2019年 中学3年2学期から痙攣頻発。
11月末の発作後幼児退行。

2020年 高1 

治療で回復後普通の高校進学したものの

再燃を繰返し3学期から通信制へヒヨコ

高次脳機能障害に。


2021年 高2 

再燃治療を繰返し、他の病院での意見を求めたが病気ではないと診断

2022年 高3 

入退院を繰り返す中、大学に行きたいと受験勉強をやりだしたスター


2022.5.25(水)

遅い帰宅

この日は、フットサルがあると言って家をでた。色々と周りから、ボール蹴るぐらいできるやろ。一緒にやろうよとよく促されるけど、ほんとに片足でバランスとるの無理で、それをわざわざ言うのも、なんかしんどくて、テキトーに笑ってごまかしているって。


この日は夜のご飯もみんなと一緒にたべて、その後も公園で色々と話をして楽しかったって。

10時半過ぎに、最寄り駅に迎えに行った。


車の中で、楽しくて幸せ〜とか言っていた。

確かに、こんなに遅くなることはゆんにとってありえない事象だったもんなぁ。って私も振り返って思う。

病気ではなかったら、また違った高校生活だったのだろうなとふと思う。


今ここにあるこの時を、動けているこの体調を大事にしようと思うキラキラ

ってゆん。


日中はカロナールをのんで頭痛をしのいでいたよう。



朝、登校を迷う

5.26(木)

朝起きて、しんどいって。

そりゃ、昨日帰って来るの遅かったし、疲れたんだろうな。。。

登校をどうしようか迷っていた。


迷うなら、やめてたほうがいいと思うよ。実際しんどいのなら。と助言をして私は家を出たのだけれど。。。


結局、その後学校へむかったようで。

2時ぐらいに学校の先生から電話があった。


ピクツキ 脱力「わからない」

朝のやりとりもあったので、仕事中、私の電話なって胸騒ぎして、、、


先生によると、

12時半頃、教室で座っていたら、体制崩して上体が机の上に倒れるようにつっぷしてしまって。それから体を横にしているけど、1時間過ぎても元に戻ってこないようなので、連絡しました。と。


職場から学校まで、1時間ちょっとかかる。

そのまま車で向かった。


ゆんはパーテーションに囲われた一隅にソファーに寝かされて、グッタリして、ピクツキ(身体と顔)がでていた。

声をかけても、小さな声で「わからない」

「こわい」を会話関係なく繰り返している感じ。



いつもは、寝込むことが多くなっての、下降線の先のピクツキ、顔の不随意運動、意識がとぶなんだけど、やっぱり前日の疲れが尾をひいた??

頭痛しびれ、バランス悪いと条件は揃いつつあったのに、、、

見た目にはまだ活動的に動けてたから、そこまで気をつけてなかった、、、



色々と頭の中で駆け巡ったけど、それで、元に戻るわけもなく、とりあえず、ほぼ状況が変わらないゆんを連れて帰ることにした。



既に脱力状態で立てない、歩けない、座れない。意識は朦朧としていて、名前も場所もわからない様子。。。



座位も保持できず、前につんのめってくるから車椅子も無理で、結局男の先生2人で、上体と足を抱えて、そのままエレベーターにのり、ビルの横の駐車場に駐めている車に運んでもらって、帰宅。



ずっとゆんは後部座席に横になったまま。頭痛い、しんどい、わからん、というだけで話ができる状態ではなかった。


帰宅後も脱力は続き、1階にて寝かせた。ピクツキ、顔の不随意運動はおさまっていたけど、名前は名字がとんでゆんとしか出てこない。とりあえず、しんどいだるいもあってボルタレンの座薬を入れて、そのまま夜を越した。