しながらパンを
食べて行く自転車の人達を見かけてはいました
お店は当時日曜・月曜が定休日
 
ある時やはり自転車の人に言われました
「お店が自転車雑誌に載ってますよ」
えっ!聞けばサイクルスポーツと言う
自転車雑誌、お店を終え本屋に直行
ありました!買ってきましたよ
 
その記事を書いたのは当時ブリヂストンアンカー所属の橋川 健選手!
国内のトップ選手です
その記事を境に自転車のお客様が大勢来るようになり
プロの選手も趣味で乗ってる人も美味しそうに
楽しげにしてるのを見て新たに目標が出来ました。
 
自転車の人が室内でも食べれて
外でもゆっくり出来るように
リニューアルしよう!そして休みだった日曜日を営業しよう!
目標があるとやる気も俄然出てきました。
リニューアルオープンは平成14年 3月
自転車雑誌に載ること数10回
遂には読売新聞にも病気がらみで掲載
sirokuma_kizi_YC_200512-2.jpg
土日は共に70台ほどの自転車で大賑わいに、
自転車乗りの聖地とまで言われ少し照れくさいですが17年以上その役割を果たして来ました。
 自身も運命だと思って恐る恐る始めた自転車ポタ専ですがもう15
年以上経ちますね 何の上達も無いですが大いに楽しんでいます
2004年 4月 夫婦で榎本牧場まで行く
 
 
昔開催されていたシロクマのんびりサイクリング
全員シロクマジャージニコニコ
 
今は食べる楽しみが無くなってしまったが
仕事を続けて行くための原動力(自転車)です。
 
病気は副作用の口内炎~唇癌・口腔癌・顎のリンパ節癌と口腔周辺に集中して連続で起きています。その都度手術入院でかなりお店も休み平常の定休日も週3日にして身体を休ませながらも頑張っています
毎週病院通いもあります
いつまで身体が続くか分かりませんが
元気な限りやりますよ~
 
近年は近郊の市町村で自転車のお客様を呼び込む事業を加速させ
個々のお店も独自性を出して自転車乗りを獲得しています
 
沢山の選択肢の中
今もシロクマを目指してくれるサイクリストさんが毎週数多く
それに答えなければいけませんね
がんばります。
 
爆弾を抱えながら20数年
シロクマオープンから30年
平成時代 激動の時代でした
令和になっても変わらぬご支援をよろしくお願いします(^-^)
 
 
只今シロクマパン30周年記念の
ジャージを予約受付中!
 
そこに持ってくか!