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神保町。「じんぼちょう」ではなく「じんぼうちょう」が正しい読み方、だ。

 

少し前の東京都知事が、「都営新宿線」と「半蔵門線」の間の壁を撤去し、

「バカの壁、をなくした」

と自分の決定を誇っていたことがあった。それもそのはず、1駅となりの「九段下」駅から、その二つの路線は平行に走っている。それなのに、乗り換えが異常に大変で理不尽だったのだ。

 

亜希子のいる「九段下」と、工藤のいる「御茶ノ水」のちょうど中間が神保町だ。古本街、という印象があるが、専修大学や日本大学(水道橋方面だが)のキャンパスが近く、学生たちも多い。お洒落なレストランは影を潜め、専らが学生向けの「安い、多い、おかわり自由」の定食屋が多く、実は亜希子もよく九段下から足を延ばす。お気に入りは、「いもや 本店」。メニューはズバリ、「天ぷら定食(700円)」と「エビ天 定食(900円)」の2つ。眼の前で、揚げたてを食べられる。職人気質のオヤジが、黙々と天ぷらを揚げている姿も、昭和臭ただようところだ。

 

「お待たせしました、遅れてすみません」

工藤が、息を切らせて小走りで亜希子に近づく。

「いいえ、私もいま、来たばかりで」

「神保町」の交差点で待ち合わせたのだった。

 

「杉村さん、ご無沙汰しております。あれ?髪、すこし伸びましたか?」

「伸びたっていうか、何も構っていないっていうか(笑)」

「あ、すみません。そんなつもりじゃ」

慌てて否定するところ、どこか可愛らしい。

 

「す、杉村さん。お昼、なんでもいいですか?」

「はい。特に苦手なものはないです」

「分かりました。では、オススメがあるんですけど」

「?何かしら」

「油そば、って御存じですか?」

「ええ、聞いたことはありますけど、食べたことはないかな。台湾の、まぜそば、みたいな感じですよね」

 

この前の合コンとは違い、お互いに会話が弾む。

 

「そうそう、でも、こっちのほうが、オススメだと思います。行きましょう、たぶんこの時間なら、待たずに座れます」

工藤はどんどん、御茶ノ水方面に戻り始めた。慌てて亜希子も続く。

 

「ここです」

東京油組総本店、とある。「神保町組」。支店、とは書いてない。

 

「ヘイ、いらっしゃい~!」「いらっしゃい~」

黒ポロシャツの、元気のよい声が響く。みな、白タオルを頭に巻いている。みると、ステンレスのカウンターが清潔感を演出し、キビキビと動く店員が56人いる。

 

「量は、どうしましょう」

券売機、「並盛り、大盛り、W盛り」、とある。

「並み、で」

「分かりました。トッピング、任せてくださいますか」

「ええ」

迷わず、「スペシャルトッピングA 180円」を押す。

 

「こちら、どうぞ~」

工藤は、大盛りを頼んだ。2人で並んで、カウンターに座る。

 

「ここ、これがいいんですよ」

と、カウンター上の容器を指す。

「中、なんですか?」

「これですよ」

と、蓋を開ける。

「!ネギ、なの?」

「いいえ、玉ねぎのみじん切り。これがねえ、旨いんですよ」

得意そうに工藤が頷いた。