高取城跡を攻め落として来ました。 | おこしやすだ、おいでやすだ。

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こんばんは。

食欲の秋です…やたら何かを食べたい気が続きます。

さて、前回の『道の駅吉野路大淀iセンター』から、約15くらいでしたかね?で、今回の目的地である日本三大山城の1つである高取城跡の本丸に1番近い駐車場に到着しました。

車5台くらいしか駐車出来ません。

事前に下調べしていたので、最上の無料駐車場に駐車したくて、朝8時ちょっと過ぎに1番乗り出来ました。

この場所がダメなら、無料だと、この最上の駐車場よりちょっと下の道端の広場か、最悪の場合、壷坂寺の有料(終日500円)になりますからね、なんとしても最上の無料駐車場に駐車したかったんです。

最悪の場合の壷坂寺の有料駐車場からはかなり歩く事になるし、行動予定にも影響が出るので、根性で駐車場ゲットしました…幸い、帰る時には満車になっていましたから、早く来て正解でした。

最上の駐車場からの登城口は壷坂登城口と言われる道になります。

駐車場近くには、簡易トイレが設置されていました。(一応、水タンクの水洗でした)

登城口には説明看板などがあり、それらに目を通しました。


壷坂登城口の様子と説明看板。

その壷坂登城口近くには、壷坂寺から上がれば繋がる八幡神社とかへの道があったりしました。

壷坂寺への道などが近くに…。

季節的にマズイ看板がありました…スズメバチ、マムシに注意喚起を促す看板がありました。

季節的にヤバい生物の注意喚起。

登城口すぐに井戸らしき穴がありました…。

たぶん、井戸だと思いましたけど。

登城口に井戸がありました。

登城口は3ヶ所あるみたいですね…
うち2つは(壷坂口、黒門口)分かるんですが、吉野口は後から場所は分かりましたが、登城口は分からなかったです。

登城開始。

歩き始めて5分もしないうちに、石垣が見えて来ました…あとから調べたら侍屋敷跡らしいです…そんな侍屋敷跡の曲輪が、大小、この城跡には無数にあるようでした。

しばらく石垣の曲輪をいくつか眺めながら進んで行きます。

石垣を眺めながら進む…。

しばらくすると、木造の階段になります。

以前はその横の土手?を登っていたみたいですね…踏みつけられた跡を見ましたので…。

木造階段を進む…。

ちょっと坂がキツくなり始めました…。

坂がキツくなり始めた…。

やがて、壷坂口中門跡の看板がある場所に到達しました。

壷坂口中門跡。

造りはやはり、虎口でした。

それを抜ければちょっと長い直線で、城代屋敷跡(三の丸跡)と大手門へ続く石垣の通りになります。

上)壷坂口中門跡から先の様子
下)大手門手前から壷坂口中門方面の様子。

大手門手前では、四方へ道が分岐していました…。

ニノ門(城下町へ向かう大手道)と、芋峠に向かう道と大手門への道、それと壷坂口への道です。

ニノ門への道と芋峠への道。

しばらく、この場にあるベンチに腰を掛けて、冷たいお茶を口にして、息を整えて、その場にある案内看板に目を通して、実際は、二の丸、本丸へと向かいましたが、ここでは、先にニノ門(大手道)へ向かった話から進めます。

案内看板に目を通して…。

散策した順番は、ちょっと入れ違いますが、まずはニノ門(城下町に向かう大手道)へ向かった話から…。

その大手門手前の分岐からニノ門へ向かいました…。

城代屋敷跡(三の丸跡)の横を進みました。

城代屋敷跡の横を進む。

やがて、城代屋敷跡(三の丸跡)からすぐに下りになりますが、その下り始めの場所が千早門跡になります。

やはり、虎口の門になっていました。

その千早門跡を過ぎてすぐに宇陀門跡になりました…地名を付けた門名になっていました。

千早門跡。
宇陀門跡。

宇陀(うだ)門跡を過ぎれば、一気に坂道になります…。

一気に坂道へと…。

その坂道の周りには何も形跡や遺構の無い、縄張り図で見るとちょうどくびれた部分の辺りになります。

一応、パンフレットからの縄張り図の画像を貼り付けておきますので拡大して確認などして下さいね。

パンフレットの縄張り図。

松の門くらいから道が荒れて、雨水で侵食したりしていましたし、石垣が崩落したりしている場所があったり、崩落を防ぐための金網が張られたりしている場所とかがありました。

