若いパワーをもらって来ました。😊


今日は私が十七弦を弾こうと思い支度していると、振り向くと十七弦の子が指から出血していました。


私は滅多に弾きませんが、指から出血しては弾けないから、ちょうど交代するタイミングでした。😳


血が出るまで弾いて、よく頑張りましたね。🙂


中学生は肌が柔らかいからすぐ傷むんです。

私などもう皮膚が硬いから🤪、指の弦タコの下に血豆が出来る事はありますが、ティッシュで押さえないといけないほどの出血はもうないですね・・・🤔


最後に指から出血したのは30ちょっとの時だったかなあ・・・🤨あの頃はよく練習しましたからねえ・・・

まだあの頃は指が柔らかかった訳よ。🤔

今は色も悪いし表面が硬い、消費期限が切れたソーセージみたいです。爆




部活指導って、十数人を相手に指導する為、

指導される側は個人レッスンと違って「学ぶ意識」が、ないとは言いませんが個人レッスンほどではないのです。

聞いてはいますが、遠くから聞こえて来る「町内放送」みたいな感じなのかと思います。隠れようとすれば隠れられます。


個人レッスンは目の前に私がいて、否が応でも上達させられます。


だから部活と個人レッスンは全然違う、比較にならないのです。


一般の人は、

「部活で桜先生に習った。」

と表現しますが、私は教えたという意識はないのです。全体をまとめて曲想つけてるだけです。


なので

「部活で桜先生に習った。」

と言われるたびにモヤモヤします。🤨

教えてなんてないっちゅーの!!😟

ワタシガオシエタラナラコンナモンヂャアリマセン。


上達しようと思えば、自分を高めようと思えば個人レッスン受けなきゃ全然だめですよ。


あまりに目に余れば

「そこのあなた」

と、個人的に指導する時もありますが、たくさんの人の目の中で個人攻撃になって逆効果になってもいけないから、滅多に言いません。まあ仕方ない、この子の為だけに時間は使えないしですしね。


私の部活指導は「出来ない子を見逃して全体の中に揉み込む」のを信条としています。非常にモヤモヤしますが仕方ない。


個人レッスンでは私は見逃しません。決して。

目と耳を研ぎ澄ませて、なんなら3つ目の目を額に作って、最大集中で弟子の演奏を見ます。重箱の隅を、拡大鏡で見ながら針先でつつくようなレッスンをします。

私のレッスンは「ネバい」「しつこい」「うるさい」の三拍子。


なので全国コンクールで1位を5人出しています。私の言う通りしたら上手くなります。と思っています。かつてコンクールで「鳥のように」を弾いた子、ストップウォッチで何回計っても❜1秒まで狂いませんでした。どこでどう呼吸して、どこでどう筋肉を使って、どこでどう弦をとらえて、というのがもう出来上がっていたのです。

私は最終段階で、一度目を閉じて弾かせてみるのですが、やはり同じタイムです。

お箏の前にスタンバイしたら、もう目を開けていても閉じていても同じなのです。動きが同じだから。


そこまでしないと全国上位には食い込めません。



こういうお稽古は時間もかかりますし、部活では到底無理です。弦も伸び切ってベロベロのゆるゆるのお箏だし。個人レッスンなら粘りのある良い弦をぎっちり張って、鳴り響くようにします。


部のお箏は可哀想ですが、

でも仕方ない、これが部活ですから。




でも楽しませても もらっています。🤭



今日も、いよいよサマーコンサートの曲を決めている時、


「この曲はやめようか、難し過ぎるね。」


という私の意見で一致したかと思うと、1人が、



私この曲大好きなんです!親が見に来るから聴かせたいんです。これは外したくない!」



と主張するのでありました。



そうは言ってもみんなが外したい曲を、この子1人の意見で入れるのは・・・民主主義に反しやしませんか?🤨   



「あなた、親に見せたいたってボロボロだったらどうするん?見せるんじゃなかった、って思うんじゃない?」



と言うと、その子のハッとした、それもそうだ と思ったような呆然とした顔が可笑しくてたまりませんでした。😂 今思い出しても笑えて来ます。


また、その子が呆然としている時に別の子が、黒板に書いてあったその曲をサッサと消していたのがまた可笑しくて。🤭




部活は学びの道でもなく、本人に技術や音楽のハートを与えてくれる場でもありませんが、


部活にしかない良さがあるのも否めません。


一生心のオアシスになるもののようです。


部の先生が、

卒業生が帰って来れる場として、このコンサートを維持して行かねば、

とおっしゃいました。


感動のお言葉でした。