前回の続きです。


娘がいなくなり、兼ねてから相談していた弁護士とすぐに正式に契約。


弁護士の動きや指示も早く、連れてかれた翌日には私は申立ての書類を準備しました。


ちょうど夜勤明けで休みだったのも幸いしました。


2日で書類を仕上げ、弁護士にチェックしてもらい、必要な訂正を行い、その週末には家庭裁判所に送付。


弁護士からは「養育をちゃんと担ってきたからこそ、具体的で詳細な情報を時系列に沿ってとても丁寧に書かれてます。私から修正しなくて良いレベルです。コレで闘いましょう!」


と言ってもらえ、自分の子育ては客観的に見ても問題ないと肯定された気がして、私も闘う気持ちが高まったのを覚えています。


10日ほどで家庭裁判所から連絡が来て、翌月に第一回目の期日を行うと連絡がありました。



この時点では弁護士からも「裁判所としても早急に対応する必要があると判断したんだと思います。決して勝算が低い闘いじゃないと思います」と言われました。


そして迎えた第1回目の期日。


この日、家庭裁判所に期待していたのが馬鹿らしいと本気で思いました。



1分で終わりました。


ちなみに相手方は欠席。


申立書のどこを答弁されるのか、弁護士とも丁寧にうちあわせもしてたのですが…


裁判官「◯◯に関する第1回期日を始めます。今回、申立書があり、相手からも反論書が出されております。裁判所として調査官調査を相手方に今後行います。それを踏まえて次回期日を行います。次回期日は◯月◯日とします。では、第1回目の期日を終わります」


これだけでした。私たちは一言も喋りませんでした。


そして、これ以降の期日も全て裁判所サイドの予定と準備してほしい書類の確認と、次回の設定をで終わりました。

長くても3分で終わりました。


片道1000キロのところに、飛行機使って、前日入りして来てるのに…


答弁どころか我々も相手方も一言も話すことなく終わるなんて微塵も思ってませんでした。



そして、第4回目の期日を経て結審。


家庭裁判所は相手方を監護者に指定しました。


審判書を見ると、完全な出来レースだったんだと思いました。


父子交流の際に、度々娘から


「何もしてないのにじーちゃんに叩かれる」

「ママとじーちゃんがよく喧嘩する」

「じーちゃんからイヤなことをいつも言われる」


と聞いており、虐待(心理的・身体的)の可能性が高いことも主張に入れたのですが


(※児相への通告をすると、相手方が交流を断つ可能性があると思い、通告はしませんでした)



裁判官「長女から暴言や暴力に関する話題は挙がるようだが、3歳の発言は信憑性が高くなく、証拠として不十分。相手方の行為は正当なものとは言えないが、現時点の家庭内の生活に大きな問題はなく、子を再度戻す必要性がないため、相手方を監護者とする」


という結論でした。


私、児相勤務経験者なんですが。


3歳だろうと、救いの声にはすぐ動くのが児相ですが。


一時保護やらなんやらで世間からはすぐ顰蹙を買うけど、疑いがあればすぐ動いて対処したし、家裁もよくお世話になってたよ?


コレで娘に万が一があったら、家裁は責任取れんのか!?


私が出した書類は、全て裏付け証拠のある内容で構成しました。

なので育児は私6〜7割、相手方3〜4割くらいだったと誇張せず書きました。


相手方の書類は裏付け証拠は一切なく、育児は私0.5、相手方9.5と嘘書きまくりの誇張しまくりの感情論中心の内容でした。


結果、相手方の主張が正当とされて、審判が出されました。


審判書は、事情を知っている友人何名かにも読んでもらったのですが


友「なんでこの表現でこの結論になるの?日本語の構成からおかしいんだけど。小学生以下の作文じゃん。裁判官って頭悪くない?」


全員同じ感想でした。


私も、審判書を読んで何一つ理解できず。


弁護士からも、「通例、この手の審判は、納得は出来ずとも理解は出来る内容、というのが多いです。要は監護者指定する落とし所を入れてくるのですが、流石にコレは私としても理解が出来ません。即時抗告すべきです」


弁護士に強く後押しをされ、即時抗告を行いました。


あのとき、諦めなくてよかったと本当に思います。


そして、家庭裁判所のポンコツぶりに心底腹を立てました。


正直、今でもムカつきます。


家裁が高裁同様に対応してくれれば、1年は早く娘との生活が出来たのに。


娘からは、今でもよく母方実家での不満を聞きます。


家庭裁判所が法に則って仕事をしてるとは思えず、幻滅した思いがあるため、未だに家庭裁判所には良い印象はありません。


所詮、裁判所もお役所か…と思う日々です。