先にアップした、2008年NHK大河ドラマ「篤姫」の話、続きです。
篤姫が島津斉彬の養女となった時、斉彬は篤姫の為に、お付きの侍女「幾島」を選びます。非常に有能優秀な年寄り侍女です。
年寄りたってあの時代だから、40代位じゃないかと思います。
松坂慶子さんが演じていました。
余談ですがこの松坂慶子さん演じる「幾島」、島津本家で篤姫に「お姫様教育」をします。
その中に「お箏のお稽古」がありました。
ドラマ上、野山を駆け回った色の黒い姫はお箏は苦手です。幾島の教えるようには弾けず、篤姫の奏でる音は、「棒がポキッと折れた8分音符」が並んでいました。🤭
ドラマ上はそれが面白いし篤姫のイメージ作りとなってましたが、
ああこれでお箏はまたマイナスイメージになるなあ・・・😟
などと思ったものでした。お箏はなかなか市民権を得られませんねえ・・・
それで松坂慶子さん演じる「幾島」、若い頃に高位の公家に奉公していた為博識です。大奥も篤姫と一緒に上がります。養母乳母のような位置付けです。篤姫が侮辱されたら本気で怒り、本当に篤姫思いの侍女です。篤姫を守るのが自分の役割、と心得ていました。
この「幾島」、島津本家や江戸の薩摩藩屋敷など、輿入れ前は武家の女性として、威圧感のあるゴージャスな打ち掛けでした。誰にもものは言わせない、と言ってるような見事な老女の装いでした。
しかし大奥に上がってからは、打ち掛けが、公家を意識したものになり、これまでは西陣織りかと思える豪華な打ち掛けだったのが、
大奥に上がってからは、
染めの生地で刺繍はなく、てろん とした風合いの公家風の打ち掛けになりました。
『私は公家に精通しています。篤姫にはそういうこの私が着いているのよ!』
と無言でアピールし、将軍家に後れを取るものか!という気概を大奥の女性達に見せつけていたかのようでした。
なんとよ。
養母は強し。
本当に心強いですね。
この「幾島」、篤姫が将軍御台所としてもう大丈夫と判断した頃、自分も体力的に衰えを感じたのもあったようで、もう大奥の去り時が来た、と、ある日前触れなく篤姫に暇乞いをします。
篤姫は驚いて泣いて引き止めますが、幾島の決心は固く、泣き笑いのうちに大奥を去りました。
いつかは最後が来ますものね。
篤姫とていつまでも守られるのではなく、守らねばならないものがもうたくさんあるんです。順送りよ。
散りぬべき 時 知りてこそ世の中の
花も花なれ 人も人なれ
と細川ガラシャ夫人も言うとる。
やがて江戸城無血開城となり、篤姫は、
大奥の二千人とも言われる女性達の身の振り方を、最後の一人まで決めたと言われます。
明治維新になって、東京の下町にひっそり住み、苦しい生活を続けたそうですが、
幕府方の勝海舟などの差し入れや訪問は歓迎しましたが、
故郷島津ではありますが、自分を江戸城から追い出した西郷隆盛の援助申し入れは頑として拒んだそうです。
亡くなった時の所持金は、今に換算して1600円位だったと言われます。
すごいですね。生活がどんなに苦しくても将軍家の誇りを通したんですね。こんな風に生きたいものと憧れますね。
・・・しかし私だったら援助してもらうけどな。(笑)🤭
だって実家でしょ?薩摩。
実家の為に苦労して、その実家が援助するというのだから、元将軍家の体面保つ為にも してもらえばいいと思います。要求した訳じゃないし、すると言ってるのだから、皮肉たっぷり言ってやりながら貰うもの貰えばいいと私は思います。🤔功労年金よ。
このドラマのキーワードは「役割」でした。
ほんまじゃ。みんな役割があるんですよ。
いつの時代でもね。