こんにちは。
本日3本目の記事になります。
旅は前回の『道の駅広瀬富田城』から島根県に入り、最初の城攻めは月山富田(がっさんとだ)城跡を攻めに行軍しました。
道の駅広瀬富田城からの登城口から徒歩で登城開始です。
車で途中まで上がる事は出来ますが、やはり、見どころを逃したく無かったし、行きたかった城跡だったので…。
登城開始!
道の駅のすぐ裏山が城跡になっていました…。
かなり広いらしいので、時間は気にしなくて良いので、とにかく慌てずゆっくり登城しようと最初からそう思っていました。
慌てずゆっくりと…行軍!
歩き始めてすぐに、尼子興久の墓がありました。
尼子家を2分するような、父:経久(つねひさ)と争い、敗れ、妻の実家の山内家に逃れるが、自刃したとの事。
ちなみに、興久は経久の3男て、塩谷氏の養子に入っていたそうで、出雲国の知行の配分に不満があり反乱を起こしたらしいです。
尼子興久の墓と説明看板。
その墓を過ぎて、足元に危険生物(毒蛇)がいないか用心しながら歩いて行きました。
まだ序の口ですが…。
順番はちょっと逆になりますが、この月山富田城跡にも住居があり、尼子氏の参謀として活躍した山中鹿乃介幸盛公の銅像がありました。
この辺りはでは、かなりのヒーローで、大河ドラマ化推進委員が発足しているほどなんですよ。
山中鹿介幸盛公の銅像、説明看板、大河ドラマ化推進委員会チラシ。
先日、岡山県高梁市の山中鹿介の墓をお参りしていただけに、なんだか身近な人物みたいな気がしましたし、大河ドラマ化推進委員会の署名にもちゃんと署名させて頂きました。
で、元の道順に戻り、尼子神社、千畳平へ行き、千畳平から真下の道の駅を見下ろしました。
尼子神社から眺めた馬乗馬場。
奥の書院〜花の壇への道、花の壇の建物の様子、説明看板。
花の壇を過ぎて山中(さんちゅう)御殿へ進みます。
山中御殿とは、山中鹿介の事で、なく、城主の住居跡です。😁(間違えなき様に)
その山中御殿の下には軍用井戸がありました。
山中御殿の各所、多聞櫓跡、軍用井戸、山中御殿全貌、説明看板。
山中御殿の周囲には、雑用井戸、櫓跡、菅谷口と呼ばれる門の跡がありました。
山中御殿周辺にある見どころ。
山中御殿から三の丸への道である、『七曲り』と呼ばれる坂道が上に延びていました。
山中御殿から眺めた『七曲り』と、説明看板。
山中御殿の周囲にはまだ他にも見どころがありました。
曲輪と思われる広場、大土塁跡、狭間堀跡、塩谷口への門跡などがありました。
山中御殿周辺の見どころはまだありました。
そして、いよいよ、七曲りを登って行きます…。
てくてく、上がります。
軍事用の道との分岐点がありましたが、帰りにはこちらを通って降っていきました。
軍事用の道。
その近くには、親子観音と呼ばれる、祠がありました。
親子観音、説明看板。
さすがに、この辺りまで例えゆっくり歩いて来ても、汗はダラダラで、喉は渇きます…。
しかし、先を進みました。
山吹井戸と呼ばれる井戸跡がありましたが、やはり、この辺りで昔の人も喉が渇いたりしていたんでしょうかね?😁
この井戸跡にベンチがあったので、遂にリュックから水筒を取り出してひと休みしました。
山吹井戸跡でひと休みしました。
息が整い、体調も回復したので、またゆっくり上がって行きました。
西袖ヶ平から、三の丸を見上げ、説明看板に目を通しました。
西袖ヶ平、三の丸を見上げ、三の丸の説明看板に目を通した。
西袖ヶ平からの眺めはとても疲れた体には癒されましたし、ここまでの労をねぎらってもらえるような風が気持ち良かったです。
西袖ヶ平からの眺め。
三の丸へ上がらずとも良いかな?みたいな気にもなりましたが、やはり、本丸を落とさなければ来た意味が無いですからね。
西袖ヶ平から三の丸を眺める。
そして、三の丸へ上がりました…。
鳥居が建っているのが目に飛び込んで来ました。
三の丸の端っこから今度は西袖ヶ平を見下ろしたりしました。.
三の丸の様子、西袖ヶ平を見下ろした様子。
三の丸で風景をスケッチする人、サンドイッチ食べながら読書している人…そんな人たちがいたりしました。
そして、二の丸へは三の丸から小さな仕切りがあるくらいで高い壇があるとかでは無かったですね。
二の丸の様子と説明看板。
そして、本丸へは、三の丸から二の丸の縁を半分取り囲む小道がありましたし、休憩小屋のそばから一旦その小道に出て、堀切を渡り、本丸へ移らなければならない造りになっていました。
本丸へ繋がる小道、二の丸から見た本丸、本丸から見た二の丸。
そして、本丸へ…。
建っている石碑は、山中鹿介の記念碑、この城での戦死者慰霊碑がありました。
本丸を示す石碑は、入口に小さな黒い石碑(新しいもの)がありましたが、わかり辛いかも知れません。
本丸跡にある石碑、本丸跡の様子。
三の丸にあった鳥居の神殿への入り口がありました…。
そこを入って行けば、勝日高守神社と言う神社の社殿がありました。
この城の守り神だったそうです。
勝日高守神社敷地内の様子と説明看板、出丸?の様子。
神社から本丸跡に戻り、本丸を示す小さな石碑のある壇には、井戸の跡みたいなものがありましたが、それが何なのか分かりませんでした。
鎖で囲ってあったのですが…。
この鎖で囲ってあるものは何なんでしょうかね?😁
十分、本丸、二の丸で過ごしたあと、下へ向かう道を戻って行きましたが、途中にあった、軍事用の道を歩いてみました。
軍事用の道。
道の駅まで戻って来て、再度、下から千畳平を眺めました。
下から千畳平を眺める…。
往復3時間ほどかけて見どころなどを見ながら歩きました…。
疲れたまま、車に乗り込み、次の目的地を目指して道の駅を離れました。
旅はつづく…。