1995年
神戸のそのまちは
明るくなるにつれ
まちの所々に
きずあとがあらわになった。
「地震」という言葉を知らないわたしは
何か危険だから逃げなければならない。
でも歩けない。
高いところが怖い。
父へおぶさり、
手すりが危うい螺旋階段をおりる。
内階段はあるのだけど
通路が崩落し
そこに行くことが出来ないからだ。
下におりると
ガラスのドアはひしゃげて割れており
非常ベルが鳴り響き
1階の店舗はつぶれてしたの駐車場、
(駐車場があったかは少し曖昧です)
駐輪場への入り口もなんとか形を保っている状態。
近所の小学校へ向かう途中全壊の一軒家をみたり
横倒しになったビル
電灯がぐにゃっと折れている。
小学校正門前には幾人かの人が。
朝の時間あいてるわけもなく。
それでも非常事態、
中に入って正門をあけて
暖をとるため中へ。
時おり揺れる余震に不安になるなか
父が半壊の傾いたマンションへ
靴下やらをとりに戻ると。
わたしは正直戻らないでほしいと思った
崩れてしまったら二度と会えないって。
それでも無事戻ってきて、靴下とかを持ってきた。
何度かこの事については触れているので、
今回はここまでにしておきます。
またね。
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