okky たまにはリラックスしようかな
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飴玉の唄

僕は君を信じたから もう裏切られる事はない


だってもし裏切られても それが解らないから


どうか君じゃなくならないで

悲しい時 嬉しい時 どちらにしてもほら泣く


困るでしょうって更に泣く あんまり困らないよ


飴玉あげる




何光年も遙か彼方から やっと届いた飴玉だよ


そういう1ミリを繋いで 君と出会えた僕がいるよ




見えない神様 僕らは祈らない


冷え切った君の その手に触れて心を見たよ




聞けない事 言えない事 上手に話せなくて泣く


出ない言葉 強い気持ち 時間が足りないと言う

僕は 君と僕の事を ずっと思い出す事はない


だってさよならしないなら 思い出にならないから


さぁ ゆっくり下手な 話をしよう


言葉の要らない 話をしよう




何億年も遠い昔から お互い知っている人がいるよ


そういう1秒を紡いで 僕と生きている 君がいるよ



しなない神様 僕らは祈らない


咳をする君の 熱に触れて 命を知るよ 知るよ




僕は君を 信じたけど 君が消えたらどうしよう


考えると止まらないよ 何も解らなくなる

いつか君と離れるなら いっそ忘れる事にしよう


出来るのかな 無理だろうな 離れたくないな

僕は 君と僕の事を ずっと思い出す事はない


だって忘れられないなら 思い出に出来ないから

ねぇ怖いよ 止まらないよ 上手に話せやしないよ


君は僕を 信じてるの 離れたくないな

見えなければ 死ななければ だけどそんなの君じゃないよ


僕は嫌だよ 君がいいよ 離れたくないな

飴玉食べた 君が笑う




勝てない神様 負けない 祈らない


限りある君の その最後に触れて 全てに勝つよ

見えない 死なない 僕らの世界で


その手に触れて 熱に触れて

僕も笑うよ 君と笑うよ 笑うよ




僕は君を 信じたから 信じたから 信じたから


飴玉の唄/BUMP OF CHICKEN



ひとりごと

ねぇ、やさしさってなんだとおもう?


ボク少し分かってきたよ 


きっとさ 君に渡そうとしたら粉々になるよ


ねぇ、君のために生きたって


僕のためになっちゃうんだ


ほんとさ ボクが笑いたくて


君を笑わせてるだけなんだ ごめんね




ひとに良く思われたいだけ


ボクは僕を押し付けるだけ


やさしくなんかない そうなりたい


やりかたがわからない




ねぇ、心のなかにないよ


ぼくのためのものしかないよ


そうじゃないものを渡したいけど


渡したいボクがいる


ねぇ、やさしさって何だと思う?


さっきよりわかってきたよ


きっとさ きみにも知らないうちに


きみからもらったよ 覚えはないでしょ




みんなよく思われたいだけ


自分自身を売り込むだけ


やさしくなんかない そうなりたい


ボクが一番ひどい


頭変になったかも


いやいや至ってまともだよ


望みは望まないこと


ボクが知らないうちに 君のためになれること



あぁ うん いわれなくたって気づいてる


ボクちょっと考えすぎ


ありがとう 笑ってくれたおかげで 


ボクも笑える




ねぇ、やさしさって知ってるんだ


渡せないのに貰えたんだ


きっとさ 人と人との


心の外の中にあるんだ


ひとりごと




君によく思われたいだけ


ボクは僕を押し付けるだけ


やさしくなんかない なれやしない


なりたいと思わない




一人では無理なことだから


誰かとの間にあるから


どちらのものでもない


名前のない それだけに出会いたい




ねぇ、やさしさってなんだと思う?


もう考えなくたっていいや


ほんとさ ぼくら知らないうちに


僕らでつくったよ



ふたりで出会ったよ


ひとりごと/BUMP OF CHICKEN




正直・・・

限界なのかもしれない。


学校で疲れない日はない。

どうしたものか、頑張ろうとすると

疲労困憊状態になってしまう・・・


最近どうしても不公平感を感じてしまう。

なぜかというと、最近の症状を思い当たる点から

調べて気づいたこと、ストレスによるのもが多い。

彼との時間で改善された部分は沢山あるが、

以前の自分を振り返ってみると

「うつ」に近い状態であったことがわかった。

その状態が長期的に続いていたことと

客観的にみてくれる人がいなかったために

気づくことなく、18年もの時間が流れていた。

これといっていい思い出がないのは

幸せと感じられない心であったためと

今だからそう思える。


家庭環境と親の教育、この二点が原因と考えられる。

親を恨むわけではないけれど、

なぜこんなにもことがつっかえるのかという疑問は常に抱いていた。

親の生活をみて育った私は、その親の性格・考え方・価値観は

そのままといっていいほど私に反映されている。

親のマイナス思考、後回しにする癖、考えすぎるところ等々・・・

親は両親の病気によって施設での生活を余儀なくされていたため

私はそれはしかたない部分であると思うし、

その中でよく頑張って生きてきたと認めている。

しかし、社会生きる私たちは集団生活をしなければ成らない。

常に逆境、批判ばかりである。

それでは心は病んでしまってもしょうがないし、

その人に責任はないと私は思う。

だって精一杯生きてきているのだから。

それなのになぜ批判されなければいけないのか。

誰にも否定できないと思う。

そんな親をみていたら、力になりたいと思うのが

道理であると思うが、それだけでは負の連鎖は断ち切れない。

私の欲求は満たされずに、そのままであるから。

それでは親となんら変わりのない人生を歩むことになる。

親の人生を否定しているわけではないが、

決して幸せといえる人生ではない。

人は夢をもち、自分の幸せというかたちを

つくってく課程を人生というのだと私は考えている。

親は人に甘えることも無く、ほめることもしない。

愛情を受ける経験がほとんどない。

そんな親の子の私は、当然愛情に満たされない部分がでてくる。

私も親もさびしかったもかもしれない。

寂しさがあると、満たされたいと思って無意識にも

その思いを人や、ものに求めるのだと思う。

ひとが弱いのはそのせいではないかと思う。

寂しさがなっかたら、自分がほしいものを選ぶことが出来るだろう。

普通の人間ってどんな人間ですか?と誰かに聞いてみたい。


いくら失敗した人生であっても、なんでそうしてしまったのか

という潜在してる気持ちが理解できれば、

自然と繰り返さなくなるのではないかと思う。

本物の愛情に満たされた人生は、

綺麗だといえるのではないだろうか・・・

人はみんな幸せになりたいという欲求をもっている。

不幸の要素も誰しももっているのだとも考えられる。

その試練を幸せになるための試練、個性であると

思えるか思えないかが、人生の分岐点になるのだと思う。

それぞれにあった幸せになる方法が必ずあると思う。


私はまだその方法を試行錯誤して探している最中であるため

疲れてしまうのだと考えることにした。

頑張りすぎないように、今の自分の状況を把握し

受け止め、キャパシティ内に収まるような考えかたをしないと

つぶれてしまう。

一番つらいのは自分。一番分かるのも自分。

自分以上に自分を分かってあげられる人もいない。

だから自分は自分でコントロールしなければいけないのである。

みんな自分でいっぱいいっぱい。

助けることができるのは、自分を知っていて、コントロールできて

余裕を持っているひとであると思う。

それもごくわずか。そのごくわずかのなかにいたのは

彼であると私は思う。

自分の人生を変えてくれた人、これこそが運命の

出会いといえるのではないだろうか。


看護師がひとにあたえる影響力はとても大きい。

そのひとにとっての運命の人になれるように

なれたらと思いながら、自己分析をしていこうと思う。

自分の幸せのために。