昨日は村山涼一私塾(第4回)がありました。

村山氏の話されている内容を聞いていると、先日(12/6)聴講した茂木健一郎 氏の講演でのお話と似通った部分がかなりあることに気づきました。

(例えば・・・

 茂木氏:「ヒット商品は「見た目の美しさ、魅力」+「脳の中の抽象的な報酬構造における作用」から成り立っている

 村山氏:「価値は形態と意味から成り立っている」)


ということで、ご参考になるかと思いましたので、茂木氏の講演の際のメモをご紹介いたします。


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ビジネスクリエーション塾『特許国際標準化時代の知財戦略 』2006年12月6日(水)

特別講演 「脳と知識の探求」  茂木 健一郎氏

湯川秀樹氏は理論物理学でノーベル賞を受賞したが。
理論物理学は一見狭い範囲で深い知識が必要のように感じられるが、湯川氏は孔子や論語など世界知を頭に入れていることからも分かるように総合的な知識をもっている。
人間の脳はジャングルのようなものであり、そのジャングルにいろいろな生き物が住んでいる。この生き物が奏でる交響曲が知性である。

クオリアの研究をしている。
茂木氏は「ノーベル」という単位を定義した。1ノーベ=ノーベル賞をとるのに必要な労力。
クオリアは100ノーベルぐらいある。すなわち、解けないということ。

人間の脳はオープンエンド性(終わりがないということ)。技術革新もそうであった。何も無いところから現在はPCはインターネットに繋がり、ケータイもインターネットに繋がる。イノベーションはオープンエンド性から生まれる。

YouTubeのグレーゾーンは偶有性を意味する。リーガル・イリーガルが曖昧なところにイノベーションが生まれる。人間の会話も偶有性に富んでいる。初めから何を相手と話すかのメモを作成してその通りに話す人はいない。会話の中で偶有性が生まれ、次の会話が生まれる。
酔っぱらいが同じ話をするという状況は偶有性がないと言える。

ドーパミンは報酬物質であり、行動制御物質。人間の脳は、受動性をいやがり、能動的に報酬を得ようとする。
強化学習」というものがある。これは答えがない学習であり、大事なことのほとんどには答えがない。逆に学校で教わることは大事なことではないと言える。「左側通行をしなさい」とか「講演時間は何時にスタート」とかどう決めてもいいことというのは大事なことではない。大事なことというのは「誰と結婚するか」「どの大学に入学すればよいか」「何を選考したらよいか」といったこと。
人間は大事なことに答えを求めることで行動を起こす。そしてドーパミンがでて報酬を得て、再び行動を起こす。これが強化学習。
数学者であれば、数学について考えることでドーパミンが出て脳が強化されていく。これは雪だるまが転がっていくと、止まらなくなりどんどん大きくなっていくことに似ている。
プロはこういう「三度も飯より好きなことをやっている人たち」であり、最初の小さな成功体験によるドーパミン放出がきっかけとなる。
そういう意味では天才は最初から生まれるのではなく、「なるもの」である

マーケティングの失敗は「嗜好性をリサーチすること」から始まる。嗜好性というものは意識して答えられるものではなく、無意識の中に発生する。消費者がアンケートで答えられるものから生まれたものはヒット商品にはなり得ない。
逆にたまごっちは成功例の一つであり、何が良かったかというと「ストップボタンを作らなかったこと」。ゲームにストップボタンが無いことはいかがなものかと試作段階では大ブーイングだったが、実際のペットには一時停止はあり得ない。
嗜好性は無意識で発生する。吉野家の牛丼を食べたいというのも無意識下の嗜好性によるものである。

史上最大のドーパミン発生装置はケータイである。
講演を聴いているときや会議中に着信やメールが入るとドーパミンが出る。人間の一番強い欲求は関係性欲求であり、ケータイは関係性欲求によるドーパミンを発生させる。
テクノロジー、デザイン分野にはGoogleという隕石が落ちた。
Googleのトップページはいたってシンプル。人は検索窓の向こうにあるものを求める。この検索にドーパミンがでる。
ケータイの本質は繋がることであり、Googleの本質は向こう側にあるもの。梅田氏(ウェブ進化論著者)によるとGoogleのトップページの空きスペースは500億円の広告に相当するとのこと。

以上よりヒット商品は「見た目の美しさ、魅力」+「脳の中の抽象的な報酬構造における作用」から成り立っている
YouTubeをやり始めるとずーっとやってしまう。YouTubeは自分で検索するから惹かれるのである。

「できることは何でもやる」という精神が大切である。これを積み重ねることで、あっと驚く新世界が生まれる。技術によって人間は置き換わってしまうというのは既に昔の話。コンピュータには脳と同じ機能は持てないと言うことは議論をつくした。ただし、一部のそう思っていない脳研究学者はロボットにいってしまったが。

理系と文系という考え方も古い。ITが登場した今、理系文系の関係が変わった。それよりも人間を理解することが必要になった。
"Click economy "という考え方。
searchとchoice。どれをクリックするかは分からない。それをコントロールするには人間を理解することが大切である。脳科学では今はdecision, choice, judgementに注目している。

消費者がコンビニでものを選ぶ時間は2秒。サプライヤはかなりの時間をかけて商品開発をするにもかかわらず。では何で選んでいるのか?
ダニエルカーネマンは「行動経済学」を研究した。現在は「神経経済学」がこの流れをくみとっている。その結果、不確実な状況での判断を行う際は、脳はとにかくアクションしたがり、何かを選択する。
どのようなものが選択されるかというと「効用(utility)」の高いものが選択される。

人々が幸せを感じるときはどういうときか?利他的行動は人々の幸せの大部分。「注意する」という行為もその一つ。注意には争うというリスクを負うが、人の行動は変えられる。
アクションすること自体が歓びなのである。
宝くじについての最もすばらしい投資戦略は「買わない」ということ。利回り-50%なのに行動をしてしまう。ある人は「宝くじは無知な人への課税である」という。

感情は不確実性への適応戦略である(感情をはぐくむことで不確実性に適応できる)。
人生が成功しているかの判断は不確実性を「楽しい」と思うか「不安」と思うかでできる。イノベーションは「楽しい」と思う人から生まれている。
John Bowlbyの"attachment theory"というものがある。戦争孤児を観察すると問題行動を起こす子どもが多い。
子どもは新しいものに愛着を感じて手を出し、探索する。このとき「愛着」→「安全基地」→「探索」という道筋を通る。どうなるかが分からないのに子どもができるのは「安全基地」があるから。この場合の「安全基地」は親である。親が子どもを指導し、助ける。こうすることで子どもは不確実性に積極的に適応していく。
また、過干渉や過保護は「安全基地」を奪っていることと等しい。なぜなら不確実性を奪っているから。
自分の人生を楽しんでいる大人は「安全基地」がある人である。この場合の「安全基地」とは、経験であったりスキルである。「安全基地」なしに新しいことはできないし、何かを始めるならば足元を固めていく必要がある。

インターネットはセキュリティが「安全基地」であり、これがあるからこそ安心してネットサーフィンやカードの支払いができる。こういうテクノロジーが勝ち組になっていく。
Googleは「閉じていないこと」が「安全基地」である。だから不確実に探索ができる。