鞄と手帳が帰ってくる。

12月26日に電車の中に置き去りにした鞄と手帳が帰ってくる。
なくした日から来る日も来る日も毎日方々に電話をしたけれど見つからず、忘れ物担当の方にも「3日過ぎてもでてこなかったら大抵でてこないですね」と言われ一週間で諦めていた。
鞄も気に入っていたし、手帳も、こげ茶色の革を2ヶ月くらい待って手元に来たものだったから(この2ヶ月間の最初のうちは純粋に楽しみにしていたが、「おれが手帳を心待ちにしているということは、こげ茶色の馬の死を心待ちにしているということか」と複雑な心境になり、途中からは「幸せに長生きし、そして馬の人生を全うしてからここに来ますように」と考えるようになった。手元に手帳が届いてからは「まっとうした馬の手帳さん」、と手に取るたびに思っていた)かなりショックだった。
ぼくは早く悲しみを忘れるためにすぐに新しい手帳を買い、鞄を入手した。
少しずつ、新しい手帳と鞄の生活に慣れていくにしたがって、前の鞄や、まっとうした馬の手帳の事も忘れていった。

しかし昨日、まっとうした馬の手帳と鞄が見つかったと連絡がきた。

ぼくは喜んで、いつ取りに行こうかと手帳を開いたところで手が止まった。
この新しいナイロンの手帳はまっとうしないないで役目を終えるのか。まっとうした馬の手帳が帰ってくる代わりに、まっとう出来なかったナイロンの手帳が出来上がるのか。

ぼくは目を閉じナイロンの手帳を優しく撫でながら思った。


まっとうと、納豆って、発音にてるな。

と。

Hideki Matayoshi