精神科閉鎖病棟保護室。

18になった年、心を病んでこの部屋に入った。窓は高いところに、扉は二重になっている。
テレビもなくスマホも持ち込み禁止で暇だ。
食事は床近い小さなドアから出し入れされる。食器類は自傷の可能性を考えられ割り箸や発砲スチロールの容器。なんだか味気ないと思ったのは最初だけで直ぐに慣れた。毎日餌のようにただ出された食事を食べた。
私は入院前、人並みよりは太っていてよく大学でバカにされいわゆるいじられキャラというやつだった。入院後は病院食しか食べてないから随分痩せて美人の母に似た顔立ちが際立ち容姿を褒められることが増え、体も随分ほっそりした。なんとなく、奇子という漫画を思い出した。

そんなにしないうちに時間の感覚、曜日の感覚が無くなった。毎日朝が来て夜が来るだけだ。
保護室から出る予定は立たなかった。なぜかは知らない。私の正気はここでしか保たれないからかもしれなかった。

髪が伸びる、ムダ毛が伸びる、爪が伸びる、日数を正の字で数えるなんて柄じゃないから、爪をかじって短くする日の間隔でなんとなく月日を感じた。

そのうち私は悪夢を見るようになった。医者いわく薬の副作用らしい。
最初のうちこそ怖がったものだが、なんせ毎日何も無い狭い部屋で食事をして用を足して誰とも話さず何もしないのだ。悪夢はすぐに娯楽に変わり、私は夜を待つようになった。

ここ、保護室に入ったのは18の頃だ。子供と大人の中間。大人の恐怖を知らない。例えば自分の子供が殺されるとか?例えば…を挙げるのも苦労する。
私が見るのは何度も同じ殺され方をする夢や、怖い(と夢の中で感じる)絵が飾ってある迷路のような美術館から逃げられない夢、赤黒い月が燃えるように揺らめくのを見る夢。
暇だからだろうか?殺される、高いところから落ちる、そんな在り来りな怖さから私は想像力を働かせたのか暇から逃げようとしたのか、より創造力豊かな悪夢、私にとっての楽しみを毎晩見るようになった。

一応病院なので診察はある。
医者は聞く。「体調はどうですか?」「楽しいです」「そうですか、では薬はこのままで」

何週間何ヶ月その問答を繰り返した。
たぶん、この閉鎖的空間ですら楽しいと感じている私は異常で、この部屋の外は私にとって刺激が多すぎるんだろう。

食事も出てくる。お風呂もたまに入れる。
そりゃ、彼氏がいないことやもうこの先普通に戻れないことを嘆くことはあったが、スマホを手にしておらず外の情報を知らないことや親の面会も徐々に減り孤独が増したことがかえって私を救った。

他と比較しようがないから不幸を嘆かずに済んでいた。

毎晩見る夢を誰にも話すことはなかった。絵にすることもなかった。ただ私は夢を見続けた。
それだけだった。

大学入学とほぼ同時に入院して、私の事なんかきっと誰も覚えてない。話題にも上がらないだろう。
唐突になんとなく想像することもあった。
こうならない未来はあったのか?
でもそんな想像は、すぐ眠剤と安定剤による眠気にかき消され、私は1つ目の猫や赤と緑に交互に切り替わる空や、その他起きたらもう忘れてしまうような、でも心拍数の上がる感覚だけはある悪夢を見続けた。

私がいる保護室は1階。
2階には60年入院し続けている人がいるらしい。

私も死ぬまでこの部屋にいるのかなと思った。
入院しているからには入院費がかかっているはずだが、そのあたりは母が上手くやっているのか何も言われず、聞かれることもなく、ただ医者は体調はどうかと繰り返した。

私にはペン1本の所持も許されていない。自傷の可能性があるものは基本没収だ。
何度か、見た悪夢を絵にしようとか詩にしようとか試みたが看護師も医者もそんなことに価値を見出さない。悪夢は私の娯楽として消費され消えていき私の脳の外に出ることはない。

看護師長が何度か代わり、主治医も3度ほど代わり、ある日突然再度病歴聞き取りということで自分がちょうどその日55歳になったことを知った。

18で入ったのに、一瞬だった。家族は生きているのか?一瞬考えて、捨てられた私にもう確かめようもないなと、ただ静かにそう思った。

その夜、寝れるはずの量の薬を飲んでいるのにわたしは中々眠れなかった。
なんとなく、死ぬなら今なんじゃないかなと思った。これ以上保護室という個室を占有し続けたところで誰の得にもならない。私にはなんの生産性もない。ただ、ご飯を食べて薬を飲んで排泄して入浴して夢を見て楽しんでいただけだ。
この6畳と少しの部屋が私の世界の全てだった。もう何十年も。

その夜見た夢、短いがよく覚えている。
もう亡くなっているかもしれない父と母がリビングで話している。
父が言う。「あいつはもうダメだ」
母は言う。「捨てるしかないかねぇ」

そこで目が覚めた。
朝だった。朝食が何十年のいつも通り、床近い窓からお盆ごと入れられた。

死ぬなら今日だな、と思った。
割り箸を折った。
しねるかな、どうかなと思った。目を突くか、喉をつくか。どちらにしても看護師に監視カメラで見つかって処置されて助かって終わりだ。死ぬには何もかも足りない。
もう生きてても何もすることがないのに。
今日は無理か。諦めるのは早かった。

じゃあ、死ぬために退院しよう
死ぬためにふつうを装って、まずは保護室を出よう。
土地の作りもだいぶ変わってるだろうから、今どうかは知らないけど病院の近くには高架橋があった。まずは散歩でそこに出ることを目指そう。

私は初めて保護室から出たいと思った。死ぬために、55にもなって。

折った割り箸で器用に朝食を食べる。
薬の副作用の手の震えにも慣れたし致し方ない状況での犬食いにも、もう慣れていた。

朝食を下げに来た看護師に言う。
「あの、私この部屋から出たくて、治療方針とか、よくわかんないけど、とりあえず先生に繋いで貰えますか」

看護師はよく分からないと言った顔をしていたが、私がそこまでまともに話せると思っていなかったらしく「わかりました」と短く告げ食事を下げた。箸がおられているのは触れられなかった。

朝食後眠気に襲われた。
きっと悪夢を見るだろう、しかしそれを楽しむことももうないだろうと思った。