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入門した師匠は変えられない、
業界の常識となっていますが、
これは箏曲界だけの事ではないようです。
音楽会社が持っている教室から、その講師の先生に個人レッスンを受けに行くのは引き抜きと見なされご法度だとか。なるほどです。
しかしですね・・・。
弟子の立場であれば、様々な理由から、先生を変えたいと内心思う人もいるでしょう。
しかし師匠の立場なら、弟子が他所の先生に行ったら激怒しませんか?
誰でも最初は弟子で師匠があり、やがては弟子がついて師匠となる。
この繰り返しが歴史でしょう。
善人か悪人かという事でなく、相性かと私は思います。
これを読んでらっしゃる同業の皆様には、
『そんな生易しい事じゃありません!』
と、お叱りを受けるかもしれませんね。
私は最高の師匠にめぐり逢えたので、自分の運命に感謝しています。
そして門人が他所の先生に自ら変わった事はありません。
が、指導の部活生が他所の先生に入門した事は何度かあります。
部活は社中じゃないから、何をしようと私にとやかく言う権利も筋もないと思っているので、静観しました。
しかし感情としては内心穏やかではありませんでした。
私はプライドが高いから、たかが子供の動向で感情が動くなどと知られたくないから知らん顔しましたが、
先生によっては役員会など公の場で
「うちの部活生が◯◯先生に入門した!どうしてくれる!」
とキツく発言した方もいらっしゃるとか。
どうしてくれるって誰に言ってるのか?誰にどうせよと言うのでしょう?その部活生に?その子が入門した先の先生に?役員会に?糾弾の意味が私にはわかりません。
道も年齢も深まれば自然と弟子も出来るでしょう。自分が師匠に苦労したなら同じ思想は持たない事、じゃないかと思います。
ご本人は気付いてないと思いますが、傍から見たらそっくりな部分があります。師匠の押さえ付けを嘆いていた割には お弟子さんには同じ事言ってる、と見えます。
アイデンティティというものでしょうか・・・🤔
でもですね、もう発想を変えて、「この先生じゃなかったら良かった・・」という弟子の立場の思いより、
自分が弟子に、「先生を変えたい」と同じように思われないように、「この先生で良かった」と思われる師匠になろうと努力した方が、
自身の人生、実りあるものになるのではないでしょうか。人間心掛け次第で明暗分けます。
かくいう私も、弟子の親に苦労した事もありました。私に随分不満があったようです。
しかし辞めないから不思議でした。?🤔?
何人かいた、そういう弟子の親は共通点がありました。「自分の子は特別だから特別扱いしてほしい、先生は越えたのだから弟子扱いするな。」
おおむね共通しています。
先生のおかげ、なんて微塵も思ってなく、我が子に才能があるからここまで来た、と思ってるようです。
ならばうちなど辞めればいいでしょう。私を越えたと思うなら当社中など出て行って一人でやればよいのです。
なのに辞めずに居座っていたから不思議でした。?🤨?なぜ?
思い上がった親とは、感謝はしないが文句は言うもののようです。
親の因果は子に報い
人間心掛け次第で明暗分ける
閑話休題。
時代は令和ですが、今だ昭和や、ひょっとすると戦前大正時代の常識でいる師匠方もいるかもしれません。口やかましい人もいるのはどこの世界も同じでしょう。
でも、何でも持って行き方がありますからね・・・
浅野内匠頭が吉良上野介に嫌われたのは、持って行き方が悪かったからではないのかなあ、と思ったりもしています。人を立てる「立て方」がわからなかったのでしょうか・・・
家臣の為に上手にやれていれば・・皆そうしていたのだから。
生きる為には一歩も二歩も下がってへりくだり、相手を立てて、黒を白と言う時もあり、白を黒と言う時もあり、清濁併せ呑み、折り合いをつけ、見ざる言わざる聞かざる、
発言出来るのはそれらを乗り越えた時かと思っています。私は。苦労も知らず年も足りないうちに発言したら、正しい事でも間違いになるのです。
単なる趣味でそれは厳しいな、と思っても、社会の縮図と考えればどうでしょうか。思い通りにだけはならないのが人の一生ですものね。
先生は変えられない、これは、
母親を取り替える事出来ない、
と訳すると、生きる事は楽になるのではないでしょうか。