本来は時系列に沿って書いた方が良いとは分かっているのですが、先にこちらについて触れていこうと思います。
令和4年某月、当時私は不規則勤務で夜勤(16時から翌10時)もある仕事でした。
土曜。
日中、娘と楽しく遊び、「お泊りのお仕事行ってくるね」と行って家を出ました。
当時3歳の娘は“おめん”の絵本を顔に当て、ブタさんになりきって見送ってくれました。
このやり取りは今でもハッキリ覚えてるし、今後一生忘れないと思います。
日曜。
仕事後に新型コロナウイルスのワクチン接種があり、帰宅は昼過ぎになりました。
帰宅すると、妻も娘もいません。
昼過ぎだったので、お出かけかな?と思ったら
机に書き置きがありました。
娘と一緒に家を出ます、という内容でした。
寝室やリビングの母子の荷物もなくなっていました。
家のインターホンの履歴を見ると、土曜に引越業者が来てることが確認出来ました。
自分って、こんなキレ方出来たんだ、というくらい怒り感情が私を支配しました。そして
「コレが、世にいう連れ去りか」と。
この日の夜、コロナワクチンの副反応で高熱なども出て、心身ともにとんでもない状態でした。
今思い出しても、よく死ななかったなと思います。
実はこの出来事の10日ほど前、
妻と離婚について話し合っていました。
① 協議では困難なので離婚調停をする。
② 調停あるいは不成立の場合は裁判にて、親権者と認められなかった方が家を出る。
③ 親権者が定まるまでは娘の生活を第一に優先し、生活環境は変えない。同居したまま離婚調停あるいは裁判を行う。
④ ③のとおり、親権者が定まるまで、勝手に娘を連れて家を出ることはしない。
⑤ 親権者が定まったら、娘にも離婚を伝え、徐々に非親権者が家にいない形を段階的に作っていき、別れる。
おおまかにこの5つを話し合い、双方合意しました。
で、10日後にコレです。
過去の記事の通り、かねてから弁護士さんには適宜離婚の相談をしていたので、即座に連絡し、即契約。
審判前の保全処分等、いわゆる3点セットを申立て、戦いが始まりました。
プロフや再開記事に記載のとおり、結果は
家裁で負けて、高裁で覆って勝ちました。
覆った理由の1つとして、上述の夫婦の取り決めを録音してあったことで、妻が取り決めを無視して身勝手に娘の生活環境を強制的に変化させたこと、娘に多大なストレスを与えたことが認められたことがあります。
(もちろん、私が育児も家事も積極的にやってたこともありますが、これは追々…)
今思い返しても、勝てたのは本当に運が良かったと思います。
改めて、当時から、妻との話し合いは全く意味のないものだったことを実感してます。
その日、その時はそう思ってたけど、今はこう。
というのを平気で言うタイプ。
そりゃ、今になっても揉めるよなぁと。
今は争いを経て、子との生活を噛み締めています。
何気ない会話や日常が、
実は当たり前ではない幸せなことだと、
日々、子から幸せを頂いています。
ちなみに、私はこの一連の流れは、所謂「連れ去り」と認識していますが、
父子生活開始後に、妻と話した時があるのですが
『私がやったのって連れ去りなの?あなたはそう思ってるの??』
と返されたことがあります。
妻は、なぜ高裁で覆ったのか多分未だに理解してないと思います。
(当然ながら、私から妻に暴力や暴言は一切してませんし、娘にも不適切な関わりは一切ありません)
連れて行かれてからのことはまた次回以降書きます。