【513号】2016/9/29

 

「・・・さっき、樋口にも言いました。

少し前の俺は、いや私は、コンマスでない自分を想像できませんでした。コンマスではないヴァイオリニストは、ヴァイオリニストでないとも誤解していました」

 

「・・・それで?」

 

「・・・・でも、今は違います。

純粋に、音楽に素直に感動している自分になれました。別に最後尾でも、構いません。素晴らしい芸術の一部になれるのなら、どこだって気にしません」

 

「・・・・なるほど」

 

「・・・私は、もしかして、音楽をナメていたかもしれません」

 

「・・・ナメていた、とは?」

 

「・・・つまり、自分が『ええ恰好をする』ための手段と勘違いしていたってことです」

 

「・・・それが勘違いだった、と君は言いたいのですか」

 

「・・・はい」

 

「じゃあ、別の質問をしよう。

モーツァルトの交響曲29番。これは彼が18歳の時の作品だ。いまの君と同じ年代だ。この曲を演奏する際に、最も大切なことって何だと思う?」

 

難しい。これまで半年間、毎日スコア(総譜)を見てきたけど、こう訊かれると、一番大切なことって何なのだろう?

 

「・・・楽譜に忠実に演奏する、ということでしょうか」

 

「それは勿論、そうだよ。

楽譜に忠実に演奏することで、私たちは何を成し遂げようとするのだろう」

 

考えたこともなかった。

長い、沈黙があった。

 

「じゃあ、この質問に対する答えを、これから定演まで考えておきなさい」

「・・・はい」

 

さらに高井先生が続けた。

「・・・今朝、中川さんから、コンミスは荷が重いから、佐野にコンマスに戻って欲しいとお願いされた」

 

「・・・はい、さっき中川さんに聞きました」

 

「で、私からは、それは中川さん個人の意見なのか、それとも楽員の総意なのか、それを確認しなさいと言った。その結果、・・・・」

 

俺は息をのんだ。

 

(つづく)