夢、現実、あの頃。 | 吾唯足知~56歳、母の膵臓ガン闘病記~

吾唯足知~56歳、母の膵臓ガン闘病記~

56歳で膵臓ガン発覚。
そのとき、余命告知『あと2~3日』。

それから3ヶ月、最期までカッコよく、凛とした姿を見せ続けてくれた母の闘病記録です。




先日、久しぶりに、病院にいる母の夢を見た。


私は風邪をひいて前日はお見舞いに行けなくて、母がどうしてるか気になって、病院の廊下を急ぎ足で病室へ向かっている。

病室には、久しぶりに髪を洗ってもらっている母と、お見舞いに来ている兄と姉。

母は髪を洗ってもらいながら、とっても気持ちよさそうに目をつむっている。


母に、『昨日はこれなくてごめんね。』と言うと、母は目を閉じたまま、『いいよいいよ~。昨日からすごく調子がいいんよ。このまま良くなるみたい♪』と嬉しそう。


母の声はとても明るく、私も、そっか~良くなってるんだ!!と、嬉しくなる。


と、それまで目を閉じていた母が、フッと目を開けた。
嬉しそうに、私を見たその目は、白目が黄色く、黄疸が出ていた。


夢の中の私は、それで全てを悟る。
あぁ、良くなってはないんだ。
“そのとき”は、すぐそこまで来てるんだ……。




目が覚めて、明け方で、声を殺して泣いた。




いつも、闘病記を書こうと、あの頃つけていたメモ、家族に毎日送っていたメールを読み返す。

その頃の私は、本当に心から、母が良くなる、と信じている。

医師に『この状態で生きている人を他に見たことがない』と言われていても、それでも信じていた。
あきらめてなんかいなかった。



夢の中の私は、あの頃の私。
でも、母がいないという現実もあるから、夢の中の私は母が死ぬことを悟る。

私は私に、母が死んだことを突きつけられる。



あの頃の私と向き合うことがつらくて、闘病記を書けずにいる。

それでも、闘病中の母は私の誇り。
誰よりも輝いていた母を、知ってほしい。



少しずつでも。
少しでもたくさんの母を。