駅の待合室で2時間ほど待たなければならなかった。そこは16畳くらいの部屋で(イタリアの部屋を畳で数えるのはなんとなくあれだけど、ほかに表し方をしらなかった)、塗りたてのような真っ白の壁に白い床、そして白いベンチと、黒い電光掲示板がふたつある。でもぼくにこの電光掲示板は関係ない。なぜなら乗らなければならないのは駅前から出るバスだし、その掲示板は電車のためのものだ。
本を取り出してしばらく読んでいると、目の前を小さな虫が、嫌な速度で通り過ぎた。一瞬でそれとわかる雄弁な速度。蚊だ。
ぼくは本を閉じて鞄に入れ、代わりにさっきよりも3割くらい目を開いて蚊を追った。
蚊がベンチのちょうど後ろの壁に止まったとき、思わず小さな変な声が出た(ぉm…みたいな)。
その真っ白な壁には所々に、小さな、黒と赤のよごれがあった。それは今までここに座った人の血と、果敢に栄養を求めて挑戦し、失敗した彼らの、いや、彼女らの跡だった。
ぼくは蚊を追うのをやめ、3割開いた目を元に戻した。そしてバスに乗る頃にはどこかしらが痒くなるであろうことを覚悟して、本を取り出した。





ぼくはバスに乗っていた。
暗い夜行バスの中で読書灯をつけて、右のアゴ近くの頰を掻きながら本を読んでいると、目の前を小さな虫が、黒く光りながら嫌な速度で通り過ぎた。一瞬でそれとわかる雄弁な速度。蚊だ。パチっと本を閉じて、もう一度開くと右のページの「長」のところに蚊が張り付いていて、左のページの「ン」のところがただ黒く汚れていた。白いベンチと塗りたての白い壁の部屋にいたらよかったのにねぇと心の中で言って、蚊を指で落とした。
この名前もわからない謎の食べ物の形状、とくに先っちょの突起の部分が、街中で見るたびに気になり、あの突起の部分には何が入っているのだろうと考える数日間を送っていた。
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味の濃いイタリアの食べ物のことだから、チョコかクリームか、ヌテッラか。惣菜パンの可能性もある。
そして今朝、ぼくは思い切って食べることにした。
最初は突起の部分から食べようと思ったのだけれど、いつもの癖で、周りから食べることにした(ぼくはご飯を食べる時、メインは最後に残し、野菜や汁などから食べ、最後にメインと白米を食べる。どうでもいいことだけれど)。
突起は含まないように端っこから一口食べると、思いのほか薄味のパンで、中に何か入っているわけでもない。
やはりか、やはり突起の部分に濃い味のなにかしらが入っているんだ、そう確信した。
しかしここで迷いが出てきた。
もし突起の部分に濃い味のなにかしらが入っているのなら、一緒に食べるべきではなかろうか。
その方がこの名前もわからないパンの実力が発揮されるのではないか。
でも結局、ぼくはそのほかの部分を食べることにした。
これはぼくにとって、はじめてこの名前もわからない突起のついたパンを食べる瞬間であり、記念すべき瞬間なのだ。
もし2回め、3回めならばいきなり突起の部分を食べることも許されようが、今回は最初に思ったとおり、最後に残すことにした。
一口一口、やわらかな薄味のパンをよく噛んで味わった。
そしてついにぼくは憧れの突起の部分に到達した。
目を閉じて小さな丸になったその部分を口にふくんだその瞬間、ぼくはこの名前もわからない突起のついたパンを理解した。

これはただの味の薄いパンだ

これは、ただの、味の薄い、突起のついた、やわらかなパンなのだ。

そのパンは淡い味を残して、覚めたばかりの夢のようにだんだんと消えていった
あけぼの。
夜。
夕暮れ。
つとめて。

冬が忍び足で去って行こうとしている今の季節、枕草子の冒頭部を思い出します。
冬は〝つとめて〟
つとめては便宜的に、早朝、と訳されますがただしくは〝翌朝〟だそうです。
ぼくはこの冬の文が好きなのですが、それは春、夏、秋にはない、人の気配があるためです。
ざっと書くとこんな文
「冬は寒い翌朝、雪が降った日はもちろん、霜がおりるような寒い時に火をおこし、炭をもって運んでくる時間はなんとも魅力的だ。昼になって寒さが和らいでしまえば、火桶に入った炭火も白い灰ばかりになって美しくない」
寒いとあまり外に出られないため、室内で一緒に過ごすような身近な人との時間が濃くなる、だから寒さが和らいで寂しい気持ちもわかります。
でも燃え尽きた灰をみて、残念だなぁと思いながら過ぎた時間を思い返すのもなんだか羨ましいですね。今は暖房だから、そんな機会もないですもの。

〜冬はつとめて。雪の降りたるはいふべきにもあらず、霜のいと白きも、またさらでもいと寒きに、火などいそぎおこして、炭持てわたるも、いとつきづきし。昼になりて、ぬるくゆるびもていけば、火桶の火も、白き灰がちになりてわろし〜