松の門から先の様子。

そんな危険を感じる道は、矢場門跡まで続きます。

その場には下から登って来た人がひと休みするためのベンチがあります。

脇へ伸びる道は、国見櫓跡と呼ばれる曲輪跡へ行く道になります、それほどの距離では無かったので、先に国見櫓跡を目指しました。

国見櫓跡へ向かう道。

今では木々だらけの場所も当時は、侍屋敷跡だったみたいです。

森の中は侍屋敷跡。

その森の中から、開けた場所には、案内看板などが建っていました。

まずは、それに目を通しました。

国見櫓跡、案内看板。

凄い景色が広がって見えました…。

国見櫓跡からの眺め画像。
風景の案内図。

十分に景色を楽しんでから、元の矢場門跡まで戻りました…。

そして、再び下へ向かいました。

下へ向かう…。

下へ向かうと、両側にはビッシリ森の中には、石垣が残る斜面の道を進みます。

こうした石垣が続きます。

その後、目的地であったニノ門跡にたどり着きました。

ニノ門跡の様子と案内看板。

ニノ門の横には水堀がありました…高い場所で見かける水堀は珍しい存在だと思いました。

水堀がありました。

そのニノ門からちょっと下には、猿石と呼ばれる物があるんですが、何のために、誰がいつ置いたのか不明な物がありました。

調べによると、近くの明日香村から似た猿石が発見されているそうです。

猿石のある場所、説明看板。

これより下へ向かうと、戻って来る時間と体力的に厳しいので、大手門前まで戻りました…が、それでも大手門前までたどり着くと、息を整えました。

大手門跡の様子、案内看板。

それからすぐに十三間多門跡になります。

十三間多門跡の様子。

そこを過ぎると、横には二の丸跡が目に飛び込んで来ます…。

二の丸跡には、四阿があって、くつろげる場所になっています。

オイラはぐるりと曲輪の縁を歩いてみました…日本三大山城の説明看板などに目を通したりしながら縁をあるけば、割れた瓦などが散らばっていたりして、破却された時の様子を思いながら、それらを眺めたりしました。

ちなみに、日本三大山城は、今回のこの高取城跡を攻めた事により、全て制覇した事になりました。

二の丸の様子。

二の丸にある太鼓櫓跡、新櫓跡の石垣をいろんな角度から眺めました…ホントこの城跡は、石垣好きな人にはたまらない史跡だと思いましたし、そうで無い人をも好きにさせてしまうような魅力が溢れています。

二の丸から眺めた太鼓櫓跡、新櫓跡の姿。

二の丸跡から回り込んで太鼓櫓跡、新櫓跡の正面に向かいました…太鼓櫓跡の横には十五間多門跡と呼ばれる門跡がありました。

太鼓櫓跡の横にある十五間多門跡。

簡単にザッと正面から眺めて、ササッと撮影を済ませました。

高取城の城主は、越智氏から筒井氏、そして、オイラの住む同じ三河の出身の植村家と、代々高取城主は移り変わりましたが、植村家14代で明治廃藩置県になったそうです。

太鼓櫓跡、新櫓跡。

上に上がれるような石段があったので、その櫓跡へ上がってみました。


太鼓櫓跡、新櫓跡の上からの眺め。

本丸石垣前には、御神木となる樹齢700年となる杉の木がそびえ立っていました…って言うと、この城の歴史を見続けて来た事になりますね〜、生き証人みたいな存在です。

その御神木の後ろには城跡を示す石碑がありました。

御神木と石碑と記念の自撮り。

さすがに、本丸天守台の石垣には圧倒されました、破壊されずにそのまま残してあるんですから…。

更にその石垣の上に建物があった事を想像すると…ひゃー!スゲ〜!

本丸天守台の石垣。

天守台の横の石垣沿いの道を、本丸跡に向かいました。

とにかく、石垣の美しさに見とれてしまいます。

石垣が美しいです。

本丸天守台横の枡形虎口跡の石垣に上がりその形などを撮影しました。

枡形虎口の門跡からの様子。

そして、いよいよ天守台跡に上がりました。

高所恐怖症のオイラにはちょっとキツいものでしたが、なんとか撮影しました。

天守台跡からの様子。

本丸跡は広くて、二の丸と同様に縁を散策しました。

本丸跡から天守台跡を眺めたり、井戸の跡、説明看板、破壊された時の瓦片、秀吉が愛した吉野山、鹿のフン😁などを眺めながら散策しました。

本丸跡のあれこれを眺めながら…。

こうして、たくさんの見どころの一部を(これでもまだ全部では無いんですよ)見て満足しました。

たっぷり4時間ほどの滞在となりました。

そんなオイラは、日本三大山城の最後の1つを攻め落として、満足して下山しました。