(あわしまマリンパークにて)

前回はまぼろし①ダバオ誤報事件の話をしました。
ダバオ誤報事件の後の話をしていきます、

昭和19年(1944)9.21〜24
中部フィリピンの日本軍基地を奇襲航空撃滅戦、
★→ニコルス基地、クラーク基地は掘り返されたような状態
★→マニラ湾では、桟橋地帯の重油タンクが破壊され、多くの軍需品を失う

10/10
★沖縄大空襲
航空機潜水艦など被害「
連合艦隊司令官の豊田副武大将は、この攻撃を台湾かフィリピン上陸の陽動作戦であり、敵艦隊撃滅の好機がきたと考えました
フィリピン・台湾の基地に下令
日本の航空兵力の全力を注いでの機動部隊を投入
T攻撃部隊を投入
TはタイフーンのTで、台風による悪天候や夜間でも攻撃可能な部隊という意味をもたせています。

10/12〜
★T攻撃部隊と大規模航空部隊を発進
敵機動部隊へ攻撃し、
空母19隻、戦艦4隻
巡洋艦7隻、艦種不明15隻、撃沈撃破
→米機動部隊壊滅に匹敵する

小磯首相(陸軍出身)は
勝利は今や我が頭上にあり」と絶叫

台湾沖航空戦と言います。


まぼろし②だったのです
実際は米巡洋艦2隻大破、空母1隻、駆逐艦2隻小破したのみでした。

これは、戦果確認機のカウントミスです。
同じ水柱を2回カウントしたり、日本機の自爆や至近弾による水柱を撃沈と、カウントしていました。

T攻撃部隊の名前の通り、昼間の悪天候か夜間の奇襲を狙って計画した作戦でしたが、敵からみたら、統制の取れたものではなかったようです。
名前ばかりだったのかも知れません。

戦果を欲しがった司令部は検討することなく戦果を鵜呑みにしました。

そして、このまぼろし②の哀しいのは、
本当の結果を知らされないまま兵士は戦いに行くことになります。。

10/16
海軍の偵察機が後退中の空母7隻を発見
10/17
フィリピン、台湾、東方海上に4つの米空母を発見


大本営の海軍部は気付きます!
どう有利に見ても、空母4隻損傷させた程度、最低でも米空母は10隻以上健在
そして、、、
陸軍には報告せず

(この頃にはドイツの降伏は必須になってきているのを日本軍も知っています、アメリカも欧州に展開していた空母を太平洋戦に向けて引っ張ってきたので、空母の数がすごいです。)

10/17
米軍はレイテ湾の入り口であるスルアン島上陸
10/18
米軍はルソン島空爆
10/19午前0時
日本軍作戦開始
陸軍は敵機動部隊健在を知らない
そのため、重大な作戦変更をします
★陸軍は空母が攻撃されているから、基地航空の運用を目論んでいるのだろうと推定します。
★敵は予定より少ない兵力でレイテ進攻を強行しようとしていると考える。
陸軍増援兵をレイテに送り、決戦を挑むチャンスと考える

本来はルソン島で決戦予定でした。

レイテに地上兵力を指向して、決戦を挑もうとします。

海軍は
もし、陸軍を海上輸送したら、アメリカに撃滅される。と考えていましたが、真実を言えないのです!

★海軍山下奉文大将は
陸軍の作戦に反対します。
「米軍がレイテに進攻するのは準備と確信があるはず」

陸軍の作戦は
★寺内壽一元帥率いる南方軍はレイテに陸上航空基地ができれば、ルソン決戦は成り立たない、
→敵をレイテで討つ
+大本営です。

★海軍の主張は通りませんでした。。

次回は大日本帝国、最後の兵力を出し切るまでの戦いに入っていきます。
次々と日本の兵力が削がれていくのをうまく表現できればいいなと思います。



まぼろし②は
新聞でも大々的に報道されました。
負けが続いた日本には吉報かのように思われたかも知れません。

多くの人が犠牲になるかも知れないなら、早く撤回してしまったほうがよかったです。


本日もお読みくださりありがとうございます。